弁名 / 勇武剛强毅
剛柔之反。與强勇殊義。辟如木與金。木柔而金剛。至於水則至柔而物莫能與之爭。是强也。非剛也。剛强之分。可以見已。朱子曰。勇者剛之發。剛者勇之體。孔子既以剛勇爲六言之二。其爲二德者審矣。可謂妄已。蓋其爲人果敢烈烈。不可干之。是剛也。如子房之勇。豈然乎。是可以知剛勇之辨也。如易剛柔以語卦爻之德。而易之道尙玩其象。玩象以求之。所包甚廣。故其所謂剛柔。不與它書同。宋儒混而一之。故有是失已。學者察諸。毅亦剛之類。以其力有所堪言之。
新字:剛柔之反。与強勇殊義。辟如木与金。木柔而金剛。至於水則至柔而物莫能与之争。是強也。非剛也。剛強之分。可以見已。朱子曰。勇者剛之発。剛者勇之体。孔子既以剛勇為六言之二。其為二徳者審矣。可謂妄已。蓋其為人果敢烈烈。不可干之。是剛也。如子房之勇。豈然乎。是可以知剛勇之弁也。如易剛柔以語卦爻之徳。而易之道尚玩其象。玩象以求之。所包甚広。故其所謂剛柔。不与它書同。宋儒混而一之。故有是失已。学者察諸。毅亦剛之類。以其力有所堪言之。
書き下し
剛は柔の反、強勇と義を殊にす。辟へば木と金との如し。木は柔にして金は剛なり。水に至りては則ち至柔にして物能く之と争ふ莫し。是れ強なり、剛に非ざるなり。剛強の分、以て見るべきのみ。朱子曰く「勇は剛の発、剛は勇の体」と。孔子既に剛勇を以て六言の二と為す。其の二徳たること審らかなり。妄なりと謂ふべきのみ。蓋し其の人と為り果敢烈烈として、之を干すべからざる、是れ剛なり。子房の勇の如き、豈に然らんや。是れ以て剛勇の弁を知るべきなり。易の剛柔を以て卦爻の徳を語るが如きは、易の道は其の象を玩ぶを尚ぶ。象を玩びて以て之を求むれば、包む所甚だ広し。故に其の所謂剛柔は、它書と同じからず。宋儒混じて之を一にす、故に是の失有るのみ。学者諸を察せよ。毅も亦た剛の類なり。其の力の堪ふる所有るを以て之を言ふ。
現代語訳
剛は柔の反対で、強や勇とは意味が違う。たとえば木と金のようなもので、木は柔らかく金は剛い。水に至っては、この上なく柔らかいのに、何ものもこれと争えない。これは強であって剛ではない。剛と強の違いはこれで見てとれる。朱子は「勇は剛が外に発したもの、剛は勇の本体」と言ったが、孔子はすでに剛と勇を六言(六つの徳目)のうちの二つとしており、それが別々の二つの徳であることは明らかだ。でたらめと言うべきである。思うに、人柄が果敢で激しく、侵しがたい、これが剛である。張良(子房)の勇などが、どうしてそうであろうか。これで剛と勇の区別がわかる。易が剛柔で卦や爻の徳を語るのは、易の道がその象(かたち)を味わうことを尊ぶからで、象を味わって求めれば含むところは非常に広い。だから易のいう剛柔は他の書と同じではない。宋儒はこれを混同して一つにしたから、このような誤りがあるのである。学ぶ者はよく考えよ。毅もまた剛の類で、その力が持ちこたえるところについて言う。
解説
この章句が説くこと
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