弁名 / 聖
聖者作者之稱也。樂記曰。作者之謂聖。述者之謂明。表記曰。後世雖有作者。虞帝弗可及也已矣。古之天子。有聰明睿智之德。通天地之道。盡人物之性。有所制作。功侔神明。利用厚生之道。於是乎立。而萬世莫不被其德。所謂伏羲神農黃帝。皆聖人也。然方其時。正德之道未立。禮樂未興。後世莫得而祖述焉。至於堯舜。制作禮樂。而正德之道始成焉。君子以成德。小人以成俗。刑措不用。天下大治。王道肇是矣。是其人倫之至。參贊造化。有以財成天地之道。輔相天地之宜。而立以爲萬世之極。孔子序書。所以斷自唐虞者。爲是故也。
新字:聖者作者之称也。楽記曰。作者之謂聖。述者之謂明。表記曰。後世雖有作者。虞帝弗可及也已矣。古之天子。有聰明睿智之徳。通天地之道。尽人物之性。有所制作。功侔神明。利用厚生之道。於是乎立。而万世莫不被其徳。所謂伏羲神農黄帝。皆聖人也。然方其時。正徳之道未立。礼楽未興。後世莫得而祖述焉。至於堯舜。制作礼楽。而正徳之道始成焉。君子以成徳。小人以成俗。刑措不用。天下大治。王道肇是矣。是其人倫之至。参賛造化。有以財成天地之道。輔相天地之宜。而立以為万世之極。孔子序書。所以断自唐虞者。為是故也。
書き下し
聖なる者は作者の称なり。楽記に曰く、「作る者之を聖と謂ひ、述ぶる者之を明と謂ふ」と。表記に曰く、「後世作る者有りと雖も、虞帝は及ぶべからざるのみ」と。古の天子は、聡明睿智の徳有り、天地の道に通じ、人物の性を尽くし、制作する所有りて、功は神明に侔し。利用厚生の道、是に於てか立ちて、万世其の徳を被らざる莫し。所謂伏羲・神農・黄帝は、皆聖人なり。然れども其の時に方りて、正徳の道未だ立たず、礼楽未だ興らず、後世得て祖述する莫し。堯舜に至りて、礼楽を制作して、正徳の道始めて成る。君子は以て徳を成し、小人は以て俗を成す。刑措きて用ひず、天下大いに治まる。王道是に肇まる。是れ其の人倫の至りにして、造化に参賛し、以て天地の道を財成し、天地の宜を輔相する有りて、立てて以て万世の極と為す。孔子の書を序して、断ずるに唐虞よりする所以の者は、是が為の故なり。
現代語訳
聖とは「作った者」の呼び名である。『礼記』楽記に「作る者を聖といい、述べる者を明という」とあり、表記に「後世に作る者がいても、虞帝(舜)には及ばない」とある。古の天子は聡明で深い知恵の徳を持ち、天地の道に通じ、人と物の性を知り尽くして、制度や器物を作り出し、その功績は神々に等しかった。物を役立て暮らしを豊かにする道はここに立ち、万世の人々がその徳の恩恵を受けた。伏羲・神農・黄帝はみな聖人である。しかしその時代には、徳を正す道はまだ立たず、礼楽もまだ興っておらず、後世がそれを受け継ぐことはできなかった。堯・舜に至って礼楽を制作し、徳を正す道がはじめて成った。君子はそれによって徳を成し、庶民はそれによって良い風俗を成した。刑罰は置かれたまま用いられず、天下は大いに治まった。王道はここに始まる。これは人の道の極みであり、天地の造化に参与して、天地の道を裁ち整え、天地のよろしきを助けて、それを万世の規範として立てたのである。孔子が『書経』を編んで唐虞(堯・舜)から始めたのは、このためである。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』聖夫れ聖人も亦た人のみ。人の徳は性を以て殊なり。聖人と雖も其の徳豈に同じからんや。而して均しく之を聖人と謂ふ者は、制作を以ての故なり。唯だ制作の迹のみ見るべし。其の見るべきに就きて以て之に命じ、而して敢へて其の徳を論ぜず。尊ぶことの至りなり。古の道爲り爾り。後儒は精を貴び粗を賤しむの見、内に主と為る。故に礼楽の之を道と謂ふを知らず。又聖人の称の制作に因りて之に命ずるを知らず。徒らに其の徳を以て之を論じて、徳の性を以て殊なるを知らざるなり。徳の殊なるは、以て其の聖を病ましむるに足らず。妄りに意ふ、聖人の徳は宜しく一なるべしと。而して其の殊なる有るを睹れば、則ち孔子は堯舜より優れりと曰ひ、湯武は聖人に非ずと曰ふ。豈に忌憚無きの甚しき者に非ずや。
