武備和訓 / 卷一・刀は鞘の中に威があり、師を敬う
一刀劔術の本意は、鞘の中にある時、威功靈明にして、鞘をはづす事は、威武の德おとろへたるなれば、百たび鞘を發し、百たび利を得るとも、刀術の本意にあらず、乍然血氣の人々は、其主意少ちがふ樣に脇より見ゆるも在之候、必ずつゝしむべし、爰に又往々の劔術者を見るに、師に事へて其藝を精熟し、或は奧義を殘して不傳かと、惑のうたがひを起し、或は己が未熟にして師に不及事を辱ず、却て簒奪の心を逞ふして、終に其師を殺し、自貴からん事を求る者、獨り刀劔の藝に多し、誠に其心禽獸にひとし、聖賢の道には、師は君父とひとしく、三年の喪をうくるといへり、必刀劔の術を習ふ人、其祖師を貴んで手法を習ふとも、心に取捨あらん事肝要成べし、其藝をば貴ぶとも、道に戻る心法をば、かならず貴むべからず、非道の操に少もうつる事あらば、武運に盡ん事必然たるべし、刀劔の術を習ふ事は、靈劔の德をおとさず、義理に死む爲の修行なり、其虎狼の心あらんよりは、習ざらんむかしこそ、ひとり神武の勇なるべけれ、
新字:一刀剣術の本意は、鞘の中にある時、威功霊明にして、鞘をはづす事は、威武の徳おとろへたるなれば、百たび鞘を発し、百たび利を得るとも、刀術の本意にあらず、乍然血気の人々は、其主意少ちがふ様に脇より見ゆるも在之候、必ずつゝしむべし、爰に又往々の剣術者を見るに、師に事へて其芸を精熟し、或は奥義を残して不伝かと、惑のうたがひを起し、或は己が未熟にして師に不及事を辱ず、却て簒奪の心を逞ふして、終に其師を殺し、自貴からん事を求る者、独り刀剣の芸に多し、誠に其心禽獣にひとし、聖賢の道には、師は君父とひとしく、三年の喪をうくるといへり、必刀剣の術を習ふ人、其祖師を貴んで手法を習ふとも、心に取捨あらん事肝要成べし、其芸をば貴ぶとも、道に戻る心法をば、かならず貴むべからず、非道の操に少もうつる事あらば、武運に尽ん事必然たるべし、刀剣の術を習ふ事は、霊剣の徳をおとさず、義理に死む為の修行なり、其虎狼の心あらんよりは、習ざらんむかしこそ、ひとり神武の勇なるべけれ、
書き下し
一刀劔術の本意は、鞘の中にある時、威功靈明にして、鞘をはづす事は、威武の德おとろへたるなれば、百たび鞘を發し、百たび利を得るとも、刀術の本意にあらず、乍然血氣の人々は、其主意少ちがふ樣に脇より見ゆるも在之候、必ずつゝしむべし、爰に又往々の劔術者を見るに、師に事へて其藝を精熟し、或は奧義を殘して不傳かと、惑のうたがひを起し、或は己が未熟にして師に不及事を辱ず、却て簒奪の心を逞ふして、終に其師を殺し、自貴からん事を求る者、獨り刀劔の藝に多し、誠に其心禽獸にひとし、聖賢の道には、師は君父とひとしく、三年の喪をうくるといへり、必刀劔の術を習ふ人、其祖師を貴んで手法を習ふとも、心に取捨あらん事肝要成べし、其藝をば貴ぶとも、道に戻る心法をば、かならず貴むべからず、非道の操に少もうつる事あらば、武運に盡ん事必然たるべし、刀劔の術を習ふ事は、靈劔の德をおとさず、義理に死む爲の修行なり、其虎狼の心あらんよりは、習ざらんむかしこそ、ひとり神武の勇なるべけれ、
現代語訳
一つ、刀剣の術の本意は、刀が鞘の中にあるときに威功が霊妙に明らかであり、鞘をはずすことは威武の徳が衰えたことですから、百たび鞘を払い、百たび利を得ても、刀術の本意ではありません。しかし、血気盛んな人々は、その主意が少し違うように脇から見えることもあります。かならず慎むべきです。ここでまた、しばしば剣術者を見ますと、師に仕えてその芸に精熟し、あるいは奥義を残して伝えないのではないかと惑い疑いを起こし、あるいは自分が未熟で師に及ばないことを恥じず、かえって簒奪の心を逞しくして、ついにその師を殺し、自分が貴くなろうと求める者が、刀剣の芸にだけ多く見られます。まことにその心は禽獣と同じです。聖賢の道では、師は君や父と等しく、三年の喪に服するといわれています。かならず刀剣の術を習う人は、その祖師を貴んで手法を習っても、心に取捨があることが肝要です。その芸は貴んでも、道にもとる心法はかならず貴んではなりません。非道の操に少しでも染まれば、武運が尽きることは必然です。刀剣の術を習うのは、霊剣の徳を落とさず、義理のために死ぬための修行です。虎や狼のような心があるくらいなら、習わなかった昔のほうが、ひとり神武の勇でありましょう。
解説

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