弁名 / 仁
且孟子所謂擴充四端者。論說之言耳。初非語成仁之方也。辟諸一星之火。至於燎原。一寸之苗。至於參天。苟使揠而長之。引而伸之。則火滅苗槁已。假以風鼓之。假以雨露灌漑之。然後可以馴致燎原參天之盛也。人亦若是焉。禮樂以養之。然後成仁德也。不知者則謂禮樂外物也。非在我者焉。是不信聖人之敎。而欲以其私智成仁者也。烏知風與雨露假之於外而其功若是其大焉乎。禮樂之道。不識不知。順帝之則。猶風雨自天祐之邪。仁齋與宋儒。均之不學無術已。
新字:且孟子所謂擴充四端者。論説之言耳。初非語成仁之方也。辟諸一星之火。至於燎原。一寸之苗。至於参天。苟使揠而長之。引而伸之。則火滅苗槁已。仮以風鼓之。仮以雨露灌漑之。然後可以馴致燎原参天之盛也。人亦若是焉。礼楽以養之。然後成仁徳也。不知者則謂礼楽外物也。非在我者焉。是不信聖人之教。而欲以其私智成仁者也。烏知風与雨露仮之於外而其功若是其大焉乎。礼楽之道。不識不知。順帝之則。猶風雨自天祐之邪。仁斎与宋儒。均之不学無術已。
書き下し
且つ孟子の所謂四端を拡充すとは、論説の言のみ。初めより仁を成すの方を語るに非ざるなり。諸を一星の火、原を燎くに至り、一寸の苗、天に参はるに至るに辟ふ。苟も揠きて之を長ぜしめ、引きて之を伸ばさしめば、則ち火滅し苗槁るるのみ。仮るに風を以て之を鼓し、仮るに雨露を以て之を灌漑して、然る後に以て原を燎き天に参はるの盛んなるに馴致すべきなり。人も亦た是くの若し。礼楽以て之を養ひて、然る後に仁徳を成すなり。知らざる者は則ち礼楽は外物なり、我に在る者に非ずと謂ふ。是れ聖人の教へを信ぜずして、其の私智を以て仁を成さんと欲する者なり。烏んぞ風と雨露と之を外に仮りて其の功是くの若く其れ大なるを知らんや。礼楽の道は、識らず知らず、帝の則に順ふ。猶ほ風雨自づから天之を祐くるがごときか。仁斎と宋儒とは、之を均しくするに不学無術のみ。
現代語訳
そもそも孟子の言う「四端を押し広げる」とは、論じ説くための言葉にすぎず、もともと仁を成す方法を語ったものではない。一点の火が野原を焼き尽くすまでになり、一寸の苗が天に届くほどに育つのにたとえよう。もし苗を引っ張って伸ばそうとすれば、火は消え苗は枯れてしまう。風を借りて火をあおり、雨露を借りて苗に注いでこそ、野原を焼き天に届く盛んさに徐々に至ることができる。人も同じである。礼楽で養ってこそ仁の徳が成る。わからない者は、礼楽は外の物で自分の内にあるものではないと言う。これは聖人の教えを信じず、自分の小さな知恵で仁を成そうとする者である。風や雨露を外から借りることで、その効き目がこれほど大きいことを、どうして知ろうか。礼楽の道は、知らず知らずのうちに天帝の法則に従わせる。風雨がおのずから天の助けとなるようなものだ。仁斎も宋儒も、結局は学ばず術なしである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・衛霊公篇子貢、仁を為すを問う。子曰く、「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。」
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論語・里仁篇子曰わく、仁に里(お)るを美と為す。択びて仁に処らずんば、焉んぞ知を得ん。
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荀子・勧学篇故に君子は居るに必ず郷を択び、遊ぶに必ず士に就く。邪辟を防ぎて中正に近づく所以なり。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳・蔡の間に戹するは、上下の交はり無ければなり。」
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孫子・始計篇天とは、陰陽・寒暑・時制なり。
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
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