晏子春秋 / 問下・叔向問人何若則榮晏子對以事君親忠孝
叔向問晏子曰:「何若則可謂榮矣?」晏子對曰:「事親孝、無悔往行;事君忠、無悔往辭。和于兄弟,信于朋友,不謟過,不責得,言不相坐,行不相反。在上治民,足以尊君;在下蒞修,足以變人。身無所咎,行無所刨,可謂榮矣。」
新字:叔向問晏子曰:「何若則可謂栄矣?」晏子対曰:「事親孝、無悔往行;事君忠、無悔往辞。和于兄弟,信于朋友,不謟過,不責得,言不相坐,行不相反。在上治民,足以尊君;在下莅修,足以変人。身無所咎,行無所刨,可謂栄矣。」
書き下し
叔向、晏子に問いて曰く、「何若なれば則ち栄と謂う可きか」と。晏子対えて曰く、「親に事えて孝、往行を悔ゆること無く、君に事えて忠、往辞を悔ゆること無し。兄弟に和し、朋友に信あり、過ちに諂わず、得たるを責めず、言は相坐せず、行いは相反せず。上に在りては民を治め、以て君を尊ぶに足り、下に在りては蒞み修め、以て人を変ずるに足る。身に咎むる所無く、行いに刨る所無し。栄と謂う可し」と。
現代語訳
叔向が晏子に尋ねました。「どのようであれば栄えある人といえるでしょうか」。晏子は答えました。「親に仕えては孝を尽くし、過去の行いを悔やむことがなく、君に仕えては忠を尽くし、過去の言葉を悔やむことがありません。兄弟とは睦まじく、友とは信義を守り、過ちにへつらわず、人が得たものを責めず、言葉が互いの罪にならず、行いが互いに食い違わない。上にいては民を治めて君を尊ばせるのに足り、下にいては務めを修めて人を感化するのに足ります。身に咎められることがなく、行いに傷もない。これを栄えある人といえるでしょう」。
解説
晋の叔向が、栄えるとはどういう人かと晏子に尋ねた問答です。晏子は地位や富ではなく、親への孝、君への忠、兄弟や友との関わりといった日々の行いを並べて答えます。鍵は「往行を悔ゆること無く、往辞を悔ゆること無し」で、過去の言動を振り返っても恥じるところがない状態を指しています。上にいても下にいても務めを果たし、周りを良い方へ動かせることが栄の条件とされます。現代の管理職にとっても、肩書や成果の大きさより、昨日までの判断と発言を部下の前で言い直さずに済むかどうかが信頼の土台になります。
この章句が説くこと
栄孝忠信義言行一致晏子春秋
関連する章句
-
『武士道』第九章 忠節・忠と孝の衝突平家物語の作者は、小松内府の父清盛の暴虐を憂ふるの条に至り、惻然として、『悲しきかな、君の御為に奉公の忠を致さんとすれば、迷盧八万の巓よりもなほ高き父の恩、たちまちに忘れんとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れんとすれば、君の御為には既に不忠の逆臣ともなりぬべし、進退これ谷れり』と歎ぜり。哀れむべし重盛、彼れ後、霊性の誠を披いて死を天に祈り、純潔正義の宿するに難き此塵世を出離せんことを願ふを見るに非らずや。義理と人情との衝突によりて心破れたるもの、古来其人多し、あに独り重盛のみならんや。シェイクスピアも将た旧約全書も、孝を説いて未だ明かなるものあるを見ず。然るに一旦此の衝突の起るや、武士道は孝を捨てて寧ろ忠を取るに遅疑せず。しかのみならず、女子も亦た敢て其子を励まして君主の為に死せしむ。
-
『童子問』卷中問ふ、忠と孝と孰れか重き。曰く、軽重無し。君親躰均しく、恩義相倚る。其の親に孝なる者は、必ず其の君に忠なり。其の君に忠なる者は、必ず其の親に孝なり。未だ其の親に孝ならずして、能く其の君に忠なる者有らざるなり。又未だ其の君に忠ならずして、能く其の親に孝なる者有らざるなり。故に孔子曰く、孝を以て君に事ふれば、則ち忠なりと。又曰く、忠臣を孝子の門に求むと。世俗多く忠孝両全する能はずと言ふ。此の言を為す者は、蓋し其の一を勤めて、其の一を緩くせんと欲する意有り。若し不孝の子に非ざれば、必ず是れ不忠の臣なり。不孝の子は人に非ず、不忠の臣も亦人に非ず。之を戒めよ、之を戒めよ。欧陽子曰く、君に在りては則ち君の為にし、親に在りては則ち親の為にすと。此の言之を得たり。
-
『翁問答』上卷之本臣下は忠節を以て、君に事ふるを根本とす、忠は二心なく、一筋に君の為め而己思ひ入れ、夫々の職分を能く勤めて我身を捨てゝ奉公する徳なり、夫々の位に由て、大小の差別はあれ共、忠の心法は同じ者なり、君の恩は親の恩に等しき厚恩なれば、親に事ふるが如く、心を尽して仕なり、親は此形を生み育てたる恩なり、君は此身を養ひ給ふ恩なり、親無ければ此身なく、君無ければ此身の養ひ無し皆命を保つ恩なる故に、親にも君にも命を棄て、奉公する道理なり、
-
『武士道』第九章 忠節・支那は孝を本とし日本は忠を本とす此れと等しく、日本人の懐抱する如き忠節は、国を異にして之を頌するものの、ほとんど稀なるを見ん。然れども此れ、吾人の観念の非なるが故にあらずして、却つて彼れにありては既に之を忘却せるが故にして、又た日本人の忠節の念に深厚なるは、他国の未だ容易に企及する能はざるものあるが為なるなからんか。グリフィス氏が、支那に在りては孔教は孝を以て百行の基と為し、日本に在りては忠を以て本と為す、と説けるは真に然り。予は今ここに、読者の或は吃驚酸鼻すべきを顧みず、シェイクスピアの所謂『落魄の主君に仕へて艱苦をつぶさにし』、以て『稗史に名を得たる』忠臣の物語を叙せん。其物語は、我国史を飾れる清廉高義の人格、菅原道真を寓せるものなり。
-
『囲炉夜話』第百二十則・仁に假仁有り義に假義有り忠に愚忠有り、孝に愚孝有り、忠孝の二字は伶俐の人の做し得來るものに非ざるを知るべし。 仁に假仁有り、義に假義有り、仁義の二途は奸險の人の其の內に藏るること無きにあらざるを知るべし。
-
葉隠・聞書第一忠臣は孝子の門に尋ねよとあり。随分(ずいぶん)心を尽くして孝行すべき事なり。奉公に精を出す人は自然にはあれども、孝行に精出す人は稀なり。よき者には他人も懇(ねんご)ろに、亡き後にて残り多く、孝行に精出す人は稀なり。無理なる人、無理なる親にてなくば知れまじきなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る