弁名 / 陰陽五行
陰陽者。聖人作易。所立以爲天之道者也。所謂極也。學者以陰陽爲準。以此而觀乎天道之流行。萬物之自然。則庶或足以窺之也。然至人事則不然。何則。聖人不立此以爲人之道故也。後世說陰陽者。其言曼衍。遂至被之人之道。謬矣。且易主占筮。以稽其疑。以決其幾。故四象八卦六十四卦三百八十四爻。不出奇偶。則亦不出陰陽。判以爲二故也。聖人之道主行之。行之者貴一。是其所以不與它經同也。學者察諸。
新字:陰陽者。聖人作易。所立以為天之道者也。所謂極也。学者以陰陽為準。以此而観乎天道之流行。万物之自然。則庶或足以窺之也。然至人事則不然。何則。聖人不立此以為人之道故也。後世説陰陽者。其言曼衍。遂至被之人之道。謬矣。且易主占筮。以稽其疑。以決其幾。故四象八卦六十四卦三百八十四爻。不出奇偶。則亦不出陰陽。判以為二故也。聖人之道主行之。行之者貴一。是其所以不与它経同也。学者察諸。
書き下し
陰陽は、聖人易を作り、立てて以て天の道と為す所の者なり。所謂極なり。学者陰陽を以て準と為し、此を以て天道の流行、万物の自然を観れば、則ち庶はくは以て之を窺ふに足らん。然れども人事に至りては則ち然らず。何となれば、聖人此を立てて以て人の道と為さざるが故なり。後世陰陽を説く者、其の言曼衍し、遂に之を人の道に被らしむるに至る。謬れり。且つ易は占筮を主とし、以て其の疑ひを稽へ、以て其の幾を決す。故に四象・八卦・六十四卦・三百八十四爻、奇偶を出でず、則ち亦た陰陽を出でず。判ちて以て二と為すが故なり。聖人の道は之を行ふを主とし、之を行ふ者は一を貴ぶ。是れ其の它経と同じからざる所以なり。学者諸を察せよ。
現代語訳
陰陽とは、聖人が易を作ったとき、天の道として立てたものである。いわゆる「極(基準)」である。学ぶ者が陰陽を基準とし、それによって天道のめぐりや万物の自然を観察すれば、それをうかがい知ることができるだろう。しかし人の事柄についてはそうではない。なぜなら、聖人はこれを人の道として立てなかったからである。後世、陰陽を説く者は、その言葉がとめどなく広がり、ついに人の道にまでかぶせるに至った。誤りである。しかも易は占いを主とし、それで疑いを考え、兆しを見て決断する。だから四象・八卦・六十四卦・三百八十四爻は、奇数と偶数を出ず、陰陽を出ない。二つに分けるからである。聖人の道は行うことを主とし、行うには一つにまとまることを貴ぶ。これが易がほかの経書と同じでない理由である。学ぶ者はよく見極めよ。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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