山鹿語類 / 士道・明衣服之制
朱子語錄曰、今官員執笏、最無義理、笏者唯在君前記事、恐事多、須以紙粘笏上、記其頭緒、或在君前不可以手指人物、便用笏指之、此笏常只挿在腰間、不執在手中、天子攝齊升堂、何曾手中有笏、攝者是畏謹、恐上階時踏着裳、有顛仆之患、執圭者自是贊見之物、唯是捧至君前、不是如執笏、所以天子執圭時、便足縮々如有循緣、手中有圭、不得攝齊亦防顚仆。馬端臨曰、圭鎭玉也、笏服飾也、圭則執之以爲信、笏則執之以爲飾、晦庵言、笏只是君前記事指畫之具、不當執之於手、然古者天子亦有笏、豈又藉此以記事指畫乎、蓋朝章之服飾也、但天子之笏以玉爲之、其制似圭、而天子與公侯伯之圭、上銳下方、其形類笏、故後人或誤以圭爲笏、然笏者非執則措、不可須臾去身者也、若圭則天子以禮神、諸侯以朝見、天子不過當事之時暫捧之而即尊之、不常執也、嘗見繪禮圖者、繪上公衮冕執桓圭、左手如取笏之狀、是矣、至卿大夫、無圭壁、則端冕盛服而執、所謂羔厂者在手、殊爲可笑、蓋誤以圭爲笏、誤以鎭信之具爲服飾之具故也。今案ずるに馬端臨笏を以て服飾之具とするは又誤れり。聖人何ぞ不入の物を制して服飾とせんや。天子又記事指畫のことあるべからずと云もあやまれり。笏常に身を不離は、天子も又其可忘失之事、今叡慮におもむく處は則しるし付けたまふべし。又指畫して侍臣に示し玉ふべし。手指を出さんは、君臣ともに禮に非ざれば也。故に天子より士に至るまで笏あるべき也。
新字:朱子語録曰、今官員執笏、最無義理、笏者唯在君前記事、恐事多、須以紙粘笏上、記其頭緒、或在君前不可以手指人物、便用笏指之、此笏常只挿在腰間、不執在手中、天子摂斉升堂、何曽手中有笏、摂者是畏謹、恐上階時踏着裳、有顛仆之患、執圭者自是賛見之物、唯是捧至君前、不是如執笏、所以天子執圭時、便足縮々如有循縁、手中有圭、不得摂斉亦防顛仆。馬端臨曰、圭鎮玉也、笏服飾也、圭則執之以為信、笏則執之以為飾、晦庵言、笏只是君前記事指画之具、不当執之於手、然古者天子亦有笏、豈又藉此以記事指画乎、蓋朝章之服飾也、但天子之笏以玉為之、其制似圭、而天子与公侯伯之圭、上鋭下方、其形類笏、故後人或誤以圭為笏、然笏者非執則措、不可須臾去身者也、若圭則天子以礼神、諸侯以朝見、天子不過当事之時暫捧之而即尊之、不常執也、嘗見絵礼図者、絵上公衮冕執桓圭、左手如取笏之状、是矣、至卿大夫、無圭壁、則端冕盛服而執、所謂羔厂者在手、殊為可笑、蓋誤以圭為笏、誤以鎮信之具為服飾之具故也。今案ずるに馬端臨笏を以て服飾之具とするは又誤れり。聖人何ぞ不入の物を制して服飾とせんや。天子又記事指画のことあるべからずと云もあやまれり。笏常に身を不離は、天子も又其可忘失之事、今叡慮におもむく処は則しるし付けたまふべし。又指画して侍臣に示し玉ふべし。手指を出さんは、君臣ともに礼に非ざれば也。故に天子より士に至るまで笏あるべき也。
書き下し
朱子語録曰、今官員執笏、最無義理、笏者唯在君前記事、恐事多、須以紙粘笏上、記其頭緒、或在君前不可以手指人物、便用笏指之、此笏常只挿在腰間、不執在手中、天子摂斉升堂、何曽手中有笏、摂者是畏謹、恐上階時踏着裳、有顛仆之患、執圭者自是賛見之物、唯是捧至君前、不是如執笏、所以天子執圭時、便足縮々如有循縁、手中有圭、不得摂斉亦防顛仆。馬端臨曰、圭鎮玉也、笏服飾也、圭則執之以為信、笏則執之以為飾、晦庵言、笏只是君前記事指画之具、不当執之於手、然古者天子亦有笏、豈又藉此以記事指画乎、蓋朝章之服飾也、但天子之笏以玉為之、其制似圭、而天子与公侯伯之圭、上鋭下方、其形類笏、故後人或誤以圭為笏、然笏者非執則措、不可須臾去身者也、若圭則天子以礼神、諸侯以朝見、天子不過当事之時暫捧之而即尊之、不常執也、嘗見絵礼図者、絵上公衮冕執桓圭、左手如取笏之状、是矣、至卿大夫、無圭壁、則端冕盛服而執、所謂羔厂者在手、殊為可笑、蓋誤以圭為笏、誤以鎮信之具為服飾之具故也。今案ずるに馬端臨笏を以て服飾之具とするは又誤れり。聖人何ぞ不入の物を制して服飾とせんや。天子又記事指画のことあるべからずと云もあやまれり。笏常に身を不離は、天子も又其可忘失之事、今叡慮におもむく処は則しるし付けたまふべし。又指画して侍臣に示し玉ふべし。手指を出さんは、君臣ともに礼に非ざれば也。故に天子より士に至るまで笏あるべき也。
現代語訳
