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武備和訓 / 卷二・居合の本理は鞘の内にある

一坐合の諸流、坐して長刀を拔を以居合とせり、夫坐合は、坐しても、作ても、刀鯉口をはなるゝ處に本理あり、妄りに長劔を拔を以居合とはすべからず、坐して速長劔の鞘は誰もはづすべし、必坐席にては、小刀か、脇指かの勝負なれば、本理は短刀にあるべし、短刀よく拔ざるもの也、短きを以長劔の遠きに及ぶがごとく拔之、又手と手を組合程の手詰に至て、長きを拔事、懷劔の近きを刺がごとくする事、右二ッのごときものに本理有べし、劔鯉口を離るゝとひとしく、敵二ッにならざれば居合にあらず、長劔は馳走の中に拔之、作身にてよく拔べし、二尺五寸已上の刀は、居合をぬくの理にはあらず、只鞘をはづすといふもの也、諸流唯早く鞘をだにはづせば居合なりとおもへり、誠に可笑也、多くの流々、坐合刀に鐔を用ひず、刄を强くひきて、其味ひを吟味せず、さるに依てよく眞劔を用ひ、打太刀をして拔事あたわず、若二尺五寸の鞘に、二尺の刀をおさめたるをしらずして拔之とも、鋒鯉口に望む時、其寸を知るにあらざれば、居合を拔といふべからず、此藝劔術の發端にて、彼と同じく優劣を論ずべからざれども、劔術は鞘を出でたる後なれば、其變窮なし、居合は鞘に在て無窮を生るの淵源にて、未陰陽とならざる初なれば、其術の淺深尤論ずる處あるべし、

新字:一坐合の諸流、坐して長刀を抜を以居合とせり、夫坐合は、坐しても、作ても、刀鯉口をはなるゝ処に本理あり、妄りに長剣を抜を以居合とはすべからず、坐して速長剣の鞘は誰もはづすべし、必坐席にては、小刀か、脇指かの勝負なれば、本理は短刀にあるべし、短刀よく抜ざるもの也、短きを以長剣の遠きに及ぶがごとく抜之、又手と手を組合程の手詰に至て、長きを抜事、懐剣の近きを刺がごとくする事、右二ッのごときものに本理有べし、剣鯉口を離るゝとひとしく、敵二ッにならざれば居合にあらず、長剣は馳走の中に抜之、作身にてよく抜べし、二尺五寸已上の刀は、居合をぬくの理にはあらず、只鞘をはづすといふもの也、諸流唯早く鞘をだにはづせば居合なりとおもへり、誠に可笑也、多くの流々、坐合刀に鐔を用ひず、刄を強くひきて、其味ひを吟味せず、さるに依てよく真剣を用ひ、打太刀をして抜事あたわず、若二尺五寸の鞘に、二尺の刀をおさめたるをしらずして抜之とも、鋒鯉口に望む時、其寸を知るにあらざれば、居合を抜といふべからず、此芸剣術の発端にて、彼と同じく優劣を論ずべからざれども、剣術は鞘を出でたる後なれば、其変窮なし、居合は鞘に在て無窮を生るの淵源にて、未陰陽とならざる初なれば、其術の浅深尤論ずる処あるべし、

書き下し

一坐合の諸流、坐して長刀を拔を以居合とせり、夫坐合は、坐しても、作ても、刀鯉口をはなるゝ處に本理あり、妄りに長劔を拔を以居合とはすべからず、坐して速長劔の鞘は誰もはづすべし、必坐席にては、小刀か、脇指かの勝負なれば、本理は短刀にあるべし、短刀よく拔ざるもの也、短きを以長劔の遠きに及ぶがごとく拔之、又手と手を組合程の手詰に至て、長きを拔事、懷劔の近きを刺がごとくする事、右二ッのごときものに本理有べし、劔鯉口を離るゝとひとしく、敵二ッにならざれば居合にあらず、長劔は馳走の中に拔之、作身にてよく拔べし、二尺五寸已上の刀は、居合をぬくの理にはあらず、只鞘をはづすといふもの也、諸流唯早く鞘をだにはづせば居合なりとおもへり、誠に可笑也、多くの流々、坐合刀に鐔を用ひず、刄を强くひきて、其味ひを吟味せず、さるに依てよく眞劔を用ひ、打太刀をして拔事あたわず、若二尺五寸の鞘に、二尺の刀をおさめたるをしらずして拔之とも、鋒鯉口に望む時、其寸を知るにあらざれば、居合を拔といふべからず、此藝劔術の發端にて、彼と同じく優劣を論ずべからざれども、劔術は鞘を出でたる後なれば、其變窮なし、居合は鞘に在て無窮を生るの淵源にて、未陰陽とならざる初なれば、其術の淺深尤論ずる處あるべし、

現代語訳

一つ、座合(居合)の諸流は、座って長刀を抜くことを居合としています。そもそも座合は、座っていても立っていても、刀が鯉口を離れるところに本来の理があります。むやみに長剣を抜くことを居合としてはなりません。座って長剣の鞘を外すだけなら誰でもできます。座席での勝負は小刀か脇差のはずなので、本理は短刀にあるべきです。短刀はうまく抜けないものです。短いもので長剣の届く遠さに及ぶように抜くこと、また、手と手を組み合うほどの間近で、長いものを抜いて、懐剣で近くを刺すようにすること、この二つに本理があるはずです。剣が鯉口を離れると同時に、敵が二つにならなければ居合ではありません。長剣は立ち回りの中で抜き、立った身でよく抜くものです。二尺五寸以上の刀は、居合で抜く理にかなうものではなく、ただ鞘を外すというだけです。諸流はただ早く鞘さえ外せば居合だと思っており、まことにおかしいことです。多くの流派は、座合の刀に鍔を用いず、刃を強く引いて、その味わいを吟味しません。そのため真剣を使って、打太刀(相手役)に抜かせることができません。もし二尺五寸の鞘に二尺の刀を納めていることを知らずに抜いても、切っ先が鯉口に望むとき、その寸法を知っていなければ、居合を抜くとは言えません。この芸は剣術の発端であり、剣術と同じく優劣を論じるべきではありませんが、剣術は鞘を出た後のことですから、その変化は尽きません。居合は鞘の内にあって無窮を生み出す源で、まだ陰陽にならない初めですから、その術の深さ浅さはなおさら論じるべきところがあります。

解説

居合の本理は、刀が鞘を離れる瞬間にあり、ただ早く抜くことではないという主張です。座席という狭い場では短刀こそが本理で、抜いた瞬間に敵が二つにならなければ居合ではないと厳しく問います。形だけをまねて目的を忘れる諸流への批判でもあります。現代の管理職にとっては、手順やマニュアルをこなすことと、目的を達することは別だという教えとして読めます。会議や報告の形式が整っても成果が出ないなら、始まりの一瞬、つまり最初の問いと準備の質を見直す必要があります。
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この章句が説くこと

『武備和訓』片島武矩武備武芸鉄砲心得

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