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武備和訓 / 卷一・文武は左右の手、武は鞘に収めて威を保つ

一武士仁義文武を家業とすると云事は、此仁義の內に諸の事こもれり、本より君臣、父子、禮智信の道は、いふにも及ばざればなり、然るに文武の二ッのものは、たとへば左右の手のごとし、相助ずしては立べからず候、それ文道は、書を讀ざれども、よく行ひの道であたるをもつて、士君子とし、武道は常に勵務めて、用る事なきを以、達德の賢武士とせり、仁義本より文武の二ッなり、仁は文道の花のごとく、義は武道の花のごとし、此二ッをよく治得て、自由するものをもつて、智といへり、右三ッのもの〻、全く備るを以、智仁勇の三德とはいへり、されば寢ても、寤ても、或は食事の時も此仁義の道ははなるべからず候、此道缺たる人をば、祿貴く、爵高くとも、武門とはいひ難く候、然るに文學を好みあまたの書を見るとも、道を行ずして仁化なき人は、文あるとはいふべからず候、又武藝千萬人に秀るとも、血氣にはやり、剽殺を事とする人は、武とは云べからず候、武は內に藏て外に陽さず、則刀劔の鞘にありて、其威の嚴なるがごとし、是其鞘をはづすに至りては、武德の衰へたるにて、勝ても仁義の勇者とせず、武功は亂世にのみありとおもひ、劔は鞘をはづして功を立るものとのみおもふは、大なる僻事なるべく候、亂るゝ時に軍を出し、常に刀劔の鞘をはづす事は、唯やむ事を得ざるにて、智仁勇の心には不可有候、

新字:一武士仁義文武を家業とすると云事は、此仁義の内に諸の事こもれり、本より君臣、父子、礼智信の道は、いふにも及ばざればなり、然るに文武の二ッのものは、たとへば左右の手のごとし、相助ずしては立べからず候、それ文道は、書を読ざれども、よく行ひの道であたるをもつて、士君子とし、武道は常に励務めて、用る事なきを以、達徳の賢武士とせり、仁義本より文武の二ッなり、仁は文道の花のごとく、義は武道の花のごとし、此二ッをよく治得て、自由するものをもつて、智といへり、右三ッのもの〻、全く備るを以、智仁勇の三徳とはいへり、されば寝ても、寤ても、或は食事の時も此仁義の道ははなるべからず候、此道欠たる人をば、禄貴く、爵高くとも、武門とはいひ難く候、然るに文学を好みあまたの書を見るとも、道を行ずして仁化なき人は、文あるとはいふべからず候、又武芸千万人に秀るとも、血気にはやり、剽殺を事とする人は、武とは云べからず候、武は内に蔵て外に陽さず、則刀剣の鞘にありて、其威の厳なるがごとし、是其鞘をはづすに至りては、武徳の衰へたるにて、勝ても仁義の勇者とせず、武功は乱世にのみありとおもひ、剣は鞘をはづして功を立るものとのみおもふは、大なる僻事なるべく候、乱るゝ時に軍を出し、常に刀剣の鞘をはづす事は、唯やむ事を得ざるにて、智仁勇の心には不可有候、

書き下し

一武士仁義文武を家業とすると云事は、此仁義の內に諸の事こもれり、本より君臣、父子、禮智信の道は、いふにも及ばざればなり、然るに文武の二ッのものは、たとへば左右の手のごとし、相助ずしては立べからず候、それ文道は、書を讀ざれども、よく行ひの道であたるをもつて、士君子とし、武道は常に勵務めて、用る事なきを以、達德の賢武士とせり、仁義本より文武の二ッなり、仁は文道の花のごとく、義は武道の花のごとし、此二ッをよく治得て、自由するものをもつて、智といへり、右三ッのもの〻、全く備るを以、智仁勇の三德とはいへり、されば寢ても、寤ても、或は食事の時も此仁義の道ははなるべからず候、此道缺たる人をば、祿貴く、爵高くとも、武門とはいひ難く候、然るに文學を好みあまたの書を見るとも、道を行ずして仁化なき人は、文あるとはいふべからず候、又武藝千萬人に秀るとも、血氣にはやり、剽殺を事とする人は、武とは云べからず候、武は內に藏て外に陽さず、則刀劔の鞘にありて、其威の嚴なるがごとし、是其鞘をはづすに至りては、武德の衰へたるにて、勝ても仁義の勇者とせず、武功は亂世にのみありとおもひ、劔は鞘をはづして功を立るものとのみおもふは、大なる僻事なるべく候、亂るゝ時に軍を出し、常に刀劔の鞘をはづす事は、唯やむ事を得ざるにて、智仁勇の心には不可有候、

現代語訳

一つ、武士が仁義文武を家業とするということは、この仁義の内にさまざまなことが含まれています。もとより君臣・父子・礼智信の道は言うまでもないことだからです。そのうえで文と武の二つは、たとえば左右の手のようなもので、互いに助け合わなければ立つことができません。そもそも文の道は、書を読まなくても、よく行いの道に適う者を士君子とし、武の道は、常に励み努めて、それを用いることがないのを、達徳の賢い武士とします。仁義はもともと文と武の二つであり、仁は文の道の花のようなもの、義は武の道の花のようなものです。この二つをよく治め得て、自在に用いる者を智といいます。この三つがすべて備わることを、智・仁・勇の三徳というのです。ですから、寝ても覚めても、あるいは食事のときも、この仁義の道から離れてはなりません。この道を欠いた人は、禄が高く爵位が高くても、武門とは言いがたいのです。また、文学を好んで多くの書を見ても、道を行わず仁の感化のない人は、文があるとは言えません。さらに、武芸が千万人にぬきんでていても、血気にはやり、人を傷つけ殺すことを事とする人は、武とは言えません。武は内に蔵して外に表さないもので、たとえば刀剣が鞘の中にあってその威厳が厳かなようなものです。その鞘をはずすに至っては武徳が衰えたのであり、勝っても仁義の勇者とはしません。武功は乱世にだけあると思い、剣は鞘をはずして功を立てるものとばかり思うのは、大きな誤りです。乱れたときに軍を出し、常に刀剣の鞘をはずすことは、ただやむを得ないことであって、智・仁・勇の心にあってはならないことです。

解説

文と武を左右の手にたとえ、どちらが欠けても立たないと説きます。書を読んでも行わなければ文ではなく、力があっても荒々しければ武ではない、という指摘は鋭いものです。そして力は鞘に収めてこそ威が保たれるとします。現代に置き換えれば、知識と実行、権限と自制の両立です。管理職は、立場の強さを振りかざさず、必要なときだけ最小限に使う節度を持つことで、かえって周囲の信頼と敬意を集めることができます。
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この章句が説くこと

『武備和訓』片島武矩文武智仁勇鞘武徳

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