晏子春秋 / 雑上・莊公不用晏子晏子致邑而退後有崔氏之禍
晏子為莊公臣,言大用,每朝賜爵益邑。俄而不用,每朝致邑與爵,爵邑盡,退朝而乘,喟然而歎,終而笑。其僕曰:「何歎笑相從數也?」晏子曰:「吾歎也,哀吾君不免於難;吾笑也,喜吾自得也,吾亦無死矣。」崔杼果弑莊公。晏子立崔杼之門,從者曰:「死乎?」晏子曰:「獨吾君也乎哉,吾死也?」曰:「行乎?」曰:「獨吾罪也乎哉,吾亡也?」曰:「歸乎?」曰:「吾君死安歸?君民者,豈以陵民,社稷是主;臣君者,豈為其口實?社稷是養。故君為社稷死則死之,為社稷亡則亡之。若君為己死,而為己亡,非其私昵,孰能任之?且人有君而弑之,吾焉得死之,而焉得亡之?將庸何歸?」門啟而入,崔子曰:「子何不死?子何不死?」晏子曰:「禍始吾不在也,禍終吾不知也,吾何為死?且吾聞之,以亡為行者不足以存君,以死為義者不足以立功,嬰豈婢子也哉?其縊而從之也。」遂袒免坐,枕君屍而哭,興,三踴而出。人謂崔子必殺之,崔子曰:「民之望也,舍之得民。」
新字:晏子為荘公臣,言大用,毎朝賜爵益邑。俄而不用,毎朝致邑与爵,爵邑尽,退朝而乗,喟然而嘆,終而笑。其僕曰:「何嘆笑相従数也?」晏子曰:「吾嘆也,哀吾君不免於難;吾笑也,喜吾自得也,吾亦無死矣。」崔杼果弑荘公。晏子立崔杼之門,従者曰:「死乎?」晏子曰:「独吾君也乎哉,吾死也?」曰:「行乎?」曰:「独吾罪也乎哉,吾亡也?」曰:「帰乎?」曰:「吾君死安帰?君民者,豈以陵民,社稷是主;臣君者,豈為其口実?社稷是養。故君為社稷死則死之,為社稷亡則亡之。若君為己死,而為己亡,非其私昵,孰能任之?且人有君而弑之,吾焉得死之,而焉得亡之?将庸何帰?」門啓而入,崔子曰:「子何不死?子何不死?」晏子曰:「禍始吾不在也,禍終吾不知也,吾何為死?且吾聞之,以亡為行者不足以存君,以死為義者不足以立功,嬰豈婢子也哉?其縊而従之也。」遂袒免坐,枕君屍而哭,興,三踴而出。人謂崔子必殺之,崔子曰:「民之望也,舎之得民。」
書き下し
晏子、莊公の臣と為り、言大いに用いらる。朝ごとに爵を賜い邑を益す。俄かにして用いられず、朝ごとに邑と爵とを致し、爵邑尽き、朝を退きて乗り、喟然として歎じ、終りて笑う。其の僕曰く、「何ぞ歎笑相従うこと数なる」と。晏子曰く、「吾が歎くは、吾が君の難を免れざるを哀しめばなり。吾が笑うは、吾が自得を喜ぶなり。吾も亦死無けん」と。崔杼、果たして莊公を弑す。晏子、崔杼の門に立つ。従者曰く、「死せんか」と。晏子曰く、「独り吾が君のみならんや、吾死せんや」と。曰く、「行かんか」と。曰く、「独り吾が罪のみならんや、吾亡げんや」と。曰く、「帰らんか」と。曰く、「吾が君死す、安くにか帰らん。民に君たる者は、豈以て民を陵がんや、社稷是れ主る。君に臣たる者は、豈其の口実の為ならんや、社稷是れ養う。故に君、社稷の為に死すれば則ち之に死し、社稷の為に亡ぶれば則ち之に亡ぶ。若し君己の為に死し、己の為に亡ぶれば、其の私昵に非ざれば、孰か能く之に任ぜん。且つ人に君有りて之を弑す、吾焉んぞ之に死するを得ん、焉んぞ之に亡ぶるを得ん。将た庸ぞ何くにか帰らん」と。門啓きて入る。崔子曰く、「子何ぞ死せざる、子何ぞ死せざる」と。晏子曰く、「禍の始め吾在らず、禍の終り吾知らず、吾何ぞ死を為さん。且つ吾之を聞く、亡ぐるを以て行いと為す者は以て君を存するに足らず、死するを以て義と為す者は以て功を立つるに足らずと。嬰豈婢子ならんや、其れ縊れて之に従わんや」と。遂に袒免して坐し、君の屍を枕にして哭し、興ちて、三たび踴りて出ず。人、崔子必ず之を殺さんと謂う。崔子曰く、「民の望みなり。之を舎けば民を得ん」と。