『朱子語録』に言う。「今、官員が笏を手に執るのはまったく道理がない。笏はただ君の前で事を記すもので、事が多いのを恐れて紙を笏の上に貼り、その要点を記すのである。あるいは君の前で手で人や物を指してはならないので、笏で指すのである。この笏は常に腰に挿しておくもので、手に執るものではない。天子が裳の裾をからげて堂に上るのに、どうして手に笏があろうか。からげるのは畏れ慎むからで、階段を上るときに裳を踏んで倒れることを恐れるのである。圭を執るのは、もとより拝謁のための物で、ただ捧げて君の前に至るだけであり、笏を執るのとは違う。だから天子が圭を執る時は、足を小刻みにして何かに沿うようにして歩く。手に圭があって裾をからげることができないので、また倒れるのを防ぐのである」。馬端臨は言う。「圭は鎮めの玉であり、笏は服飾である。圭は執って信とし、笏は執って飾りとする。晦庵(朱子)は、笏はただ君の前で事を記し指し示す道具であって手に執るべきではないと言う。しかし古は天子にもまた笏があった。どうしてまたこれを借りて事を記し指し示すことがあろうか。思うに朝廷の礼服の飾りなのである。ただ天子の笏は玉で作り、その形は圭に似ている。そして天子と公・侯・伯の圭は上が尖り下が方形で、その形は笏に似ている。ゆえに後の人は圭を笏と誤ることがある。しかし笏は執っていなければ挿しておくもので、片時も身から離してはならないものである。圭は天子が神を礼するとき、諸侯が朝見するときに用いるもので、天子もその時にしばらく捧げてすぐに尊んで置くのであって、常に執るものではない。かつて礼の図を描く者が、上公が衮冕を着て桓圭を執り、左手を笏を取るような形に描いているのを見たが、これは正しい。卿・大夫に至っては圭や璧がないのに、冠服を整えて執り、いわゆる羔や雁(の贄)を手にしているように描いているのは、ことに笑うべきである。思うに圭を笏と誤り、鎮めや信の道具を服飾の道具と誤ったからである」。いま考えてみるに、馬端臨が笏を服飾の道具とするのはまた誤りである。聖人がどうして用のない物を定めて服飾とするだろうか。天子にもまた事を記し指し示すことがあるはずがないと言うのも誤りである。笏が常に身から離れないのは、天子にもまた忘れてはならない事があり、今お考えになるところをすぐに書きつけなさるべきだからである。また指し示して侍臣に示されるべきである。手指を出すのは、君臣ともに礼にかなわないからである。ゆえに天子から士に至るまで、笏はあるべきなのである。
解説
この章句が説くこと
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孟子・告子章句下任人屋廬子に問ふ有りて曰く、「礼と食と孰れか重き。」曰く、「礼重し。」「色と礼と孰れか重き。」曰く、「礼重し。」曰く、「礼を以て食へば則ち飢ゑて死し、礼を以てせずして食へば則ち食を得んに、必ず礼を以てせんか。親迎すれば則ち妻を得ず、親迎せざれば則ち妻を得んに、必ず親迎せんか。」屋廬子対ふる能はず。明日鄒に之きて以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「是に答ふるに於いて何か有らん。其の本を揣らずして、其の末を斉しくせば、方寸の木も岑楼より高からしむべし。金は羽より重しとは、豈に一鉤の金と一輿の羽との謂ならんや。食の重き者と礼の軽き者とを取りて之を比べば、奚ぞ翅に食重きのみならん。色の重き者と礼の軽き者とを取りて之を比べば、奚ぞ翅に色重きのみならん。往きて之に応へて曰へ、『兄の臂を紾りて之が食を奪へば、則ち食を得、紾らざれば、則ち食を得ずんば、則ち将に之を紾らんとするか。東家の墻を逾えて其の処子を摟けば、則ち妻を得、摟かざれば、則ち妻を得ずんば、則ち将に之を摟かんとするか。』と。」
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『翁問答』下卷之末体充曰、淳于髡曰く、男女授受するに親らせざるは礼か、孟子曰く、礼なり、曰く、嫂溺るれば則ち之を援くるに手を以てせんか、曰く、嫂溺るるを援けざるは是れ豺狼なり、男女授受するに親らせざるは礼なり、嫂溺るるときに之を援くるに手を以てするは権なり、曰く、今天下溺る、夫子の援けざるは何ぞや、曰く、天下溺るれば之を援くるに道を以てし、嫂溺るれば之を援くるに手を以てす、子は手もて天下を援けんと欲するか、孟子の此章を考見れば、経と権と差別あるべきと存候はいかゞ。師の曰、漢儒の経に反して道に合ふを権と為すの説は、此の章を見誤たる者なり此章の礼は礼法を指ていへり、礼法は天下万民日用通行のために平生急務の事ばかりを定たまふものなれば、非常の変事には礼法なし、道は大虚に充満して身をはなれざるものなれば、もとより平常日用の道も礼法なり、また非常の変に処する義も道なり権は此道の総名なる故に、礼法も本権なれ共事の模様定りて迹あるによつて権と名けがたき故に法と名づけたり、
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