弁名 / 元亨利貞
貞者。存乎中者不變也。曰開物成務。曰成天下之亹亹。是卜筮之道。本在使人能勤其事不怠也。凡天下之事。人力居其半。而天意居其半焉。人力之所能。人能知之。而天意所在。則不能知之。不知則疑。疑則怠而不勤。怠而不勤。則併其人力不用之。事之所以壞也。故聖人作卜筮。以稽其疑。藉是而人得知夫天意所在。亹亹爲之不已。事之所以成也。
新字:貞者。存乎中者不変也。曰開物成務。曰成天下之亹亹。是卜筮之道。本在使人能勤其事不怠也。凡天下之事。人力居其半。而天意居其半焉。人力之所能。人能知之。而天意所在。則不能知之。不知則疑。疑則怠而不勤。怠而不勤。則併其人力不用之。事之所以壊也。故聖人作卜筮。以稽其疑。藉是而人得知夫天意所在。亹亹為之不已。事之所以成也。
書き下し
貞とは、中に存する者変ぜざるなり。「物を開き務を成す」と曰ひ、「天下の亹亹を成す」と曰ふ。是れ卜筮の道は、本と人をして能く其の事に勤めて怠らざらしむるに在るなり。凡そ天下の事は、人力其の半ばに居り、天意其の半ばに居る。人力の能くする所は、人能く之を知る。而して天意の在る所は、則ち之を知る能はず。知らざれば則ち疑ふ。疑へば則ち怠りて勤めず。怠りて勤めざれば、則ち其の人力を併せて之を用ひず。事の壊るる所以なり。故に聖人卜筮を作りて、以て其の疑ひを稽ふ。是に藉りて人夫の天意の在る所を知るを得て、亹亹として之を為して已まず。事の成る所以なり。
現代語訳
「貞」とは、心のうちにあるものが変わらないことである。易に「物事を開いて務めを成し遂げる」とあり、「天下の勉め励むことを成就させる」とある。卜筮の道は、もともと人に自分の仕事を勤めて怠らないようにさせることにあるのである。およそ天下の事は、人の力がその半分を占め、天の意がその半分を占める。人の力でできることは、人にも分かる。しかし天の意がどこにあるかは分からない。分からなければ疑う。疑えば怠けて勤めなくなる。怠けて勤めなければ、人の力の分まで使わなくなってしまう。これが事の壊れる理由である。だから聖人は卜筮を作って、その疑いを決めさせた。それによって人は天意のありかを知ることができ、たゆまず励んでやまない。これが事の成る理由である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』元亨利貞故に「務を成す」と曰ひ、「亹亹を成す」と曰ふは、是の謂ひなり。然れども其の人中に存する者渝れば、則ち終に亦た怠るのみ。故に諸卦皆「貞に利し」と曰ふ。変ぜざる者の必ず成るを謂ふなり。「其の徳を恒にせざれば、或いは之に羞を承く」。孔子曰く、「占はざるのみ」と。亦た此の意なり。它の、変を悔と曰ひ、変ぜざるを貞と曰ひ、「貞勝」「貞観」「貞明」「一に貞なり」、及び「君子は貞にして諒ならず」、及び貞女の貞の如き、皆変ぜざるの義なり。又た伝に多く貞を訓じて正と為す者の如きは、本と位の当たるを正と為すを謂ふ。陽は陽位に居り、陰は陰位に居る、是れなり。陽、陰位に居り、陰、陽位に居るは、魚鼈を山に移し、草木を河海に植うるが如く、則ち必ず其の性を失ふのみ。凡そ天下の物、唯だ性は変ずべからず。故に「利貞とは性情なり」と曰ふ。然れども物と位と当たらざれば、必ず其の性を失ふに至る。性を失へば則ち変じ、貞と為すを得ず。是れ貞を訓じて正と為すの義なり。
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『弁名』元亨利貞志挫けざれば則ち百事皆成すべし。故に文言に曰く、「貞固以て事を幹するに足る」と。亦た君子の道を以て易を解する者なり。元は或いは首と為し、或いは大と為す。亨は或いは通と為し、或いは聘享と為す。利は或いは以て我其の利を得と為し、或いは以て人を利すと為す。貞は或いは以て変ぜずと為し、或いは以て位に当たると為す。是れ易の典要と為すべからざる、他書と殊なる所以なり。然るに後世の儒者、傅会するに天道を以てし、又た仁義礼智を以て之に配するに至りては、則ち牽強遷就し、文意を成さず。妄も亦た甚だしいかな。