現代語訳
晏子は荘公の臣となり、意見は大いに用いられ、朝ごとに爵を賜り領地を増やされました。ところが間もなく用いられなくなると、朝ごとに領地と爵を返上し、爵も領地も尽きて、朝廷から退いて車に乗り、ため息をついた後に笑いました。御者が言いました。「どうしてため息と笑いがたびたび続くのですか」。晏子は言いました。「私がため息をつくのは、わが君が難を免れないのを悲しむからだ。私が笑うのは、自分が助かるのを喜ぶからだ。私もきっと死なずにすむだろう」。崔杼はやがて荘公を殺しました。晏子は崔杼の門の前に立ちました。従者が言いました。「死にますか」。晏子は言いました。「わが君だけのことだろうか。なぜ私が死ぬのか」。「逃げますか」。「私だけの罪だろうか。なぜ私が逃げるのか」。「帰りますか」。「わが君が死んだのに、どこへ帰るのか。民の上に立つ者は、民を踏みつけるためではなく、社稷を主るためにいる。君に仕える臣は、俸禄を得るためではなく、社稷を養うためにいる。だから君が社稷のために死ねば臣も死に、社稷のために亡べば臣も亡ぶ。もし君が自分のために死に、自分のために亡んだのなら、特に親しい者でなければ、誰がそれに殉じるだろう。それに、人が君を殺したのだ。私がどうして殉じて死んだり逃げたりできようか。いったいどこへ帰ればよいのか」。門が開いて晏子が入ると、崔子は言いました。「あなたはなぜ死なないのか、なぜ死なないのか」。晏子は言いました。「禍の始めに私はいなかった。禍の終わりも私は知らない。なぜ死ぬ必要があるのか。それに私はこう聞いている。逃げることを行いとする者は君を存続させられず、死ぬことを義とする者は功を立てられない、と。私が下女のように首をくくって従うことがあろうか」。そして肩脱ぎをして座り、君の屍を枕にして泣き、立ち上がって三度足を踏み鳴らして出ました。人々は崔子が必ず晏子を殺すと言いました。崔子は言いました。「民が仰ぎ見る人だ。許せば民を得られる」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公十六年 孔張、位を失う二月、晉の韓起鄭に聘す。鄭伯之を享す。子產戒めて曰く、「苟くも朝に位有らば、共恪せざる有る無かれ」と。孔張後れて至り、客の間に立つ。執政之を禦ぐ。客の後に適く。又之を禦ぐ。縣の間に適く。客從ひて之を笑ふ。事畢はり、富子諫めて曰く、「夫れ大國の人は、慎まざる可からざるなり。幾ど之が笑ひと為りて、我を陵がざらんや。我皆禮有るも、夫れ猶ほ我を鄙しむ。國にして禮無くんば、何を以ってか榮を求めん。孔張位を失ふは、吾子の恥なり」と。子產怒りて曰く、「命を發するの衷ならず、令を出だすの信ならず、刑の頗類、獄の放紛、會朝の敬せず、使命の聽かれず、陵ぎを大國に取り、民を罷らせて功無く、罪及べども知らざるは、僑の恥なり。孔張は、君の昆孫、子孔の後なり、執政の嗣なり。嗣大夫と為り、命を承けて以って使ひし、諸侯に周し。國人の尊ぶ所、諸侯の知る所なり。朝に立ちて家に祀り、國に祿有り、軍に賦有り、喪祭に職有り、脤を受け賑を歸す。其の祭は廟に在り、已に著位有り。位に在ること數世、世々其の業を守る。而るに其の所を忘る。僑焉んぞ之を恥ぢんや。辟邪の人、而して皆執政に及ばば、是れ先王に刑罰無きなり。子寧ろ他を以って我を規せ。
