荀子 / 勧学篇
故君子居必擇鄉,遊必就士,所以防邪辟而近中正也。
新字:故君子居必択郷,遊必就士,所以防邪辟而近中正也。
書き下し
故に君子は居るに必ず郷を択び、遊ぶに必ず士に就く。邪辟を防ぎて中正に近づく所以なり。
現代語訳
だから君子は、住む所には必ず良い土地を選び、交わるには必ず学識ある人につく。それは、よこしまで偏った影響を防ぎ、正しく中庸なあり方に近づくためである。
解説
前段の「環境が人を作る」を、では具体的にどう行動するか、に落とした実践編です。結論はシンプルで、住む場所を選び、付き合う相手を選べ。理由も明快で、「邪辟を防ぎて中正に近づく」——悪い影響を遠ざけ、正しいあり方に近づくため。荀子は人間の意志の強さをあまり信用しません。だからこそ、意志で誘惑に打ち勝とうとするより、そもそも誘惑の少ない環境に身を置け、と説きます。これは現代の行動科学とも一致します。悪い習慣は根性ではなく環境設計で断つほうが確実で、良い習慣は良い場・良い仲間の中にいれば自然と身につく。「どこに住み、誰と過ごすか」という一見受け身の選択こそ、実は自分を最も強く方向づける能動的な一手なのです。
この章句が説くこと
住む所を選ぶ良師益友環境設計邪を防ぐ環境仁
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