晏子春秋 / 外篇下・晏子死,景公馳往哭,哀畢而去
景公游于菑,聞晏子死,公乘侈輿服繁駔驅之。自以為遲,下車而趨。知不若車之速,則又乘。比至於國者,四下而趨,行哭而往,至,伏屍而號,曰:「子大夫日夜責寡人,不遺尺寸,寡人猶且淫佚而不收,怨罪重積于百姓。今天降禍于齊,不加于寡人,而加于夫子,齊國之社稷危矣,百姓將誰告夫!」
新字:景公游于菑,聞晏子死,公乗侈輿服繁駔駆之。自以為遅,下車而趨。知不若車之速,則又乗。比至於国者,四下而趨,行哭而往,至,伏屍而号,曰:「子大夫日夜責寡人,不遺尺寸,寡人猶且淫佚而不収,怨罪重積于百姓。今天降禍于斉,不加于寡人,而加于夫子,斉国之社稷危矣,百姓将誰告夫!」
書き下し
景公菑に游び、晏子の死を聞き、公侈輿に乗り繁駔を服して之を駆る。自ら以て遅しと為し、車を下りて趨る。車の速やかなるに若かざるを知れば、則ち又乗る。国に至るに比ぶまで、四たび下りて趨り、行き哭して往く。至りて、屍に伏して号びて曰く、「子大夫は日夜寡人を責め、尺寸も遺さず。寡人は猶お且つ淫佚して収めず、怨罪百姓に重積す。今天禍を斉に降し、寡人に加えずして、夫子に加う。斉国の社稷危うし。百姓は将た誰に告げんや」と。
現代語訳
景公は菑に遊んでいて、晏子の死を聞きました。公は豪華な車に乗り、勢いのある馬を使って走らせました。自分で遅いと思い、車を下りて走りました。車の速さに及ばないと分かると、また乗りました。国に着くまでの間に四度下りて走り、歩きながら泣いて向かいました。着くと、屍に伏して大声で泣いて言いました。「あなたは日夜私を責め、わずかなことも見逃しませんでした。それでも私はなお淫らに楽しんで収めず、怨みと罪が民に重なって積もりました。今、天は禍を斉に下しましたが、私に加えず、あなたに加えました。斉の国の社稷は危うい。民は誰に訴えればよいのでしょう」。
解説
この章句が説くこと
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