-
『呻吟語』外篇・世運・氣化の罪に非ざるなり世界は一般に是れ唐虞の時の世界なり。黎民は一般に是れ唐虞の時の黎民なり。而るに治は古に若かず。氣化の罪に非ざるなり。
-
『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
-
『呻吟語』内篇・談道・相責各盡の四字天下の治亂は、只だ「相責各盡」の四字に在るのみ。
-
史記 趙世家趙衰、重耳に従ひて出亡すること凡そ十九年、国に反ることを得たり。重耳晋の文公と為り、趙衰原の大夫と為り、原に居り、国政に任ず。文公の国に反り及び霸たる所以は、多く趙衰の計策なり。語は晋の事の中に在り。趙衰既に晋に反り、晋の妻固く翟の妻を迎へんことを要め、而して其の子盾を以て適嗣と為し、晋の妻の三子皆下りて之に事ふ。晋の襄公の六年にして趙衰卒し、諡して成季と為す。趙盾、成季に代はりて国政に任ずること二年にして晋の襄公卒す。太子夷皋年少し。盾、国の多難なるが為に、襄公の弟雍を立てんと欲す。雍時に秦に在り。使をして之を迎へしむ。太子の母日夜啼泣し、頓首して趙盾に謂ひて曰く、「先君何の罪かある。其の適子を釈きて更に君を求むるか」と。趙盾之を患へ、其の宗と大夫との襲ひて之を誅せんことを恐れ、乃ち遂に太子を立つ、是を霊公と為す。兵を発して襄公の弟を秦に迎ふる所の者を距ぐ。霊公既に立ち、趙盾益々国政を専らにす。霊公立ちて十四年、益々驕る。趙盾驟々諫むれども、霊公聴かず。熊蹯を食らふに及び、胹て熟せず、宰人を殺し、其の尸を持ちて出づ。趙盾之を見る。霊公此に由りて懼れ、盾を殺さんと欲す。盾素より仁にして人を愛す。嘗て食はせし所の桑下の餓人、反りて捍ぎて盾を救ふ。盾以て亡ぐるを得たり。未だ境を出でずして、趙穿霊公を弑して襄公の弟黒臀を立つ、是を成公と為す。趙盾復た反りて国政に任ず。君子盾を譏る、「正卿と為りて、亡げて境を出でず、反りて賊を討たず」と。故に太史書して曰く「趙盾其の君を弑す」と。晋の景公の時にして趙盾卒し、諡して宣孟と為す。子朔嗣ぐ。趙朔、晋の景公の三年、朔晋の将として下軍に将として鄭を救ひ、楚の荘王と河上に戦ふ。朔、晋の成公の姊を娶りて夫人と為す。晋の景公の三年、大夫屠岸賈、趙氏を誅せんと欲す。初め、趙盾在りし時、夢に叔帯の要を持ちて哭するを見る。甚だ悲し。已にして笑ひ、手を拊ちて且つ歌ふ。
-
史記 循吏列伝文公曰く、「子は則ち自ら以て罪有りと為す、寡人も亦罪有るか」と。李離曰く、「理に法有り、刑を失へば則ち刑し、死を失へば則ち死す。公臣の能く微を聴き疑はしきを決するを以て、故に理為らしむ。今過ちて聴きて人を殺す、罪死に当たる」と。遂に令を受けず、剣に伏して死す。太史公曰く、孫叔敖一言を出だして、郢の市復す。子産病みて死し、鄭の民号哭す。公儀子好布を見て家婦逐はる。石奢父を縦して死し、楚の昭名立つ。李離過ちて殺して剣に伏し、晋の文以て国法を正す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る