武備和訓 / 卷五・的中を求めず、手前を正して鍛える
一孔子も、射る事は君子に似たり、不中事あればかへつて其身に求むと給へり、必射人射形手前を肝要として、的中をもとむる事有べからず、手前自然とかたまり全躰直なる時は、求めざれども中るべし、唯弓射の主たるものは中と徹となり、射人弓矢に心を用て種々に工夫をめぐらし、或は弓を强くし、弱くし、力の入所、村のしゝおき、矢の輕重、羽の吟味等、樣々に心をつくして、六十間を射通すといへども、いまだ養由を恥ずと云ものには不及、百發百中の修行にあらず、堅きを貫の論にあらず、武射禮射の法にもあらず、誠に古へに弓馬の藝の劣りて本意を失たる事を悼むべし、射手あく迄も鍛鍊すべきは、馬上の三ッ物(笠掛犬射、流鏑馬)なるべし、されば、大神君は御一代山獵を怠らせ給はず、諸士に弓馬鐵砲の藝を勵しめ給ひ、武士の筋力を弛べられず、大獻大君も薩州之大守に命ぜられて、犬追物の台覽ありけるは、偏に武備の衰るを再興まします御心なるべし、武人爰に心を用て、藝の本意を失はざる鍛鍊こそあらまほしけれ、
新字:一孔子も、射る事は君子に似たり、不中事あればかへつて其身に求むと給へり、必射人射形手前を肝要として、的中をもとむる事有べからず、手前自然とかたまり全体直なる時は、求めざれども中るべし、唯弓射の主たるものは中と徹となり、射人弓矢に心を用て種々に工夫をめぐらし、或は弓を強くし、弱くし、力の入所、村のしゝおき、矢の軽重、羽の吟味等、様々に心をつくして、六十間を射通すといへども、いまだ養由を恥ずと云ものには不及、百発百中の修行にあらず、堅きを貫の論にあらず、武射礼射の法にもあらず、誠に古へに弓馬の芸の劣りて本意を失たる事を悼むべし、射手あく迄も鍛錬すべきは、馬上の三ッ物(笠掛犬射、流鏑馬)なるべし、されば、大神君は御一代山猟を怠らせ給はず、諸士に弓馬鉄砲の芸を励しめ給ひ、武士の筋力を弛べられず、大献大君も薩州之大守に命ぜられて、犬追物の台覧ありけるは、偏に武備の衰るを再興まします御心なるべし、武人爰に心を用て、芸の本意を失はざる鍛錬こそあらまほしけれ、
書き下し
一孔子も、射る事は君子に似たり、不中事あればかへつて其身に求むと給へり、必射人射形手前を肝要として、的中をもとむる事有べからず、手前自然とかたまり全躰直なる時は、求めざれども中るべし、唯弓射の主たるものは中と徹となり、射人弓矢に心を用て種々に工夫をめぐらし、或は弓を强くし、弱くし、力の入所、村のしゝおき、矢の輕重、羽の吟味等、樣々に心をつくして、六十間を射通すといへども、いまだ養由を恥ずと云ものには不及、百發百中の修行にあらず、堅きを貫の論にあらず、武射禮射の法にもあらず、誠に古へに弓馬の藝の劣りて本意を失たる事を悼むべし、射手あく迄も鍛鍊すべきは、馬上の三ッ物(笠掛犬射、流鏑馬)なるべし、されば、大神君は御一代山獵を怠らせ給はず、諸士に弓馬鐵砲の藝を勵しめ給ひ、武士の筋力を弛べられず、大獻大君も薩州之大守に命ぜられて、犬追物の台覽ありけるは、偏に武備の衰るを再興まします御心なるべし、武人爰に心を用て、藝の本意を失はざる鍛鍊こそあらまほしけれ、
現代語訳
一つ、孔子も「射ることは君子に似ている。的に当たらないことがあれば、かえって自分自身に原因を求める」と言われました。必ず射る人は、射形と手前を肝要とし、的中を求めてはなりません。手前が自然と固まり、全身が真っ直ぐになれば、求めなくても当たるでしょう。ただ、弓射で主とするものは中(当たること)と徹(貫くこと)です。射る人が弓矢に心を用いて種々の工夫をめぐらし、弓を強くしたり弱くしたり、力の入れどころ、材の置き方、矢の軽重、羽の吟味など、さまざまに心を尽くして、六十間を射通したとしても、まだ養由基を恥じるというものには及びません。百発百中の修行でもなく、堅いものを貫く論でもなく、武射・礼射の法でもありません。まことに、古くから弓馬の芸が劣り、本意を失ったことを悼むべきです。射手がどこまでも鍛錬すべきは、馬上の三つ物(笠懸・犬追物・流鏑馬)でしょう。そのため大神君(徳川家康)は一代を通じて山猟を怠らず、諸士に弓馬鉄砲の芸を励ませ、武士の筋力を緩めませんでした。大猷大君(徳川家光)も薩摩の大守に命じて犬追物をご覧になったのは、ひとえに武備の衰えを再興なさろうとするお心でしょう。武人はここに心を用い、芸の本意を失わない鍛錬こそ望ましいものです。