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『弁名』元亨利貞元亨利貞とは、卦徳の名なり。諸儒以て天に斯の四徳有りと為す者は謬れり。乾を天と為すが如きも、亦た後人其の象を取ると云ふのみ。其の実は乾は自ら乾、天は自ら天。豈に混ずべけんや。「易に天道有り、人道有り、地道有り」と曰ふが如きも、亦た後人其の象を玩べば、則ち易に三才の道有るを見るのみ。豈に必ずしも天道ならんや。大抵易の書為る、占筮を主とす。故に其の辞を設くること他書と同じからず、之を読むの道も、亦た他書と同じからず。「観る」と曰ひ、「玩ぶ」と曰ひ、「典要と為すべからず」と曰ふ、以て見るべきのみ。故に乾の元亨利貞は当に易を以て之を観るべし。必ずしも天道及び聖人の道を引きて之を解せず。其の之を用ふるに至りては、則ち以て天道と為すも亦た可なり。以て地道と為すも亦た可なり。以て聖人の道と為すも亦た可なり。以て君子の道と為すも亦た可なり。以て庶人の道と為すも亦た可なり。故に「典要と為すべからず」と曰ふなり。
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伝習録・黄修易録問う、「『易』は、朱子は卜筮を主とし、程の『伝』は理を主とす。何如」と。先生曰く、「卜筮は是れ理なり。理も亦た是れ卜筮なり。天下の理、孰か卜筮より大なる者有らんや。只だ後世、卜筮を将(も)って専ら占卦の上に主として看了るが為に、所以に卜筮を看得ること小芸に似たり。知らず、今の師友の問答、博く学び、審らかに問い、慎みて思い、明らかに辨じ、篤く行うの類は、皆な是れ卜筮なり。卜筮なる者は、狐疑を決するを求め、吾が心を神明にするに過ぎざるのみ。『易』は是れ諸を天に問う。人、疑い有りて、自ら信ずること及ばず。故に『易』を以て天に問う。人心は尚お渉る所有り、惟だ天のみ偽りを容れざるを謂うのみ」と。
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易経・繋辞下能く諸を心に説ばしめ、能く諸を侯の慮に研き、天下の吉凶を定め、天下の亹亹たる者を成す。是の故に、変化云為あれば、吉事に祥有り。事を象りて器を知り、事を占いて来を知る。天地位を設けて、聖人能を成す。人謀り鬼謀りて、百姓能に与る。八卦は象を以て告げ、爻彖は情を以て言う。剛柔雑り居りて、吉凶見るべし。
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『弁名』陰陽五行陰陽は、聖人易を作り、立てて以て天の道と為す所の者なり。所謂極なり。学者陰陽を以て準と為し、此を以て天道の流行、万物の自然を観れば、則ち庶はくは以て之を窺ふに足らん。然れども人事に至りては則ち然らず。何となれば、聖人此を立てて以て人の道と為さざるが故なり。後世陰陽を説く者、其の言曼衍し、遂に之を人の道に被らしむるに至る。謬れり。且つ易は占筮を主とし、以て其の疑ひを稽へ、以て其の幾を決す。故に四象・八卦・六十四卦・三百八十四爻、奇偶を出でず、則ち亦た陰陽を出でず。判ちて以て二と為すが故なり。聖人の道は之を行ふを主とし、之を行ふ者は一を貴ぶ。是れ其の它経と同じからざる所以なり。学者諸を察せよ。
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