維摩経 / 佛道品第八(2)
於是維摩詰問文殊師利。何等為如來種。文殊師利言。有身為種。無明有愛為種。貪恚癡為種。四顛倒為種。五蓋為種。六入為種。七識處為種。八邪法為種。九惱處為種。十不善道為種。以要言之。六十二見及一切煩惱皆是佛種。曰何謂也。答曰。若見無為入正位者。不能復發阿耨多羅三藐三菩提心。譬如高原陸地不生蓮華卑濕淤泥乃生此華。如是見無為法入正位者。終不復能生於佛法。煩惱泥中乃有眾生起佛法耳。又如殖種於空終不得生。糞壤之地乃能滋茂。如是入無為正位者不生佛法。起於我見如須彌山。猶能發于阿耨多羅三藐三菩提心生佛法矣。是故當知一切煩惱為如來種。譬如不下巨海不能得無價寶珠。如是不入煩惱大海。則不能得一切智寶。 爾時大迦葉歎言。善哉善哉文殊師利。快說此語誠如所言。塵勞之疇為如來種。我等今者不復堪任發阿耨多羅三藐三菩提心。乃至五無間罪。猶能發意生於佛法。而今我等永不能發。譬如根敗之士其於五欲不能復利。如是聲聞諸結斷者。於佛法中無所復益永不志願。是故文殊師利。凡夫於佛法有返復。而聲聞無也。所以者何。凡夫聞佛法能起無上道心不斷三寶。正使聲聞終身聞佛法力無畏等。永不能發無上道意。
新字:於是維摩詰問文殊師利。何等為如来種。文殊師利言。有身為種。無明有愛為種。貪恚痴為種。四顛倒為種。五蓋為種。六入為種。七識処為種。八邪法為種。九悩処為種。十不善道為種。以要言之。六十二見及一切煩悩皆是仏種。曰何謂也。答曰。若見無為入正位者。不能復発阿耨多羅三藐三菩提心。譬如高原陸地不生蓮華卑湿淤泥乃生此華。如是見無為法入正位者。終不復能生於仏法。煩悩泥中乃有衆生起仏法耳。又如殖種於空終不得生。糞壤之地乃能滋茂。如是入無為正位者不生仏法。起於我見如須弥山。猶能発于阿耨多羅三藐三菩提心生仏法矣。是故当知一切煩悩為如来種。譬如不下巨海不能得無価宝珠。如是不入煩悩大海。則不能得一切智宝。 爾時大迦葉嘆言。善哉善哉文殊師利。快説此語誠如所言。塵労之疇為如来種。我等今者不復堪任発阿耨多羅三藐三菩提心。乃至五無間罪。猶能発意生於仏法。而今我等永不能発。譬如根敗之士其於五欲不能復利。如是声聞諸結断者。於仏法中無所復益永不志願。是故文殊師利。凡夫於仏法有返復。而声聞無也。所以者何。凡夫聞仏法能起無上道心不断三宝。正使声聞終身聞仏法力無畏等。永不能発無上道意。
書き下し
是に於いて維摩詰、文殊師利に問う、何等をか如来の種と為す、と。文殊師利の言わく、身有るを種と為す。無明・有愛を種と為す。貪・恚・癡を種と為す。四顛倒を種と為す。五蓋を種と為す。六入を種と為す。七識処を種と為す。八邪法を種と為す。九悩処を種と為す。十不善道を種と為す。要言を以てすれば、六十二見及び一切の煩悩は皆是れ仏種なり。曰わく、何の謂いぞや、と。答えて曰わく、若し無為を見て正位に入る者は、復た阿耨多羅三藐三菩提の心を発すこと能わず。譬えば高原の陸地には蓮華を生ぜず、卑湿の淤泥に乃ち此の華を生ずるが如し。是くの如く、無為の法を見て正位に入る者は、終に復た仏法を生ずること能わず。煩悩の泥の中にして乃ち衆生有りて仏法を起こすのみ。又、種を空に殖うれば終に生ずることを得ず、糞壌の地にして乃ち能く滋茂するが如し。是くの如く、無為の正位に入る者は仏法を生ぜず。我見を起こすこと須弥山の如くなるも、猶お能く阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、仏法を生ぜん。是の故に当に知るべし、一切の煩悩は如来の種たり。譬えば巨海に下らざれば無価の宝珠を得ること能わざるが如く、是くの如く煩悩の大海に入らざれば、則ち一切智の宝を得ること能わず。 爾の時、大迦葉歎じて言わく、善いかな善いかな、文殊師利、快く此の語を説く。誠に所言の如し。塵労の疇は如来の種たり。我等今は復た阿耨多羅三藐三菩提の心を発すに堪任せず。乃至五無間の罪すら猶お能く意を発して仏法を生ず。而るに今我等は永く発すこと能わず。譬えば根の敗れたる士の、其の五欲に於いて復た利なること能わざるが如し。是くの如く声聞の諸結を断ぜる者は、仏法の中に於いて復た益する所無く、永く志願せず。是の故に文殊師利、凡夫は仏法に於いて返復有るも、声聞には無きなり。所以は何ん。凡夫は仏法を聞きて能く無上道心を起こし三宝を断ぜず。正使い声聞は終身仏法・力・無畏等を聞くとも、永く無上道意を発すこと能わず。
現代語訳
ここで維摩詰が文殊師利に尋ねました。如来の種とは何でしょうか。文殊師利は答えました。身体があることが種です。無明と有愛が種です。貪り・怒り・愚かさが種です。四つの顛倒が種です。五つの蓋が種です。六入が種です。七識処が種です。八つの邪法が種です。九つの悩処が種です。十の不善の道が種です。要するに、六十二の見と、すべての煩悩が、みな仏の種です。維摩詰が尋ねました。どういう意味ですか。答えました。もし無為を見て正位に入る者は、もう阿耨多羅三藐三菩提の心を起こすことができません。たとえば高い乾いた土地には蓮の花が咲かず、低くて湿った泥の中にこそ、この花が咲くようなものです。そのように、無為の法を見て正位に入った者は、ついに仏法を生み出せません。煩悩の泥の中にいてこそ、衆生は仏法を起こすのです。また、種を空中にまいても生えず、肥えた泥土でこそよく茂るようなものです。そのように、無為の正位に入った者は仏法を生み出しません。須弥山ほどの我見を起こしても、なお阿耨多羅三藐三菩提の心を起こし、仏法を生み出せるのです。だから、すべての煩悩が如来の種だと知るべきです。たとえば大海に入らなければ無価の宝珠は得られないように、煩悩の大海に入らなければ、一切智という宝は得られません。 そのとき大迦葉が感嘆して言いました。素晴らしい、素晴らしい、文殊師利。見事にこの語を説かれました。まことにおっしゃるとおりです。煩悩にまみれた者たちこそ如来の種です。私たちは今、阿耨多羅三藐三菩提の心をもう起こすことができません。五無間の罪を犯した者でさえ、なお心を起こして仏法を生み出せるのに、私たちはもう永く起こせないのです。たとえば、根の枯れた人が五欲に対してもう楽しみを感じないようなものです。このように、声聞で諸々の煩悩を断った者は、仏法において何の益もなく、永く願いを起こしません。だから文殊師利よ、凡夫は仏法に対して立ち返ることがありますが、声聞にはありません。なぜなら、凡夫は仏法を聞いて無上の道心を起こし、三宝を絶やさないからです。たとえ声聞が生涯、仏法・力・無畏などを聞いても、永く無上の道を求める心を起こすことはできません。
解説

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