武備和訓 / 卷二・名聞を捨て、武芸の本理を失わない
一葛西和佐が如き絕代の强弓、城中にある時、城には必堭壘あり、小城といへども、堭幅乃至十間より狹きはなきもの也、少廣ければ、十五間、廿間、大城の外塹、皆五十間、百間に至る、又壘の數あり、其最小城にして、堭壘十七八間なり、是を射越て、廿餘間にて、よく鎧武者を仆すにあらざれば、强弓の城に在ての能は無之者か、其上矢狹間よりは、射にくきものに究れり、然れば天下無雙の射人といふとも、城上より廿餘間の敵は制する事かたかるべきものか、籠城は、敵塀際に迫るまで、矢をはなつ事相成べきものなれば、尤射出す處の矢數數百筋にも及ぶべし、然らば矢數を射出す事の多少を以、藝の優劣をいはゞ、籠城には、合戰よりかも、其益多かるものか、尤戰陣におゐては、左の拳に鎗の鋒先のあたるまで、能矢をはなつものを、達射の人とはいへり、とかく武藝におゐては名聞をいたすべからず、名聞を好んで、武藝の本理を失ふものは、却て藝を知らざるには劣るべし、たとへば刀劔上に、金銀をちりばめ、鞘に鈍刀をおさめて指がごとし、是其鈍刀を指んより、丸腰なるものこそ潔からめといふ處に武あり、武士能く軍旅の道理に通じ、本を明にして、其餘の藝を習はゞ、必勝の本理を得べし、
新字:一葛西和佐が如き絶代の強弓、城中にある時、城には必堭塁あり、小城といへども、堭幅乃至十間より狭きはなきもの也、少広ければ、十五間、廿間、大城の外塹、皆五十間、百間に至る、又塁の数あり、其最小城にして、堭塁十七八間なり、是を射越て、廿余間にて、よく鎧武者を仆すにあらざれば、強弓の城に在ての能は無之者か、其上矢狭間よりは、射にくきものに究れり、然れば天下無双の射人といふとも、城上より廿余間の敵は制する事かたかるべきものか、籠城は、敵塀際に迫るまで、矢をはなつ事相成べきものなれば、尤射出す処の矢数数百筋にも及ぶべし、然らば矢数を射出す事の多少を以、芸の優劣をいはゞ、籠城には、合戦よりかも、其益多かるものか、尤戦陣におゐては、左の拳に鎗の鋒先のあたるまで、能矢をはなつものを、達射の人とはいへり、とかく武芸におゐては名聞をいたすべからず、名聞を好んで、武芸の本理を失ふものは、却て芸を知らざるには劣るべし、たとへば刀剣上に、金銀をちりばめ、鞘に鈍刀をおさめて指がごとし、是其鈍刀を指んより、丸腰なるものこそ潔からめといふ処に武あり、武士能く軍旅の道理に通じ、本を明にして、其余の芸を習はゞ、必勝の本理を得べし、
書き下し
一葛西和佐が如き絕代の强弓、城中にある時、城には必堭壘あり、小城といへども、堭幅乃至十間より狹きはなきもの也、少廣ければ、十五間、廿間、大城の外塹、皆五十間、百間に至る、又壘の數あり、其最小城にして、堭壘十七八間なり、是を射越て、廿餘間にて、よく鎧武者を仆すにあらざれば、强弓の城に在ての能は無之者か、其上矢狹間よりは、射にくきものに究れり、然れば天下無雙の射人といふとも、城上より廿餘間の敵は制する事かたかるべきものか、籠城は、敵塀際に迫るまで、矢をはなつ事相成べきものなれば、尤射出す處の矢數數百筋にも及ぶべし、然らば矢數を射出す事の多少を以、藝の優劣をいはゞ、籠城には、合戰よりかも、其益多かるものか、尤戰陣におゐては、左の拳に鎗の鋒先のあたるまで、能矢をはなつものを、達射の人とはいへり、とかく武藝におゐては名聞をいたすべからず、名聞を好んで、武藝の本理を失ふものは、却て藝を知らざるには劣るべし、たとへば刀劔上に、金銀をちりばめ、鞘に鈍刀をおさめて指がごとし、是其鈍刀を指んより、丸腰なるものこそ潔からめといふ處に武あり、武士能く軍旅の道理に通じ、本を明にして、其餘の藝を習はゞ、必勝の本理を得べし、
