武備小学抄録 / 自序・師の遺命を受け武備小學と名づける
嬰疾病招予謂曰。吾所著之書或繁或略。改其題刪其繁詳其略。予不得辭而承命矣。不日先師歸泉。風花不再春。霜蘭易逢秋。人之生也有命焉。世有亡而不亡者名與道也。先師功于世也。遺名與道於不窮者也。予取其書雖欲校正之。旣其書行于鄕矣。今校正之則人豈可信之乎。雖然有同席而聞遺命之同志矣。此非予之私之證也。是以易藁再三而成。名曰武備小學。誠小知而可大受也。其大者有七書武備志之在焉。享保二稔丁酉冬十二月端五日伊奈貞昭欽書
新字:嬰疾病招予謂曰。吾所著之書或繁或略。改其題刪其繁詳其略。予不得辞而承命矣。不日先師帰泉。風花不再春。霜蘭易逢秋。人之生也有命焉。世有亡而不亡者名与道也。先師功于世也。遺名与道於不窮者也。予取其書雖欲校正之。既其書行于郷矣。今校正之則人豈可信之乎。雖然有同席而聞遺命之同志矣。此非予之私之証也。是以易藁再三而成。名曰武備小学。誠小知而可大受也。其大者有七書武備志之在焉。享保二稔丁酉冬十二月端五日伊奈貞昭欽書
書き下し
疾病に嬰り、予を招きて謂ひて曰く、吾が著す所の書、或は繁に或は略なり。其の題を改め其の繁を刪り其の略を詳らかにせよ、と。予辭するを得ずして命を承く。日ならずして先師泉に歸す。風花は再び春ならず、霜蘭は秋に逢ひ易し。人の生や命有り。世に亡びて亡びざる者は名と道となり。先師の世に功あるや、名と道とを不窮に遺す者なり。予其の書を取りて之を校正せんと欲すと雖も、旣に其の書は鄕に行はる。今之を校正せば則ち人豈に之を信ずべけんや。然りと雖も席を同じくして遺命を聞く同志有り。此れ予が私の證に非ざるなり。是を以て藁を易ふること再三にして成る。名づけて武備小學と曰ふ。誠に小知にして大受すべきなり。其の大なる者は七書武備志の在る有り。享保二稔丁酉冬十二月端五日、伊奈貞昭欽んで書す。
現代語訳
病にかかった師は私を招いて、「私の著した書は、詳しすぎるところもあれば簡略なところもある。その題を改め、煩雑な部分を削り、簡略な部分を詳しくせよ」と言われました。私は辞退できず、命を承けました。ほどなく先師は亡くなりました。風に舞う花は再び春を迎えず、霜の中の蘭は秋に逢いやすいといいます。人の生には天命があります。世に亡んでも亡びないものは、名と道です。先師が世に尽くした功は、名と道を窮まりなく遺すものです。私はその書を校正しようとしましたが、すでにその書は郷里で行われており、今これを校正すれば、人々はどうして信じるでしょうか。しかし、席を同じくして遺命を聞いた同志がいます。これは私一人の言い分の証ではありません。そこで草稿を改めること再三にして成り、『武備小學』と名づけました。まことに小さな知ではありますが、大きく受け取ることもできます。その大きなものには『七書武備志』があります。享保二年(丁酉)冬十二月五日、伊奈貞昭つつしんで書す。
解説

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『武家小学』・和解の由来郷者に素行軒山鹿先生武敎小學を著して、武敎の垂戒既に明也、然ども後生其門に入て學ざれば書を得て敎を受るに由なし、今也予武敎小學の旨趣を國字になして童蒙の見に便あらしむ、仍て武家小學と題す、聊武家蒙求の一助とならん事を希のみ、然れども予素より不學の身なれば、爭か先師の至意を爰に全く述る事を得ん哉、只鄙情得る所直ちに是を述るのみ、讀者其詞の陋を以て誹て弃る事なかれと、爾云、文政己卯春 後學 高林(高階)政明謹識
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『武備小学抄録』・應變爲常第一・可識常與變肝要事・変を常として備え、事に応じる今日則亂世の心になりて、戰場の作法、軍用の備へ、武具馬具にも委敷心を用ひ、明日ありと思ふ心を止て、今日此事を仕舞はてではならざる事と思ふ樣に、隨分細かに詮議を遂、作法正しく士たる者の本意に背ぬやふにすべし、心を變の塲におけば、それがすぐに常となりて、變出來りても、鼓の桴におふじて音いて、鏡にかげのうつるよりも速也、か樣なれば氣も浩然になりて、仁義の大勇士たるべし、
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『武備小学抄録』・可重義輕命事・多聞多見・問う恥・心の勝ちを学ぶ刄にかゝるとに不功者、俗情迷有を辨ふべし、一多聞多見て、知慧を擴むべし、智淺くば肝要を不知、隨分何事も心懸しるべし、一古老の曰武道は我も人も弱氣を見せず、慮外不仕樣可心得事、一亦曰、言葉づかひ惡敷、萬事かさつに不禮なるは、至ておく病ものと必定すべし、一又曰、武道には無限妙術有事を知るべし、たとへ不知之共、妙術あるもの也と計も可知、小成に安んずるは智の不足也、たとへば蛄蜣の丸を轉じて蘇香を賤しんずるにとならず、一心の勝、仕方の負といふ事を知るべし、一萬事口と覺と計にて、心底に得ざれば、不知怠るなり、眞實に躰認してわするべからず、一不知事問に恥べからず、下問に恥とも古人申されしとかや、恥て問ざれば一生しらで過る也、一柱に膠し、船を剉て、劔を求る事をなすべからず、
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