解説

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『武備和訓』・卷五・兵書を学び、武芸の的を見失わない一武士は、十三四歳より必軍旅の藝を習ふべし、孔孟の書のみを熟讀して道を行ふ則は、軍道素より其中にありと云人あれども、尤聖賢のはだへある人は、天理の大道を統て、陰陽とともに進退すれば、何事をか爲ざるべけんや、平人の心は常に天道と齟齬たれば、豫して天理を察するといへども、天道の變化を識事ならず、經書の常理を致るといへども、聖敎の變理に通る事難し、吾國千古より、孔孟の道を學得て、孫吳の道を推て識ほどの人、未有能之なり、しかれば、武家必兵書を學びずんば家業を知とはいふべからず、兵法を知らずしては、其餘の武藝に精妙なりとも、的なくして、射る如くなるべし、前にもいふがごとく、たとへば射人堂を射て、通矢の多きを以天下無雙の名人とすれども、心ある武士是を譽ず、それ弓は軍陣の長器なり、大矢數のごときは戰陣の用樞にあらずして、唯名聞の利のみにかゝわる、射人弓を射る的のみを的とは思ふべからず、武藝は戰陣勝利の的こそ大事なれ、勝利の的のはづるゝをば武藝の達人とは仕がたし、是皆其大本兵法の道不立して、其末を學ぶ故なり、本を不齊して、末治らざる事は、聖人の敎也、兵法の道に精しからずとも、達人にむかひて其大意を尋問ひ、我好む所の藝の得失利害を致め、其藝の藝たる事を精熟すべし、
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『武備和訓』・卷二・武芸は本を務め、大矢数に惑わない一武藝を習ふに、務て其本を致る時は、勞せずして差ざるに近かるべし、本と云は兵法軍旅の藝也、爰に近世弓道に、大矢數と云事あり、先づ戰陣の道を以て論ずる時は、弓を用て武者を射仆す事は、十三四間の內外たるべし、なべての射人、征矢を以人形を射るに、十五間已上にては不中、若あたりても鎧を徹す事なし、葛西園右衞門は古今無雙の射人、大樹の御前におゐて、射塲を三十間に構へ、根矢を以人形を射けるに、三十筋にて二十九筋を中たり、或射人の曰、大矢數の權輿、淺岡平兵衞(慶長年中初而通矢五十一筋)より、和佐大八に至て、尤も絕倫なる者は、葛西氏なりと、然れば園右衞門といふとも、三十間より遠くしては、鎧武者を射殪す事成べからず、敵間三十間より只七八間(六七間より士卒刀劔の勝負に及ぶべし)に至まで、矢番早く射出すつもり、凡征矢五十筋計なるべし、又葛西和佐等に少劣たるは、十八九間より、七八間までの間、漸二三十筋に過べからず、又それに劣たる弱弓は、十三四間より七八間の間に、十五六筋を射出す事、精際なるべし、然るに大矢數は、通矢已に九千筋に及べり、是其用、何如事をしらず、又古今の强弓、鎧武者を重て三騎も徹したりと云例もなし、北宋の將軍岳飛と云者孫吳の書に通じ、百戰して一たびも負ず、百斤の弓を持て能左右に射て人を仆すと、本朝百斤の弓を射る者不少して、未左右に射る人を不聞、能之せば又名達の人なるべし、源爲朝の一箭に、艦を射沈たるがごときは、古今第一の强弓にて、規と成べきものにあらず、
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『武備和訓』・卷三・弓馬は一体で鍛え、昔を疑わない一馬上の態事を、揚馬(或は軍馬)といへり、むかしは弓馬を以て二ッとせず、弓を能射れども、馬に得ざれば射人にあらず、馬をよく乘れども、射をよくせざれば騎乘の達人とせず、源爲朝、平敎經など、唯强弓と稱して、弓馬の達人とはせず、尤人にもよるべければ、賴朝卿の時代、和田義盛、下河部庄司、海野幸氏、愛甲季隆等、七八人の輩、亦者本間重氏などの如きを弓馬の達者とせり、賴朝卿の富士淺間の間に狩し給ふ事は皆是弓馬の鍛鍊なり、其時代には馬に逸散をかけて弓を射或は險難の土地を乘事、當代平塲におゐて乘摸を習ふがごとし、さるに依て、千仭の絕壁、一谷の後のごときも、人馬ともに難しとせざるは、常に弓馬の鍛鍊怠りなきが故也、當世の武士、當代の鍛鍊を以其時代にあてゝ、一谷後は、馬は及がたし、一日六十里は乘れじと、己が不鍛鍊にして、管見を以て妄りに異論を立る事、誠に可笑也、されば弓馬をよくする時は、太刀打、組打、何れの態にわたりても、皆同事なり、近代合戰の道精くなりて、馬上の勝負をせざるにより、自然と其態衰へし事、尤悼むべし、されば乘摸と、揚馬と二ッにわかれたるは、坐合と劔術とのごとし、最初乘かたを達者して、次に揚馬を習ふべし、乘摸は優劣を論ぜず、多くの馬を乘を以よしとすべし、揚馬は流派の勝劣あるべし、(神山流と云者諸流に優れり、腰手綱にて兵器を持ものは拙し、)聊もむかしの弓馬の俤の殘るは、神社の流鏑馬なり、當代にも軍理に明ならずして、馬のかけ足の內に砲弓を射るなど云人もあれども、主意違ひたれば探にはたらず、しかしながらやむには增り候べし、必名師に從て弓馬の道を鍛鍊すべし、當世の火事塲といふとも、馬上に達せずしては、人に先を越されん事眼前なるべし、
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『武備和訓』・卷三・馬術は本番を想定して数百返鍛える一馬を乘るに故實を專とし、馬上うつくしく、手綱のかゝりより、鞍がゝへ、鐙の蹴出し、隅の手綱等、各ゝ大坪氏荒木氏などの規摸に倣て、拍子を乘る事尤然なり、武人必其分にて騎乘の道たりぬとおもふべからず、諸邦みな馬を乘れども、其國々家々の風儀ありて、同じ大坪流にても、大に異なる事あり、唯うつくしく碁盤の面のごとき馬塲を、地道三四返、速道十返ばかりにて、我も馬も少汗かく程にて、乘間よく、度々乘るは、馬の爲にも藥となり、我も勞ずして能けれども、とても其如きの稽古鍛鍊にては、事に望んで、人馬ともに中〱達者は成がたし、第一平日の鍛鍊、未熟の間、輪を乘事をかくべからず、馬の輪は弓の卷藁の如し、其乘事數百返に至るべし、貫繩を强く引せて、鐙を當、居木うつり、鞍玉を自得すべし、數百返に至り、我も目くるめき、馬も倒るゝ事あり、手綱を以たゝき、鐙を以蹴起て、又乘るべし、驅足を乘とも、馬により三町ばかりの馬塲にても十餘返も乘べし、人により馬をいとひて、斯いふを誘る者もあるべし、又御者の風にも依べし、つよく乘ほど馬は早く憊、又血の落る事もあるべし、
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『武訓』上・第5段軍器三十六あり。弓を上首とす。武藝十八あり。射を第一とす。是、兵錄に見えたり。中華の書なり。日本にても、射を重んじて、武士を、弓とりといふ。中華にて、武藝には、騎射を重しとし、日本にても、弓馬を、武藝の宗とす。太刀鎗の類は、其の術しらざる人も、みだりにたゝかふ人多し。弓馬は、ならはざれば、かりにも、弓を射、馬に騎ることかなはず。しかれば、武藝多き內にも、弓馬は、ことに、しらずんばあるべからず。
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『武備和訓』・卷二・名聞を捨て、武芸の本理を失わない一葛西和佐が如き絕代の强弓、城中にある時、城には必堭壘あり、小城といへども、堭幅乃至十間より狹きはなきもの也、少廣ければ、十五間、廿間、大城の外塹、皆五十間、百間に至る、又壘の數あり、其最小城にして、堭壘十七八間なり、是を射越て、廿餘間にて、よく鎧武者を仆すにあらざれば、强弓の城に在ての能は無之者か、其上矢狹間よりは、射にくきものに究れり、然れば天下無雙の射人といふとも、城上より廿餘間の敵は制する事かたかるべきものか、籠城は、敵塀際に迫るまで、矢をはなつ事相成べきものなれば、尤射出す處の矢數數百筋にも及ぶべし、然らば矢數を射出す事の多少を以、藝の優劣をいはゞ、籠城には、合戰よりかも、其益多かるものか、尤戰陣におゐては、左の拳に鎗の鋒先のあたるまで、能矢をはなつものを、達射の人とはいへり、とかく武藝におゐては名聞をいたすべからず、名聞を好んで、武藝の本理を失ふものは、却て藝を知らざるには劣るべし、たとへば刀劔上に、金銀をちりばめ、鞘に鈍刀をおさめて指がごとし、是其鈍刀を指んより、丸腰なるものこそ潔からめといふ處に武あり、武士能く軍旅の道理に通じ、本を明にして、其餘の藝を習はゞ、必勝の本理を得べし、