晏子春秋 / 雑上・景公夜從晏子飲晏子稱不敢與
景公飲酒,夜移于晏子之家,前驅款門曰:「君至。」晏子被玄端,立於門曰:「諸侯得微有故乎?國家得微有事乎?君何為非時而夜辱?」公曰:「酒醴之味,金石之聲,願與夫子樂之。」晏子對曰:「夫布薦席,陳簠簋者有人,臣不敢與焉。」公曰:「移于司馬穰苴之家。」前驅款門曰:「君至。」穰苴介胃操戟,立於門,曰:「諸侯得微有兵乎?大臣得微有叛者乎?君何為非時而夜辱?」公曰:「酒醴之味,金石之聲,願與夫子樂之。」穰苴對曰:「夫布薦席,陳簠簋者有人,臣不敢與焉。」公曰:「移于梁丘據之家。」前驅款門曰:「君至。」梁丘據左操瑟,右挈竽,行歌而出,公曰:「樂哉,今夕吾飲也。微彼二子者,何以治吾國?微此一臣者,何以樂吾身?」君子曰:「聖賢之君,皆有益友,無偷樂之臣。景公弗能及,故兩用之,僅得不亡。」
新字:景公飲酒,夜移于晏子之家,前駆款門曰:「君至。」晏子被玄端,立於門曰:「諸侯得微有故乎?国家得微有事乎?君何為非時而夜辱?」公曰:「酒醴之味,金石之声,願与夫子楽之。」晏子対曰:「夫布薦席,陳簠簋者有人,臣不敢与焉。」公曰:「移于司馬穰苴之家。」前駆款門曰:「君至。」穰苴介胃操戟,立於門,曰:「諸侯得微有兵乎?大臣得微有叛者乎?君何為非時而夜辱?」公曰:「酒醴之味,金石之声,願与夫子楽之。」穰苴対曰:「夫布薦席,陳簠簋者有人,臣不敢与焉。」公曰:「移于梁丘拠之家。」前駆款門曰:「君至。」梁丘拠左操瑟,右挈竽,行歌而出,公曰:「楽哉,今夕吾飲也。微彼二子者,何以治吾国?微此一臣者,何以楽吾身?」君子曰:「聖賢之君,皆有益友,無偸楽之臣。景公弗能及,故両用之,僅得不亡。」
書き下し
景公酒を飲み、夜、晏子の家に移る。前駆門を款きて曰く、「君至る」と。晏子玄端を被て、門に立ちて曰く、「諸侯、微かに故有るを得んか。国家、微かに事有るを得んか。君何為れぞ時に非ずして夜辱くする」と。公曰く、「酒醴の味、金石の声、願わくは夫子と之を楽しまん」と。晏子対えて曰く、「夫れ薦席を布き、簠簋を陳ぶる者は人有り。臣敢えて与らず」と。公曰く、「司馬穣苴の家に移れ」と。前駆門を款きて曰く、「君至る」と。穣苴介胄して戟を操り、門に立ちて曰く、「諸侯、微かに兵有るを得んか。大臣、微かに叛く者有るを得んか。君何為れぞ時に非ずして夜辱くする」と。公曰く、「酒醴の味、金石の声、願わくは夫子と之を楽しまん」と。穣苴対えて曰く、「夫れ薦席を布き、簠簋を陳ぶる者は人有り。臣敢えて与らず」と。公曰く、「梁丘据の家に移れ」と。前駆門を款きて曰く、「君至る」と。梁丘据左に瑟を操り、右に竽を挈げ、行き歌いて出ず。公曰く、「楽しいかな、今夕の吾が飲むや。彼の二子微かりせば、何を以て吾が国を治めん。此の一臣微かりせば、何を以て吾が身を楽しましめん」と。君子曰く、「聖賢の君は、皆益友有りて、偸楽の臣無し。景公は及ぶ能わず、故に両つながら之を用い、僅かに亡びざるを得たり」と。
現代語訳
景公は酒を飲み、夜になって晏子の家に移りました。先導の者が門を叩いて言いました。「君がおいでです」。晏子は礼服を着て門に立ち、言いました。「諸侯に何かあったのでしょうか。国家に何か事があったのでしょうか。君はどうして時ならぬ夜に、お越しになったのですか」。公は言いました。「酒の味、鐘や磬の音を、先生とともに楽しみたい」。晏子は答えました。「敷物を敷き、祭器を並べる役の者がいます。私はそれには与りません」。公は言いました。「司馬の穣苴の家へ移れ」。先導の者が門を叩いて言いました。「君がおいでです」。穣苴はよろいと兜をつけ、戟を持って門に立ち、言いました。「諸侯に戦があったのでしょうか。大臣に背く者がいるのでしょうか。君はどうして時ならぬ夜に、お越しになったのですか」。公は言いました。「酒の味、鐘や磬の音を、先生とともに楽しみたい」。穣苴は答えました。「敷物を敷き、祭器を並べる役の者がいます。私はそれには与りません」。公は言いました。「梁丘据の家へ移れ」。先導の者が門を叩いて言いました。「君がおいでです」。梁丘据は左手に瑟、右手に竽を持ち、歌いながら出て来ました。公は言いました。「楽しいな、今宵の酒は。あの二人がいなければ、どうやってわが国を治めよう。この一人の臣がいなければ、どうやってわが身を楽しませよう」。君子は言いました。「聖賢の君には、みな益友がいて、安楽を盗む臣はいなかった。景公はそこに及べないので、二つの種類を両方用いて、かろうじて滅びなかった」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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