弁名 / 理氣人欲
以天理人欲爲工夫之條目者。自程子始。按程子與邵子善。而服其聰敏。葢見邵子之數加一倍法。陰師其術。以御聖人之道耳。邵子之學。數也。本於易。易以稽疑決幾。故萬物觸目析爲兩片。固其所也。程子之學。貴知。主見之。而苦夫聖人之道渾渾爾。故借邵子加一倍法。析以二之。取諸樂記之文。以飾其言。自是之後。遂爲後世儒者之常言也。然其所指以爲天理人欲者。既非樂記之意。而其以爲工夫之條目者。亦大戾於先王孔子之敎焉。葢先王孔子之敎。養以成其德。則惡皆化爲善矣。豈有二者之目哉。宋儒之學。貴知。主見之。專以是非之心見之。故必欲析爲兩片者。亦勢之所必至也。故欲闢佛氏。反陷於彼眞如無明菩提煩惱之說。豈不哀哉。
新字:以天理人欲為工夫之条目者。自程子始。按程子与邵子善。而服其聰敏。葢見邵子之数加一倍法。陰師其術。以御聖人之道耳。邵子之学。数也。本於易。易以稽疑決幾。故万物触目析為両片。固其所也。程子之学。貴知。主見之。而苦夫聖人之道渾渾爾。故借邵子加一倍法。析以二之。取諸楽記之文。以飾其言。自是之後。遂為後世儒者之常言也。然其所指以為天理人欲者。既非楽記之意。而其以為工夫之条目者。亦大戻於先王孔子之教焉。葢先王孔子之教。養以成其徳。則悪皆化為善矣。豈有二者之目哉。宋儒之学。貴知。主見之。専以是非之心見之。故必欲析為両片者。亦勢之所必至也。故欲闢仏氏。反陥於彼真如無明菩提煩悩之説。豈不哀哉。
書き下し
天理人欲を以て工夫の条目と為す者は、程子より始まる。按ずるに程子は邵子と善く、而して其の聡敏に服す。蓋し邵子の数の加一倍法を見て、陰かに其の術を師とし、以て聖人の道を御するのみ。邵子の学は数なり。易に本づく。易は以て疑ひを稽へ幾を決す。故に万物目に触るれば析きて両片と為す。固より其の所なり。程子の学は、知を貴び、之を見るを主とす。而して夫の聖人の道の渾渾爾たるに苦しむ。故に邵子の加一倍法を借りて、析きて以て之を二つにし、諸を楽記の文に取りて、以て其の言を飾る。是れより後、遂に後世儒者の常言と為る。然れども其の指して以て天理人欲と為す所の者、既に楽記の意に非ず。而して其の以て工夫の条目と為す者も、亦た大いに先王孔子の教に戻る。蓋し先王孔子の教は、養ひて以て其の徳を成せば、則ち悪は皆化して善と為る。豈に二者の目有らんや。宋儒の学は、知を貴び、之を見るを主とし、専ら是非の心を以て之を見る。故に必ず析きて両片と為さんと欲する者も、亦た勢の必ず至る所なり。故に仏氏を闢かんと欲して、反りて彼の真如無明菩提煩悩の説に陥る。豈に哀しからずや。
現代語訳
天理と人欲を修養の項目としたのは程子に始まる。考えてみると、程子は邵雍(邵子)と親しく、その聡明さに感服していた。おそらく邵雍の数の「加一倍法」(一を二に、二を四にと倍に分けていく法)を見て、ひそかにその術を手本とし、それで聖人の道を扱ったのであろう。邵雍の学は数であり、易にもとづく。易は疑いを考え、兆しを見て決断するものである。だから目に触れる万物を二つに割るのは当然である。程子の学は知を貴び、見ることを主とする。そして聖人の道が渾然としてつかみにくいことに苦しんだ。そこで邵雍の加一倍法を借りて二つに分け、楽記の文を取ってその言葉を飾った。これ以後、ついに後世の儒者の決まり文句となった。しかし、彼が天理・人欲として指したものはすでに楽記の意味ではなく、それを修養の項目としたことも、先王や孔子の教えに大いに背いている。思うに、先王や孔子の教えは、養って徳を成せば、悪はみな変化して善となるのである。どうして二つの項目があろうか。宋儒の学は知を貴び、見ることを主とし、もっぱら是非の心で物を見る。だから必ず二つに割ろうとするのも、成り行き上必ずそうなることである。それゆえ仏教を退けようとして、かえって仏教の真如と無明、菩提と煩悩の説に陥った。哀しいことではないか。
解説
この章句が説くこと
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