現代語訳
一つ、葛西・和佐のような絶代の強弓が城中にあるとき、城には必ず堀と塁があります。小さな城でも、堀幅が十間より狭いものはありません。少し広ければ十五間、二十間で、大きな城の外堀はみな五十間、百間にも至ります。また塁の数もあります。もっとも小さな城で、堀と塁が十七、八間です。これを射越して、二十間余りでよく鎧武者を倒せるのでなければ、強弓は城にあっての働きがないのではないでしょうか。そのうえ矢狭間からは射にくいに決まっています。そうであれば、天下無双の射手といえども、城の上から二十間余りの敵を制することは難しいのではないでしょうか。籠城は、敵が塀際に迫るまで矢を放つことができますから、射出す矢数は数百筋にも及ぶでしょう。そうであれば、矢数を多く射出すことをもって芸の優劣をいうなら、籠城のほうが合戦よりも利益が多いのではないでしょうか。もっとも戦陣においては、左の拳に槍の穂先が当たるまでよく矢を放つ者を、達射の人といいます。ともかく武芸においては名聞(名声を求めること)を行ってはなりません。名聞を好んで武芸の本理を失う者は、かえって芸を知らない者より劣ります。たとえば、刀剣の上に金銀をちりばめ、鞘には鈍刀を納めて差すようなものです。その鈍刀を差すよりは、丸腰の者こそいさぎよいだろうというところに武があります。武士がよく軍旅の道理に通じ、本を明らかにして、その余の芸を習えば、必ず勝つ本理を得るでしょう。
解説

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『武備和訓』・卷二・武芸は本を務め、大矢数に惑わない一武藝を習ふに、務て其本を致る時は、勞せずして差ざるに近かるべし、本と云は兵法軍旅の藝也、爰に近世弓道に、大矢數と云事あり、先づ戰陣の道を以て論ずる時は、弓を用て武者を射仆す事は、十三四間の內外たるべし、なべての射人、征矢を以人形を射るに、十五間已上にては不中、若あたりても鎧を徹す事なし、葛西園右衞門は古今無雙の射人、大樹の御前におゐて、射塲を三十間に構へ、根矢を以人形を射けるに、三十筋にて二十九筋を中たり、或射人の曰、大矢數の權輿、淺岡平兵衞(慶長年中初而通矢五十一筋)より、和佐大八に至て、尤も絕倫なる者は、葛西氏なりと、然れば園右衞門といふとも、三十間より遠くしては、鎧武者を射殪す事成べからず、敵間三十間より只七八間(六七間より士卒刀劔の勝負に及ぶべし)に至まで、矢番早く射出すつもり、凡征矢五十筋計なるべし、又葛西和佐等に少劣たるは、十八九間より、七八間までの間、漸二三十筋に過べからず、又それに劣たる弱弓は、十三四間より七八間の間に、十五六筋を射出す事、精際なるべし、然るに大矢數は、通矢已に九千筋に及べり、是其用、何如事をしらず、又古今の强弓、鎧武者を重て三騎も徹したりと云例もなし、北宋の將軍岳飛と云者孫吳の書に通じ、百戰して一たびも負ず、百斤の弓を持て能左右に射て人を仆すと、本朝百斤の弓を射る者不少して、未左右に射る人を不聞、能之せば又名達の人なるべし、源爲朝の一箭に、艦を射沈たるがごときは、古今第一の强弓にて、規と成べきものにあらず、
