武備和訓 / 卷五・刀脇指の吟味は斬れ味と折れにくさ
一刀脇指吟味の事は、武士たる者晝夜身腰を離ざる器なれば、尤其道に精しからずんば有べからず、然るに皆其實理を正し本源の利害を糺明して用る人の少き事は何ぞや、先刀劔の物切を好み心がくる人、古身は細く末枯て殆しと云、新身の重厚きを好む、大に然るべからず、是其用を知て主を知らざるもの也、刀は斬るを以主とせり、折る處に心を用るものは用なり、予斬罪の者千人迄斬たる男に委細を聞事あり、それ新身は鐵練ざるにより、いかなる名鍛のうちたるも、物に觸て折る事速なり、折ざる程に重厚ければ極めてきれず、又古身は少厚くても鐵鍊たるを以能斬る、物に觸てまがりはするとも、折斷に不至、新身は一度きれて再びきれざる物あり、きれても其音大に高し、然ればよく斬るといふものは、最上の鐵を以名鍛のうちたる古身のひらりとしてうすき物に極れり、又鉢割と云物あり、よく首を割に、二ッに斬割て頤に至る、尋常の刀にてたとい二ッ胴は截るとも首の鉢は割ざるもの也、然るに此首のよく割るものは胴躰を截るによく不斬、又胴躰のよく切るものは首を割に利あらず、是其鍛冶の鐵の鍛ひに異あり、首も胴も倶に用て利あるものは其中間を採るに如事なし、大亂の焼刄劔脊まで通りたるは折るに早し、碑は截にかまひて害あり、瑾はシナイ刄ギレを避べし、右二ッのきずある物は必ず用べからず、其外シミ地アレ等は戰鬪の爲にさまで妨なし、又當代の新身は鍛おろして其儘截る事を本意とするにより、鐵柔くして、後世かならず役に立べからず、唯何事も簡易を主として本意を失ふにより、論るに足ざるもの也、心あらん人丈夫なるをよしとして、必新身を刺事なかれ、況や當世の鍛冶のうちたる麁相なるをや、
新字:一刀脇指吟味の事は、武士たる者昼夜身腰を離ざる器なれば、尤其道に精しからずんば有べからず、然るに皆其実理を正し本源の利害を糺明して用る人の少き事は何ぞや、先刀剣の物切を好み心がくる人、古身は細く末枯て殆しと云、新身の重厚きを好む、大に然るべからず、是其用を知て主を知らざるもの也、刀は斬るを以主とせり、折る処に心を用るものは用なり、予斬罪の者千人迄斬たる男に委細を聞事あり、それ新身は鉄練ざるにより、いかなる名鍛のうちたるも、物に触て折る事速なり、折ざる程に重厚ければ極めてきれず、又古身は少厚くても鉄錬たるを以能斬る、物に触てまがりはするとも、折断に不至、新身は一度きれて再びきれざる物あり、きれても其音大に高し、然ればよく斬るといふものは、最上の鉄を以名鍛のうちたる古身のひらりとしてうすき物に極れり、又鉢割と云物あり、よく首を割に、二ッに斬割て頤に至る、尋常の刀にてたとい二ッ胴は截るとも首の鉢は割ざるもの也、然るに此首のよく割るものは胴体を截るによく不斬、又胴体のよく切るものは首を割に利あらず、是其鍛冶の鉄の鍛ひに異あり、首も胴も倶に用て利あるものは其中間を採るに如事なし、大乱の焼刄剣脊まで通りたるは折るに早し、碑は截にかまひて害あり、瑾はシナイ刄ギレを避べし、右二ッのきずある物は必ず用べからず、其外シミ地アレ等は戦闘の為にさまで妨なし、又当代の新身は鍛おろして其儘截る事を本意とするにより、鉄柔くして、後世かならず役に立べからず、唯何事も簡易を主として本意を失ふにより、論るに足ざるもの也、心あらん人丈夫なるをよしとして、必新身を刺事なかれ、況や当世の鍛冶のうちたる麁相なるをや、
書き下し