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『弁名』聖三代の聖人も、皆亦た堯舜の道に遵ひ、礼楽を制作して、以て一代の極を立つ。蓋し歳月反らず、人亡び世遷り、風俗日に瀉く、以て汚れ以て衰ふ。諸を川流の滔滔として、得て挽くべからざるに辟ふ。三代の聖人其の是くの若きを知り、乃ち前代の礼楽に因りて損益する所有り、以て数百年の風俗を維持し、其れをして遽かに衰へに趨かざらしむる者、是に於てか存す。夫れ堯・舜・禹・湯・文・武・周公の徳は、其の広大高深、備はらざる莫き者、豈に名状すべけんや。祇だ其の事業の大、神化の至り、制作の上に出づる者無きを以ての故に、之に命けて聖人と曰ふのみ。
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『弁道』第五則先王の聡明睿知の徳は、諸を天性に稟く。凡人の能く及ぶ所に非ず。故に古は学びて聖人と為るの説無きなり。蓋し先王の徳は衆美を兼ね備へ、得て名づくべきこと難し。而して命けて聖と為す所の者は、諸を制作の一端に取るのみ。先王国を開き、礼楽を制作す。是れ一端なりと雖も、先王の先王たる所以も、亦た唯是れのみ。若し唯其の己に在るの徳を以てせば、則ち天子の分無し。若し天下を平治するの仁を以て之に命くれば、則ち後の賢王も皆爾り。礼楽を制作する、是れ其の大なる者なり。故に以て先王の徳に命くるのみ。其の実、聖も亦た一徳なり。書に「乃ち聖乃ち文」と曰ひ、詩に「聖敬日に躋る」と曰ひ、及び周礼の六徳に聖其の三に居るが如し。是れ豈に先王の徳の全ならんや。
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『弁名』聖蓋し堯・舜・禹・湯・文・武・周公は、作者七人なり。其の制作する所の礼楽政教、君子焉を学ぶ。故に諸を学に祀る。伝に曰く、「先聖先師に釈奠す」と。又曰く、「天子将に出征せんとするや、上帝に類し、社に宜し、禰に造り、征する所の地に禡し、命を祖に受け、成を学に受く。出征して有罪を執へ、反りて学に釈奠し、訊馘を以て告ぐ」と。是れ学に祀る所の神無くんば、何れの所にか成を受け、何れの所にか告げん。詩に曰く、「既に泮宮を作り、淮夷攸に服す。矯矯たる虎臣、泮に在りて馘を献ず。淑く問ふこと皐陶の如く、泮に在りて囚を献ず」、「泮に在りて功を献ず」と。是れ其の事なり。明堂位に曰く、「米廩は有虞氏の庠なり。序は夏后氏の序なり。瞽宗は殷の学なり。頖宮は周の学なり」と。祭義に曰く、「天子四学を設く」と。是れ天子の大学は四代の制を兼ね、四代の聖人を合祀する者なること審らかなり。
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『弁道』第四則先王の道は先王の造る所なり。天地自然の道に非ざるなり。蓋し先王は聡明叡知の徳を以て天命を受け、天下に王たり。其の心一に天下を安んずるを以て務めと為す。是を以て其の心力を尽くし、其の知巧を極め、是の道を作為し、天下後世の人をして是に由りて之を行はしむ。豈に天地自然に之有らんや。伏羲・神農・黄帝も亦た聖人なり。其の作為する所は、猶且つ利用厚生の道に止まる。顓頊・帝嚳を経て堯舜に至り、而る後に礼楽始めて立つ。夏殷周よりして後、粲然として始めて備はる。是れ数千年を更へ、数聖人の心力知巧を更へて成る者にして、亦た一聖人一生の力の能く辨ずる所の者に非ず。故に孔子と雖も亦た学びて後に之を知る。而るを天地自然に之有りと謂ひて可ならんや。
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『弁名』聖周礼の六徳に、智と曰ひ、聖と曰ふ。是れ聖人の徳を岐ちて之を二つにし、以て君子の徳と為すなり。蓋し人の性は同じからず。故に其の智、能く政治の道に通ずる者有り、之に命じて智と曰ふ。能く礼楽鬼神の道に通ずる者有り、之に命じて聖と曰ふ。故に其の所謂聖も、亦た聖人の徳の若きに非ず。曰く、唐虞は九官にして乃ち九徳有り、周は六官にして乃ち六徳有り。徳は性を以て殊なり、徳成りて之を官にす。故に虞・周の官制の異なるは、其の徳を立つる所以の同じからざればなり。
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