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弁名 / 節儉

儉者節用也。如溫良恭儉讓。宋儒誤以爲聖人威儀。遂謂儉不止節用者。非矣。蓋儉者仁人之道也。王者之大德也。堯舜茅茨不剪。土階三尺。禹惡衣服。菲飮食。卑宮室。豈不然乎。孟子所謂仁民而愛物。蓋古言也。謂愛惜物也。因孟子又有愛牛之說。而宋儒誤以爲慈愛之愛者。非也。數罟不入洿池。斧斤以時入山林。皆不暴天物之義也。若徒以慈愛言之。則孰若浮屠之戒殺乎。孟子所以仁術言之者。欲以誘齊王。其好辯之失。率如是耳。

新字:倹者節用也。如温良恭倹譲。宋儒誤以為聖人威儀。遂謂倹不止節用者。非矣。蓋倹者仁人之道也。王者之大徳也。堯舜茅茨不剪。土階三尺。禹悪衣服。菲飲食。卑宮室。豈不然乎。孟子所謂仁民而愛物。蓋古言也。謂愛惜物也。因孟子又有愛牛之説。而宋儒誤以為慈愛之愛者。非也。数罟不入洿池。斧斤以時入山林。皆不暴天物之義也。若徒以慈愛言之。則孰若浮屠之戒殺乎。孟子所以仁術言之者。欲以誘斉王。其好弁之失。率如是耳。

書き下し

倹は用を節するなり。「温良恭倹譲」の如き、宋儒誤りて以て聖人の威儀と為し、遂に倹は止だ用を節するのみならずと謂ふ者は、非なり。蓋し倹は仁人の道なり、王者の大徳なり。堯舜の茅茨剪らず、土階三尺、禹の衣服を悪しくし、飲食を菲くし、宮室を卑くす、豈に然らずや。孟子の所謂「民を仁して物を愛す」は、蓋し古言なり。物を愛惜するを謂ふなり。孟子に又た牛を愛するの説有るに因りて、宋儒誤りて以て慈愛の愛と為す者は、非なり。「数罟洿池に入れず、斧斤時を以て山林に入る」は、皆天物を暴はざるの義なり。若し徒らに慈愛を以て之を言はば、則ち孰れか浮屠の殺を戒むるに若かんや。孟子の仁術を以て之を言ふ所以の者は、以て斉王を誘はんと欲すればなり。其の弁を好むの失、率ね是くの如きのみ。

現代語訳

倹とは費用を節することである。「温・良・恭・倹・譲」について、宋儒は誤って聖人の威儀(立ち居振る舞い)のことだと考え、ついに倹はただ費用を節するだけではないと言ったが、誤りである。思うに倹は仁者の道であり、王者の大きな徳である。堯や舜は茅葺きの屋根の端を切りそろえず、土の階段は三尺だけ、禹は衣服を粗末にし、飲食を質素にし、宮殿を低くした。まさにそうではないか。孟子のいう「民を慈しみ物を愛する」は古い言葉で、物を惜しんで大切にすることをいう。孟子にはまた(斉王が)牛を哀れむ話があるので、宋儒は誤ってこの愛を慈愛の愛としたが、そうではない。「目の細かい網を池に入れない、斧は時節を選んで山林に入れる」というのは、みな天の産物をむやみに損なわないという意味である。もしただ慈愛で言うのなら、仏教の殺生戒に勝るものはなかろう。孟子が「仁術」と言ったのは、斉王を誘い導こうとしたからである。孟子の弁論好きの誤りは、おおむねこのようなものである。

解説

倹とは費用を節すること、つまり物を惜しんで大切に使うことであり、仁者の道、王者の大徳だと徂徠は言う。堯舜や禹の質素な暮らしがその手本である。孟子の「物を愛す」も慈愛ではなく、物を惜しむという古い用法で、細かい網を使わず時節を選んで木を伐るのは資源を損なわないためだった。上に立つ者の倹約は、ケチではなく天下の資源を預かる者の責任だという視点である。会社の経費や地球の資源も、預かりものとして無駄なく使う姿勢が、長く続く経営を支えるのである。

この章句が説くこと

倹節用仁王者資源弁名

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