一刀脇指吟味の事は、武士たる者晝夜身腰を離ざる器なれば、尤其道に精しからずんば有べからず、然るに皆其實理を正し本源の利害を糺明して用る人の少き事は何ぞや、先刀劔の物切を好み心がくる人、古身は細く末枯て殆しと云、新身の重厚きを好む、大に然るべからず、是其用を知て主を知らざるもの也、刀は斬るを以主とせり、折る處に心を用るものは用なり、予斬罪の者千人迄斬たる男に委細を聞事あり、それ新身は鐵練ざるにより、いかなる名鍛のうちたるも、物に觸て折る事速なり、折ざる程に重厚ければ極めてきれず、又古身は少厚くても鐵鍊たるを以能斬る、物に觸てまがりはするとも、折斷に不至、新身は一度きれて再びきれざる物あり、きれても其音大に高し、然ればよく斬るといふものは、最上の鐵を以名鍛のうちたる古身のひらりとしてうすき物に極れり、又鉢割と云物あり、よく首を割に、二ッに斬割て頤に至る、尋常の刀にてたとい二ッ胴は截るとも首の鉢は割ざるもの也、然るに此首のよく割るものは胴躰を截るによく不斬、又胴躰のよく切るものは首を割に利あらず、是其鍛冶の鐵の鍛ひに異あり、首も胴も倶に用て利あるものは其中間を採るに如事なし、大亂の焼刄劔脊まで通りたるは折るに早し、碑は截にかまひて害あり、瑾はシナイ刄ギレを避べし、右二ッのきずある物は必ず用べからず、其外シミ地アレ等は戰鬪の爲にさまで妨なし、又當代の新身は鍛おろして其儘截る事を本意とするにより、鐵柔くして、後世かならず役に立べからず、唯何事も簡易を主として本意を失ふにより、論るに足ざるもの也、心あらん人丈夫なるをよしとして、必新身を刺事なかれ、況や當世の鍛冶のうちたる麁相なるをや、
現代語訳
一つ、刀・脇指を吟味することは、武士が昼夜身腰から離さない器ですから、その道に詳しくなければなりません。それなのに、その実理を正し、根本の利害を糾明して用いる人が少ないのはなぜでしょうか。まず刀剣の物切れ(斬れ味)を好んで心がける人が、古身は細く末が枯れて危ういと言い、新身の重く厚いものを好むのは、大いにいけません。これは用を知って主を知らないものです。刀は斬ることを主とします。折れることに心を用いるのは用の方です。私は斬罪の者を千人まで斬った男に、詳しく聞いたことがあります。新身は鉄を練っていないので、どんな名工が打ったものでも、物に触れて折れることが早いのです。折れないほど重く厚くすれば、極めて斬れません。また古身は、少し厚くても鉄を鍛えているのでよく斬れます。物に触れて曲がりはしても、折れるには至りません。新身は一度斬れて二度は斬れないものがあります。斬れてもその音が大きく高いのです。ですから、よく斬るものは、最上の鉄で名工が打った古身の、ひらりと薄いものに決まっています。また鉢割というものがあって、よく首を割り、二つに斬り割って頤に至ります。普通の刀では、たとえ二つ胴は截れても、首の鉢は割れません。ところがこの首をよく割るものは、胴体を截るのによく斬れず、胴体をよく切るものは首を割るのに利がありません。これは鍛冶の鉄の鍛えの違いによります。首も胴もともに使って利があるものは、その中間を取るのが最もよいのです。大乱の焼刃が剣脊まで通ったものは折れるのが早いのです。碑(傷)は截ることに差し支えて害があり、瑾(傷)は刃切れ・撓い刃を避けるべきです。この二つの傷があるものは決して使ってはなりません。そのほか、染みや地荒れなどは、戦闘のためにはそれほど妨げになりません。また現代の新身は、鍛え下ろしてそのまま截ることを本意とするため、鉄が柔らかく、後世に役に立つものではありません。ただ何事も簡易を主として本意を失うので、論じるに足りません。心ある人は丈夫なものをよしとして、決して新身を差してはなりません。まして当世の鍛冶が打った粗雑なものはなおさらです。
解説

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『武備和訓』・卷五・刀の拵えは堅固を第一に、柄と心木を整える一刀劔具足するを世俗こしらゆると云、惣て武士の刀脇指の餘り光〻輝〻は、心にくらず、異なる物好致すべからず、鮫は塗べし、柄の心木は必ず柚か樫を用べし、假令白鮫を用るとも心木堅く柄卷工の巧手に命じて、最上の糸を用て能松鼠をぬり、鐵石の如く卷ときは、柄碎る事なし、韋を用る事は尤つたなし、武備にもあらず、禮にも乖べし、刀劔の仕立肝要なる物は杷なり、武人常にいふ、糸切て手の內碎ると、杷糸切解る程にては兩手の指存すべからず、松鼠をつけて至極堅く卷時は、たとへ寸寸にきるゝとも其解る事なし、心木厚朴を用るとも卷糸堅じければ輙く不碎、其くだくると云も木は柔にして緩き故也、古來の柄に厚朴を用て不碎事は、古は心木極て細き故鮫をきせて地を高くしあげ、能塗たる故手の內細からず、其木うすくして、中心にしなひつよく漆を付る故猶堅くして碎けざるもの也、當世は鮫ぬらざるを以心木大きく、しかも柄緩きを以碎る事あり、心木樫なれば唯堅さのみならず、劔のつりあひの爲に大によし、うち鮫を用るとも、心木右二木の內なれば碎る事なし、尤杷は長きに德あり、鐔は重く大なるを能とせり、(武藏流の如きは論ずるに不及者也)劔の身は專磨を吟味すべし、かくし根刄は用に不立、
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『武備和訓』・卷五・鞘と居合、道具は本意を失わず取捨する鞘は忍の胴がねをいれてぬりかくすべし、鯉口の方に入るは惡し、刀にかへり角を不可用と云人あり、然れども世上なべて用之、決而不用と云は鑿なり、かへり角有て利ある事あり、害ある事あり、其角の甚高さものは利少し、さるに依て蛭がへりを用る人あり、是にも一利一失あり、惣而武用の事は其人の好所にしたがふべし、一德一損は天地の常理なれば二ッながら全き事はなきもの也、就中三尺已上の長刀、其搾に秘事あり、是は居合の術よりいふ處にして、長刀を拔に足を組み拔刀膝にては四尺の刀も拔べけれども、或は步行中に拔之、走步うちに拔之、起身にて拔之に三尺五七寸の刀は輙はぬけがたし、其秘事を用る時は三尺五寸の刀は三尺を拔が如く、三尺の刀は二尺五寸を拔が如し、武士居合を拔く者不少して、蹲踞ては皆よく拔之ども起身にて能拔者少し、尤鍛鍊すべし、又刀劔の仕立によりて大物ぎれも切れず、腕つかれて大害あれば尤吟味すべきの甚きもの也、杷輕く鍔うすく小くしては、鋒重く權惡敷して用に立がたし、とかく大事にすべきものは杷と釣合なるべし、惣而武事は家々流々其人々の器量によりて主意かはり、取舍する事尤也、鑿には云がたし、つゞまる處は本意を失ざる事を要とすべし、
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『武備和訓』・卷五・名刀に泥まず、分限に応じて備える一劔は不可好作、斬骨以爲能焉、世人此辭を以て、楠正成の壁書の一條目とす、いまだ精しからざれども、愚此語意を按るに、それ最上の物の無瑾にして能截るは、其價甚貴ふして小祿の武士の力に不及、故に其名作にあらずとも、能截るものを用て、さのみ作に泥む事なかれと云也、作も截も二ッながらよき物に何ぞ如事あらん、然れば此語は小身の武士の志を慰して謂る事ならん、大祿の武士何ぞ價の貴賤にかゝわり必に不快ものを用べけんや、然れば必しも作は好むべからずと鑿にいふにはあらず、己れが分限に隨て、用ひよと云敎なるべし、武士に生れて此一ッの物程大切なるはなし、不叶迄も心を盡さずんばあるべからず、作名鍛にして、無瑾にして最上の物、當世 大樹を奉始、列侯に所持し給ふ處の名刀、本阿彌家の定る處、其價黃金千枚已下二百五十枚迄に至て、六十餘州六十六腰ならでは無し、(公家衆之儀は不知爰に云は武家計の事)其上品の物の尤少き事を知るべし、(正宗、貞宗、信濃藤四郎、堀藤四郎、藥研藤四郎、左文字、五月雨江、卯の花江、岡本正宗、蝦夷正宗、豐後正宗の如きもの也、)然るに武士は分限を知るを以武備の本とする事なれば、我魂とおもふ刀脇指だに分に潛て過分なれば、却て武備にあらずの語の意なれば、まして況や、其外の器財衣類のごとき美を禁る事勿論なり、平生質素にして花麗を致さず、專儉約を守れと云に不及して、其語意外に餘れり、假令正成の眞言に非ずとも、金言を採て用之べし、
