晏子春秋 / 諫下・景公路寢台成逢於何願合葬晏子諫而許
豐樂侈遊,兼傲生死,非仁君之行也。遂欲滿求,不顧細民,非存之道也。且嬰聞之,生者不得安,命之曰蓄憂;死者不得葬,命之曰蓄哀。蓄憂者怨,蓄哀者危,君不如許之。」公曰:「諾。」晏子出,梁丘據曰:「自古及今,未嘗聞求葬公宮者也,若何許之?」公曰:「削人之居,殘人之墓,淩人之喪而禁其葬,是於生者無施,于死者無禮也。詩云:『穀則異室,死則同穴』,吾敢不許乎?」逢於何遂葬其母于路寢之台墉下,解衰去絰,布衣滕履,玄冠茈武,踴而不哭,躃而不拜,已乃涕洟而去。
新字:豊楽侈遊,兼傲生死,非仁君之行也。遂欲満求,不顧細民,非存之道也。且嬰聞之,生者不得安,命之曰蓄憂;死者不得葬,命之曰蓄哀。蓄憂者怨,蓄哀者危,君不如許之。」公曰:「諾。」晏子出,梁丘拠曰:「自古及今,未嘗聞求葬公宮者也,若何許之?」公曰:「削人之居,残人之墓,淩人之喪而禁其葬,是於生者無施,于死者無礼也。詩云:『穀則異室,死則同穴』,吾敢不許乎?」逢於何遂葬其母于路寝之台墉下,解衰去絰,布衣滕履,玄冠茈武,踴而不哭,躃而不拝,已乃涕洟而去。
書き下し
豊楽侈遊して、生死を兼ね傲る、仁君の行いに非ざるなり。求めを遂げ満たさんとして、細民を顧みざるは、存するの道に非ざるなり。且つ嬰之を聞く、生者安んずるを得ざるを、命づけて蓄憂と曰う。死者葬るを得ざるを、命づけて蓄哀と曰う。蓄憂する者は怨み、蓄哀する者は危うし、君は之を許すに如かず」と。公曰く、「諾」と。晏子出で、梁丘据曰く、「古より今に及ぶまで、未だ嘗て葬を公宮に求むる者を聞かず、若何ぞ之を許さん」と。公曰く、「人の居を削り、人の墓を残い、人の喪を淩ぎて其の葬を禁ず、是れ生者に於て施す無く、死者に於て礼無きなり。詩に云う、『穀きには則ち室を異にし、死しては則ち穴を同じくす』と、吾敢えて許さざらんや」と。逢於何遂に其の母を路寝の台の墉下に葬り、衰を解き絰を去り、布衣滕履、玄冠茈武、踴して哭せず、躃して拝せず、已にして乃ち涕洟して去る。
現代語訳
豊かさと楽しみに溺れ、奢り遊んで、生きている者と死んだ者の両方を見下すのは、仁君の行いではありません。望みを満たすことを追い求めて、身分の低い民を顧みないのは、国を保つ道ではありません。私はこう聞いています。生きている者が安らげないことを『憂いを蓄える』といい、死んだ者が葬られないことを『悲しみを蓄える』といいます。憂いを蓄える者は恨み、悲しみを蓄える者は危うくなります。殿はお許しになるのがよいでしょう。」公は「わかった」と言いました。晏子が退出すると、梁丘据が言いました。「昔から今まで、君主の宮に葬を求める者を聞いたことがありません。どうして許されるのですか。」公は言いました。「人の住まいを削り、人の墓を壊し、人の喪を踏みにじってその葬を禁じるのは、生きている者に施しがなく、亡くなった者に礼がないということだ。詩に『生きては家を別にし、死しては穴を同じくする』とある。私は許さずにいられようか。」逢於何はそうして母を路寝の台の垣の下に葬り、喪服を脱いで帯を外し、麻の衣と藁の履で、黒い冠に紫の冠の紐を着け、足を踏みならしても声を上げて泣かず、胸を打っても拝礼せず、やがて涙を流して去りました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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