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『武備和訓』・卷五・兵書を学び、武芸の的を見失わない一武士は、十三四歳より必軍旅の藝を習ふべし、孔孟の書のみを熟讀して道を行ふ則は、軍道素より其中にありと云人あれども、尤聖賢のはだへある人は、天理の大道を統て、陰陽とともに進退すれば、何事をか爲ざるべけんや、平人の心は常に天道と齟齬たれば、豫して天理を察するといへども、天道の變化を識事ならず、經書の常理を致るといへども、聖敎の變理に通る事難し、吾國千古より、孔孟の道を學得て、孫吳の道を推て識ほどの人、未有能之なり、しかれば、武家必兵書を學びずんば家業を知とはいふべからず、兵法を知らずしては、其餘の武藝に精妙なりとも、的なくして、射る如くなるべし、前にもいふがごとく、たとへば射人堂を射て、通矢の多きを以天下無雙の名人とすれども、心ある武士是を譽ず、それ弓は軍陣の長器なり、大矢數のごときは戰陣の用樞にあらずして、唯名聞の利のみにかゝわる、射人弓を射る的のみを的とは思ふべからず、武藝は戰陣勝利の的こそ大事なれ、勝利の的のはづるゝをば武藝の達人とは仕がたし、是皆其大本兵法の道不立して、其末を學ぶ故なり、本を不齊して、末治らざる事は、聖人の敎也、兵法の道に精しからずとも、達人にむかひて其大意を尋問ひ、我好む所の藝の得失利害を致め、其藝の藝たる事を精熟すべし、
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『武備和訓』・卷四・好みに偏らず武芸の本意を忘れない一武具、馬具、家財、衣服、家宅以下、皆相應の節を失ふべからず、書籍を好ば書籍ばかり、刀劔を好ば刀脇指ばかり、射術をよくすれば弓ばかりを集るごとく、深く偏る事不可有、是は却而其藝に精妙なれども、其本意を失ふと云べし、武藝は、本軍陣の用意になす態なれば、いか程弓道に精く、鐵砲に名人なればとて、最上の馬に乘ずれば、人に後れて、其精熟の弓をも、鐵砲をも、能すると叶ふべからず、是其好む處の物のみに偏て、却而其物の本意を失ふと謂つべし、むかし晉の張華と云者、書籍を好む、死して家に餘財なく、惟文書几篋に溢る、常に居を移すに、先書を車三十乘に載たりと也、若當世の武士、如斯の人あらば、武門とはいはれまじ、書を讀事は、人倫の道を識む爲の書記也、其如くして、我家業を破らんは、書籍の本意に差ふにあらずや、其本意に差むよりは、惟それ書無きにはしかじ、是れ其文書、武器等の如きさへ、偏なる時は、道に害あり、日月一日も無むばあるべからずといへども、三十日旱魃すれば、五穀、生類、天地の間に災害あり、方に爰をもつておもふべし、嬌樂を事とし、遊山翫水に本心をとらかされ、文武を忘れて、君父の大恩を不思、惡に偏なる人に、天災害をくだし給ん事、いかんぞ晩かるべけんや、
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『武備和訓』・卷四・分限に応じた武備と奢りへの戒め一世上武備をなす人ありて、たとへば祿一萬石の小將たる人、かならず自餘の兵器は相應にもあれども、持鎗と稱するもの、我が臂力叶ひたるは唯一本か、二本ならではなし、必其分限にしたがひ、數本あるべし、尤單騎の武士といふとも、刀三腰あらば、鎗も亦二筋はあるべし、必一騎の武士、我得道具にあらずして、外に何十筋ありとも、心を用るとはいふべからず、如此の事をも平生心を盡すべし、用心の二字は武士の本意なり、一祿の高下にしたがひ、人馬兵器を持事肝要なるべし、士の定る產あるは、其分限を失ずして、武備を忘れまじき種也、相應に人馬を扶持する事は、天下配分の地をうけて、當に其地の米粟を食べき程の人馬なれば、よつて其人馬を國家の不意にあてゝ、常に備ふ、然るに其備を忘れて、人馬兵器を持ず、心を用る事なき人は、天下配分の土地を我一人にて食たるがごとく也、誠に是無上の罪恥にあらずや、或は色に耽りて、多く嬖妾の徒を召抱、私の事を專とし、公を忘るゝ、其嬖妾一人の弊を以て、究竟の若黨三人も扶持すべし、奢の珍膳美酒の料を以て、又究竟の小奴を抱ふべし、或は無益の物好をし、牡丹菊の類を、小祿をかたぶけて換之、鸚鵡やうのもの一疋を、多くの黃金に買取て翫ぶ、如此なる事、誠にあるべき事にあらず、築山花壇泉水等のごときも、殊に高上なるは惡し、多くは東山殿風にうつりて、文武ともに取失ふべし、必遊山翫水にふけり、家禮の諫を不用如き人は、外に文武をかざりて、內に剽殺を好み、仁義皆すたれて、天より罪をうけん事、筋斗をひるがへすべからず、
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『武備和訓』・卷二・道の大本を立て、利を捨てて学ぶ一武士文武の藝を習ふは、己れが仁義の家業を忘れず、忠孝を失ふまじき爲なれば、道の大本を立て、私の利を舍つべし、多くは道を捨て、利にもとづくにより、師を殺し、君父に乖く如きの人、武門に多し、君父師に背きて、己が身を立るは、禽獸にもあるまじき道なり、誠に小き蟲なれども、蜂にさへ君臣の義あり、主を殺す虫あれば、必ず臣讎を復する事目前也、然れば道をしらずして血勇に誇り、仁義の家業を忘れたるは、蜂にもおとりたれば、禽獸ともいふべからず、まして況や武士をや、武は則義なり、義は武の德なれば、武士を通稱して義士といはんも可ならんか、かならずしも、武士の義あるべき事の、勿論なるを思ふべし、次に智を明にして、善を善とし、惡を惡とし、假令君父師の事跡たりとも、惡を捨て、善を習ふべし、聖人にあらざれば、過なき事あたわず、されば軍術を學ぶとも、先づ仁義王道の兵法を尋聞て、道の大本を察し、其後和軍を習稽ふべし、深く文字に通ぜずとも、王覇の兵論を聞事難しとすべからず、先其大意を聞定て、後に和の軍術を習はゞ、心利貪にかたまる事あるべからず、必ず人少年の時、聞容たる事を是とし、壯年の後に聞事を非とするものなり、必ず心得べし、若心、利にうつり、忠孝にくらくば、長く大勇を曉る事あるべからず、當世には人文過半ひらけて、和げ著す處の書多く、俗に通ずる和漢の記錄ども不少ば、古を鑑として、今を稽へ、かりそめにも義路にあらずんば行べからず、道のくはしき事を知事ならずば、其道ありといふ噂ばかりも聞べし、
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『武備和訓』・卷五・的中を求めず、手前を正して鍛える一孔子も、射る事は君子に似たり、不中事あればかへつて其身に求むと給へり、必射人射形手前を肝要として、的中をもとむる事有べからず、手前自然とかたまり全躰直なる時は、求めざれども中るべし、唯弓射の主たるものは中と徹となり、射人弓矢に心を用て種々に工夫をめぐらし、或は弓を强くし、弱くし、力の入所、村のしゝおき、矢の輕重、羽の吟味等、樣々に心をつくして、六十間を射通すといへども、いまだ養由を恥ずと云ものには不及、百發百中の修行にあらず、堅きを貫の論にあらず、武射禮射の法にもあらず、誠に古へに弓馬の藝の劣りて本意を失たる事を悼むべし、射手あく迄も鍛鍊すべきは、馬上の三ッ物(笠掛犬射、流鏑馬)なるべし、されば、大神君は御一代山獵を怠らせ給はず、諸士に弓馬鐵砲の藝を勵しめ給ひ、武士の筋力を弛べられず、大獻大君も薩州之大守に命ぜられて、犬追物の台覽ありけるは、偏に武備の衰るを再興まします御心なるべし、武人爰に心を用て、藝の本意を失はざる鍛鍊こそあらまほしけれ、