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『武備和訓』・卷一・劔術は小武、本心で芸を使い芸に使われるな和奴(明朝より日本人をさして云言語也)の藝とするといへるを、或儒士是をいぶかりて曰、刀劔の術和奴のみ是を用ると云時は、中華其外の外國、なべて此藝なしといふものに似たり、恐くは是弟氏(武備志の作者)が見る處窄くして、博識ならざるかと難ぜり、愚謂ふに、中華と云とも、刀劔を用て罪ある者を誅する事、吾國に異なるべからず、盖し劔術は本一人を以て一人に捷つの義、大勇の人、さのみ心身を勞すべきには非ず、されば中華の武をいふもの、先づ王道の仁義節制の武を說て、次に覇者の道をいひ、陣法權略をのべて、專ら弓弩巧車火器等の道を說、唯三軍の勝を全ふする事を宗として、相手向ひの小武には泥ずと見へたり、最哉、其國に生れては、我劔術をしらざれば敵も又不知、只勇臆を以勝負に充つ、何ぞ弟氏が見る處せばくして、中華の事をしらずといふべけんや、已に博くしてよく本朝の事を記せり、武人爰を以悟れ、優劣は其人の鍛鍊にありて、流義にあらず、勝負は其人の心にありて、流義によるべからず、常に心を刀劔に置て、危き事を恐れ、威武を心に備ふるを、劔術の本意とせり、本心を以て藝をつかひて、藝の爲につかわるべからず、一劔術何流にもせよ、最初は竹刀を用て手法を傳へ、木刀を用て手先を利し、眞劔の刄引を用て奧義を鍛鍊し、竹刀木刀を用て擊闘すべし、只一ぺんにかたよるべからず候、學習しば〱して鍛鍊功つもる時は、生死の勝負目前に明なるべし、
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『武士訓』卷三・第13段鎧は札よきを用ひて。威毛をゑらぶべからず。劍はきれを專として。作こしらへを好むべからず。(刀はかされ厚きを用べし。かされ薄きは。うちあはせたるとき。折ることまゝあり。そりたるを用べし。すぐなるはよろしからず。鋒かろくつりあひよきやうにすべし。鋒おもきはよろしからず。皮づかを用べからず。皮柄は血かゝればすべりてにぎりがたきものなり。柄に打鮫をもちゆべからず。打鮫は切あふとき。柄くだくるものなり。鍔はすかしなきを用べし。すかしあるは切わることまゝあり。無地のあつきをよしとす。さめざやをさすべからず。さめざやは雨中にはゑめりてぬけかぬるものなり。ましてや水かゝりぬれば猶さらなり。わきざしにはかへり角をもちゆるども。刀にはもちゆることなかれ。刀にかへり角を用るは劍法をゑらざる人なり。)
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『武備和訓』・卷一・流派の優劣を争わず鍛錬で勝負が決まる一劔術におゐては流義の勝劣を論ずべからず候、若此優劣を爭ふものは、たとへば甲冑の主意をしらずして鎧はあながちに弓鐵砲刀鎗を防ぐものとのみおもふがごとし、劔術は本小武小藝にして、假令刀劔の威武をおとさじとの敵なれば、己が心の信仰鍊磨の位によりて、勝負は心に備るべし、常に鍛鍊數〱するに、竹刀を用る流義あり、木刀を用る流あり、眞劔刄引を用る者あり、各々其主意ありて流義をたつ、たとへば刄引を用る流義より、竹刀を用て非を責、其虛間をせゝるがごときの事は、眞劔を用て勝負の時は難成もの也といふ、それ程の事を辨へざる疎き武士も又少かるべければ、况や竹刀の流義といふとも、其理をしらざる事はあるべからず、又竹刀の流義よりは、刄引を用てはおもふやうに打闘事ならず、若竹刀のごとく心に任せ力を奮ば立所に打殺すべし、竹刀を用るすら當處によりて絕入事もまゝ有之、其上少年の小腕のごときには、眞劔の刄引用難しと、互に水かけ論に鏡のしあひをなさば、つゞまる處眞劔の勝負を決するより外はなかるべし、是其本、我佛尊しとするより事起れり、武備志に、本朝の眞影流の手法を載て、刀劔の術を以、