弁道 / 第八則
如知者。人喜以才智自高。是其情也。故聖人未嘗以知爲敎矣。如曰知者仁者。成德之名。各因其性所禀殊焉。若夫仁義禮智就一人之身言之者。未之嘗聞也。漢儒以屬五行。或智爲土。信爲水。或智爲火爲水。未有定說。可見非古道已。論語屢以好仁好義好禮好德好善好學好古爲言。而未嘗以好知好信爲敎。故其非孔門之舊也。荀子譏子思孟子造五行。豈誣乎哉。
新字:如知者。人喜以才智自高。是其情也。故聖人未嘗以知為教矣。如曰知者仁者。成徳之名。各因其性所禀殊焉。若夫仁義礼智就一人之身言之者。未之嘗聞也。漢儒以属五行。或智為土。信為水。或智為火為水。未有定説。可見非古道已。論語屡以好仁好義好礼好徳好善好学好古為言。而未嘗以好知好信為教。故其非孔門之旧也。荀子譏子思孟子造五行。豈誣乎哉。
書き下し
知の如きは、人才智を以て自ら高ぶるを喜ぶ、是れ其の情なり。故に聖人未だ嘗て知を以て教へと為さず。「知者・仁者」と曰ふが如きは、成徳の名にして、各〻其の性の稟くる所に因りて殊なり。夫の仁義礼智を一人の身に就きて之を言ふ者の若きは、未だ之を嘗て聞かざるなり。漢儒以て五行に属す。或いは智を土と為し、信を水と為し、或いは智を火と為し水と為し、未だ定説有らず。古道に非ざること見るべきのみ。論語屢〻仁を好み、義を好み、礼を好み、徳を好み、善を好み、学を好み、古を好むを以て言を為し、而も未だ嘗て知を好み信を好むを以て教へと為さず。故に其れ孔門の旧に非ざるなり。荀子子思孟子の五行を造るを譏る、豈に誣ひんや。
現代語訳
知について言えば、人は才知で自分を高く見せたがるものであり、それが人情である。だから聖人は知を教えの目当てにしたことがない。「知者」「仁者」と言うのは、徳を成し遂げた人の名であって、それぞれ生まれ持った性によって異なる。仁義礼智を一人の身に揃えて言うことなど、聞いたことがない。漢の儒者はこれを五行に配したが、智を土とし信を水とする説もあれば、智を火とも水ともする説もあって、定説がない。古の道でないことは明らかである。『論語』はしばしば仁を好む、義を好む、礼を好む、徳を好む、善を好む、学を好む、古を好むと言うが、知を好め、信を好めと教えたことは一度もない。だからそれは孔子の門の昔の教えではない。荀子が子思・孟子を「五行を造った」とそしったのは、どうして言いがかりであろうか。
解説
この章句が説くこと
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論語・雍也篇樊遅、知を問う。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂う可し。仁を問う。曰く、仁者は難きを先にして獲るを後にす、仁と謂う可し。
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『慎思録』巻之一学を為すの工夫、古人知を以て先と為す者は、蓋し知は以て開導すればなり。先づ之を知るに非ざれば、則ち力行すること能はず。先づ知るとは、当に行ふべきの端緒を知るなり。親に事ふる者の、先づ温凊定省、出づるに必ず告げ反れば必ず面するの法を知るが如き、是れなり。窮め知ること畢はりて而る後に方に之を行ふの謂に非ざるなり。既に其の端緒を知れば、則ち之を行ふこと最も急と為す。此れ乃ち知行並び進むの工夫なり。須らく此くの如くなるべし。蓋し知行の二者は、車の両輪の如く、鳥の両翼の如し。一を闕けば則ち不可なり。故に学は徒らに之を知ることを要せず、必ず力行を要す。二者以て学と為すべくして、行ふを以て重しと為す。若し之を行ふこと能はざれば、則ち徒らに之を知ると雖も、都て用無し。以て学と為すべからず。是を以て学ぶ者は、之を知るを先と為し、之を行ふを重しと為すなり。之を行ふに非ざれば、則ち真に知ること能はず。譬へば道路を行くが如し。其の道路の里程、山川の形勢、記籍有りて詳審なりと雖も、然れども躬親ら経過するに非ざれば、則ち其の真境を諳知すること能はず。故に行ひて後に知る者は、真知なり。
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荀子・賦篇皇天(こうてん)物を隆(くだ)し、以て下民に示し施す、或いは厚く或いは薄く、常に齊均(せいきん)ならず。桀紂(けつちゅう)は以て亂れ、湯武(とうぶ)は以て賢なり。涽涽(こんこん)たり淑淑(しゅくしゅく)たり、皇皇(こうこう)たり穆穆(ぼくぼく)たり。四海に周流(しゅうりゅう)して、曾(すなわ)ち日を崇(お)えず。君子は以て脩め、跖(せき)は以て室を穿(うが)つ。大なること天に參(さん)じ、精微(せいび)にして形無く、義を行いて以て正しく、事業以て成る。以て暴(ぼう)を禁じ窮(きゅう)を足(た)らしむ可く、百姓(ひゃくせい)之を待ちて而(しか)る後に泰寧(たいねい)なり。臣愚にして識らず、願わくは其の名を問わん。曰く、此れ夫(か)の寬平(かんぺい)に安んじて險隘(けんあい)を危(あや)ぶむ者か。脩潔(しゅうけつ)を之れ親しみて、雜汙(ざつお)を之れ狄(しりぞ)くる者か。甚だ深く藏(かく)れて外は敵に勝つ者か。禹舜(うしゅん)に法(のっと)りて能く跡(あと)を弇(おお)う者か。行(こう)の動靜(どうせい)、之を待ちて而(しか)る後に適(かな)う者か。血氣の精(せい)なり、志意の榮(えい)なり、百姓之を待ちて而る後に寧(やす)く、天下之を待ちて而る後に平らかなり、明達純粹(めいたつじゅんすい)にして疵(きず)無し。夫(そ)れ是れを之れ君子の知(ち)と謂う。知なり。
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