維摩経 / 囑累品第十四(2)
彌勒菩薩聞說是已白佛言。世尊。未曾有也。如佛所說。我當遠離如斯之惡奉持如來無數阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法。若未來世善男子善女人求大乘者當令手得如是等經。與其念力。使受持讀誦為他廣說。世尊。若後末世有能受持讀誦為他說者。當知皆是彌勒神力之所建立。佛言。善哉善哉彌勒。如汝所說。佛助爾喜。 於是一切菩薩合掌白佛。我等亦於如來滅後。十方國土廣宣流布阿耨多羅三藐三菩提法。復當開導諸說法者令得是經。 爾時四天王白佛言。世尊。在在處處城邑聚落山林曠野。有是經卷讀誦解說者。我當率諸官屬為聽法故往詣其所擁護其人。面百由旬令無伺求得其便者。 是時佛告阿難。受持是經廣宣流布。阿難言唯然。我已受持要者。世尊。當何名斯經。佛言。阿難。是經名為維摩詰所說。亦名不可思議解脫法門。如是受持。佛說是經已。長者維摩詰.文殊師利.舍利弗.阿難等。及諸天人阿修羅一切大眾。聞佛所說皆大歡喜。
新字:弥勒菩薩聞説是已白仏言。世尊。未曽有也。如仏所説。我当遠離如斯之悪奉持如来無数阿僧祇劫所集阿耨多羅三藐三菩提法。若未来世善男子善女人求大乗者当令手得如是等経。与其念力。使受持読誦為他広説。世尊。若後末世有能受持読誦為他説者。当知皆是弥勒神力之所建立。仏言。善哉善哉弥勒。如汝所説。仏助爾喜。 於是一切菩薩合掌白仏。我等亦於如来滅後。十方国土広宣流布阿耨多羅三藐三菩提法。復当開導諸説法者令得是経。 爾時四天王白仏言。世尊。在在処処城邑聚落山林曠野。有是経巻読誦解説者。我当率諸官属為聴法故往詣其所擁護其人。面百由旬令無伺求得其便者。 是時仏告阿難。受持是経広宣流布。阿難言唯然。我已受持要者。世尊。当何名斯経。仏言。阿難。是経名為維摩詰所説。亦名不可思議解脱法門。如是受持。仏説是経已。長者維摩詰.文殊師利.舎利弗.阿難等。及諸天人阿修羅一切大衆。聞仏所説皆大歓喜。
書き下し
弥勒菩薩、是を説くを聞き已りて、仏に白して言わく、世尊、未曾有なり。仏の説きたまう所の如く、我れ当に斯くの如き悪を遠離し、如来の無数阿僧祇劫に集めたまう所の阿耨多羅三藐三菩提の法を奉持すべし。若し未来世の善男子・善女人の大乗を求むる者には、当に手に是くの如き等の経を得しめ、与に念力を与えて、受持し読誦し、他の為に広く説かしむべし。世尊、若し後の末世に能く受持し読誦して他の為に説く者有らば、当に知るべし、皆是れ弥勒の神力の建立する所なり。仏の言わく、善きかな善きかな、弥勒。汝が説く所の如し。仏、爾の助けを喜ぶ。 是に於いて一切の菩薩、合掌して仏に白さく、我等も亦、如来の滅後に、十方国土にして広く阿耨多羅三藐三菩提の法を宣べ流布し、復た当に諸の説法者を開導して、是の経を得しめん。 爾の時、四天王、仏に白して言わく、世尊、在在処処の城邑・聚落・山林・曠野に、是の経巻有りて読誦し解説する者あらば、我れ当に諸の官属を率いて、法を聴かんが為の故に其の所に往詣し、其の人を擁護し、面百由旬に伺い求めて其の便りを得る者無からしめん。 是の時、仏、阿難に告げたまわく、是の経を受持し、広く宣べ流布せよ。阿難の言わく、唯然り、我れ已に受持せり。要は、世尊、当に何と斯の経を名づくべき。仏の言わく、阿難、是の経を名づけて維摩詰所説と為し、亦、不可思議解脱法門と名づく。是くの如く受持せよ。仏、是の経を説き已りたまうに、長者維摩詰・文殊師利・舎利弗・阿難等、及び諸の天人・阿修羅、一切の大衆、仏の所説を聞きて皆大いに歓喜せり。
現代語訳
