晏子春秋 / 外篇上・晏子使高糾治家三年而未嘗弼過逐之
晏子使高糾治家,三年而辭焉。儐者諫曰:「高糾之事夫子三年,曾無以爵祿而逐之,敢請其罪。」晏子曰:「若夫方立之人,維聖人而已。如嬰者,仄陋之人也。若夫左嬰右嬰之人,不舉四維,四維將不正。今此子事吾三年,未嘗弼吾過也,吾是以辭之。」
新字:晏子使高糾治家,三年而辞焉。儐者諫曰:「高糾之事夫子三年,曽無以爵禄而逐之,敢請其罪。」晏子曰:「若夫方立之人,維聖人而已。如嬰者,仄陋之人也。若夫左嬰右嬰之人,不舉四維,四維将不正。今此子事吾三年,未嘗弼吾過也,吾是以辞之。」
書き下し
晏子高糾をして家を治めしむ。三年にして焉を辞す。儐者諫めて曰く、「高糾の夫子に事うること三年、曾て爵禄を以てせずして之を逐う。敢えて其の罪を請う」と。晏子曰く、「夫の方に立つの人の若きは、維れ聖人のみ。嬰の如き者は、仄陋の人なり。夫の嬰を左にし嬰を右にするの人の若きは、四維を挙げざれば、四維将に正しからざらんとす。今此の子吾に事うること三年、未だ嘗て吾が過ちを弼けず。吾是を以て之を辞す」と。
現代語訳
晏子は高糾に家の仕事を取り仕切らせましたが、三年で暇を出しました。取り次ぎの者が諫めて言いました。「高糾は先生にお仕えして三年、これまで爵位も俸禄も与えられないまま追い出されました。その罪をお聞かせください。」晏子は言いました。「正しく立つことのできる人など、聖人だけだ。私のような者は、片隅の卑しい人間である。私を左右から支える人が四つの綱を張らなければ、四つの綱は正しく保てない。いまこの者は私に三年仕えながら、一度も私の過ちを正したことがない。だから私は暇を出したのだ。」
解説
晏子が家の宰を任せた高糾を三年で辞めさせた理由を、取り次ぎの者に問われて説明する短い段です。晏子は自分を聖人ではなく片隅の卑しい人間と位置づけ、傍らで支える者が綱を張らなければ正しく立てないと述べています。高糾の落ち度は、三年のあいだ一度も晏子の過ちを正さなかったことでした。ここで求められているのは、働きぶりではなく諫める力です。部下にとって上司に意見するのは勇気が要りますが、上司の側から意見を求めなければ、その勇気は育ちません。管理職は、自分の誤りを指摘してくれる部下を評価の物差しに入れておくべきでしょう。
この章句が説くこと
諫言補佐評価過ち家臣晏子春秋
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