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呻吟語 / 内篇・問學・無過の過は大なり

余有責善之友,既別兩月矣,見而問之曰:「近不聞僕有過?」友曰:「子無過。」余曰:「此吾之大過也。有過之過小,無過之過大,何者?拒諫自矜而人不敢言,飾非掩惡而人不能知,過有大於此者乎?使余即聖人也,則可。余非聖人,而人謂無過,余其大過哉!」

新字:余有責善之友,既別両月矣,見而問之曰:「近不聞僕有過?」友曰:「子無過。」余曰:「此吾之大過也。有過之過小,無過之過大,何者?拒諫自矜而人不敢言,飾非掩悪而人不能知,過有大於此者乎?使余即聖人也,則可。余非聖人,而人謂無過,余其大過哉!」

書き下し

余に責善の友有り。既に別れて兩月なり。見て之に問ひて曰く、「近ごろ僕に過ち有るを聞かざるか」と。友曰く、「子に過ち無し」と。余曰く、「此れ吾の大過なり。過ち有るの過ちは小さく、過ち無きの過ちは大なり。何となれば、諫を拒み自ら矜りて人敢へて言はず、非を飾り惡を掩ひて人知る能はず。過ちの此より大なる者有らんや。余をして即ち聖人ならしめば、則ち可なり。余は聖人に非ず。而るに人無過と謂ふ。余は其れ大過なるかな」と。

現代語訳

私には過ちを正し合う友がいます。別れて二か月になったころ、会って尋ねました。近ごろ私に過ちがあると聞きませんか。友は言いました。あなたに過ちはありません。私は言いました。それこそ私の大きな過ちです。過ちがあるという過ちは小さく、過ちが無いという過ちは大きい。なぜなら、諫言を拒み自らを誇るので誰も言わず、非を飾り悪を覆うので誰にも分からない。これより大きな過ちがあるでしょうか。私が聖人ならそれでよい。しかし私は聖人ではありません。それなのに人が過ちが無いと言う。それこそ私の大きな過ちです。

解説

過ちが無いと言われて、それを最大の過ちだと受け取る場面です。理由が二つ挙げられていて、誰も言えない状態か、誰にも分からない状態のどちらかだから、と。どちらも本人の側の問題です。聖人でない自分に過ちが無いはずがないという前提から逆算する論法で、褒め言葉を警報として読む姿勢が鮮やかに示されています。褒め言葉を警報として読む姿勢が、鮮やかに示されています。

この章句が説くこと

過ち諫言褒め言葉逆算自省

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