弥勒菩薩はこの教えを聞き終えて、仏に申し上げました。「世尊、かつてないことです。仏の説かれたとおり、私はこのような悪から遠く離れ、如来が無数の阿僧祇劫のあいだに集められた無上の悟りの法を、つつしんで奉持いたします。もし未来の世に、大乗を求める善い男女がいれば、その手にこうした経を得させ、念ずる力を与えて、受け持ち、読み誦え、他の人のために広く説かせましょう。世尊、もし後の末の世に、よく受け持ち、読み誦えて他の人のために説く者がいれば、それはすべて弥勒の神力が支えたものだとお知りください。」仏は言いました。「よいことだ、よいことだ、弥勒。あなたの言うとおりである。私はあなたの助けを喜ぶ。」 そこですべての菩薩たちが合掌して仏に申し上げました。「私たちもまた、如来の滅後に、十方の国々で広く無上の悟りの法を宣べ伝え、さらに説法者たちを導いて、この経を得られるようにいたします。」 そのとき、四天王が仏に申し上げました。「世尊、あらゆる所の町や村、山林や荒野に、この経巻があって、読み誦え解説する人がいれば、私は配下の者たちを率いて、法を聞くためにその場所へ行き、その人を守護し、周囲百由旬のうちに、すきをうかがう者がいないようにいたします。」 このとき、仏は阿難に告げました。「この経を受け持ち、広く宣べ流布しなさい。」阿難は言いました。「はい、私はすでに要点を受け持ちました。世尊、この経を何と名づければよいでしょうか。」仏は言いました。「阿難よ、この経を維摩詰所説と名づけ、また不可思議解脱法門とも名づける。このように受け持ちなさい。」仏がこの経を説き終えると、長者の維摩詰、文殊師利、舎利弗、阿難ら、そして天人、阿修羅、すべての大衆は、仏の説かれたことを聞いて、みな大いに喜びました。
解説

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維摩経・囑累品第十四(1)是に於いて仏、弥勒菩薩に告げて言いたまわく、弥勒、我れ今、是の無量億阿僧祇劫に集むる所の阿耨多羅三藐三菩提の法を以て、汝に付嘱す。是くの如き輩の経は、仏の滅後、末世の中に、汝等当に神力を以て広く宣べ、閻浮提に流布して断絶せしむること無かるべし。所以は何ん。未来世の中に、当に善男子・善女人、及び天・龍・鬼神・乾闥婆・羅刹等有りて、阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、大法を楽わん。若し是くの如き等の経を聞かざらしめば、則ち善利を失わん。此の輩の人、是等の経を聞かば、必ず多く信楽して希有の心を発し、当に頂受して、諸の衆生の応に得べき所の利に随いて、為に広く説くべし。弥勒、当に知るべし、菩薩に二相有り。何をか二と為す。一には雑句・文飾の事を好む。二には深義を畏れず、如実に能く入る。若し雑句・文飾の事を好む者は、当に知るべし、是れ新学の菩薩と為す。若し是くの如き無染・無著の甚深の経典に於いて、恐畏有ること無く、能く其の中に入り、聞き已りて心浄く、受持し読誦し、説の如く修行せば、当に知るべし、是れ久しく道行を修めたりと為す。弥勒、復た二法有り、新学者と名づく。甚深の法に於いて決定すること能わず。何等をか二と為す。一には、未だ聞かざる所の深経を、之を聞きて驚怖し疑いを生じ、随順すること能わず、毀謗し信ぜずして、是の言を作す、我れ初めより聞かず、何れ従り来たると。二には、若し是くの如き深経を護持し解説する者有らば、親近し供養し恭敬することを肯んぜず、或る時は其の中に於いて其の過悪を説く。此の二法有らば、当に知るべし、是れ新学の菩薩と為す。自ら毀傷を為し、深法の中に於いて其の心を調伏すること能わず。弥勒、復た二法有り。菩薩、深法を信解すと雖も、猶お自ら毀傷して無生法忍を得る能わず。何等をか二と為す。一には、新学の菩薩を軽慢して教誨せず。二には、深法を解すと雖も、相を取りて分別す。是を二法と為す。
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