維摩経 / 觀眾生品第七(7)
如舍利弗非女而現女身。一切女人亦復如是。雖現女身而非女也。是故佛說一切諸法非男非女。即時天女還攝神力。舍利弗身還復如故。天問舍利弗。女身色相今何所在。舍利弗言。女身色相無在無不在。天曰。一切諸法亦復如是。無在無不在。夫無在無不在者佛所說也。舍利弗問天。汝於此沒當生何所。天曰。佛化所生吾如彼生。曰佛化所生非沒生也。天曰。眾生猶然無沒生也。舍利弗問天。汝久如當得阿耨多羅三藐三菩提。天曰。如舍利弗還為凡夫。我乃當成阿耨多羅三藐三菩提。舍利弗言。我作凡夫無有是處。天曰。我得阿耨多羅三藐三菩提亦無是處。所以者何。菩提無住處。是故無有得者。舍利弗言。今諸佛得阿耨多羅三藐三菩提。已得當得。如恒河沙。皆謂何乎。天曰。皆以世俗文字數故說有三世。非謂菩提有去來今。天曰。舍利弗。汝得阿羅漢道耶。曰無所得故而得。天曰。諸佛菩薩亦復如是。 無所得故而得。 爾時維摩詰。語舍利弗。是天女已曾供養九十二億佛已。能遊戲菩薩神通。所願具足得無生忍住不退轉。以本願故隨意能現教化眾生。
新字:如舎利弗非女而現女身。一切女人亦復如是。雖現女身而非女也。是故仏説一切諸法非男非女。即時天女還摂神力。舎利弗身還復如故。天問舎利弗。女身色相今何所在。舎利弗言。女身色相無在無不在。天曰。一切諸法亦復如是。無在無不在。夫無在無不在者仏所説也。舎利弗問天。汝於此没当生何所。天曰。仏化所生吾如彼生。曰仏化所生非没生也。天曰。衆生猶然無没生也。舎利弗問天。汝久如当得阿耨多羅三藐三菩提。天曰。如舎利弗還為凡夫。我乃当成阿耨多羅三藐三菩提。舎利弗言。我作凡夫無有是処。天曰。我得阿耨多羅三藐三菩提亦無是処。所以者何。菩提無住処。是故無有得者。舎利弗言。今諸仏得阿耨多羅三藐三菩提。已得当得。如恒河沙。皆謂何乎。天曰。皆以世俗文字数故説有三世。非謂菩提有去来今。天曰。舎利弗。汝得阿羅漢道耶。曰無所得故而得。天曰。諸仏菩薩亦復如是。 無所得故而得。 爾時維摩詰。語舎利弗。是天女已曽供養九十二億仏已。能遊戯菩薩神通。所願具足得無生忍住不退転。以本願故随意能現教化衆生。
書き下し
舎利弗の女身に非ずして女身を現ずるが如く、一切の女人も亦復た是くの如し。女身を現ずと雖も女に非ざるなり。是の故に仏は、一切の諸法は男に非ず女に非ずと説く。即時に天女、神力を還摂すれば、舎利弗の身は還りて故の如くに復す。天、舎利弗に問う、女身の色相、今何れの所にか在る、と。舎利弗の言わく、女身の色相は、在ること無く、在らざること無し。天の曰わく、一切の諸法も亦復た是くの如く、在ること無く、在らざること無し。夫れ在ること無く在らざること無しとは、仏の説く所なり。舎利弗、天に問う、汝は此に於いて没して、当に何れの所に生ずべき、と。天の曰わく、仏の化して生ずる所は、吾れ彼の如く生ず。曰わく、仏の化して生ずる所は、没生に非ざるなり。天の曰わく、衆生も猶お然り、没生無きなり。舎利弗、天に問う、汝は久しきこと如何ぞして、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べき、と。天の曰わく、舎利弗、還りて凡夫と為らば、我れ乃ち当に阿耨多羅三藐三菩提を成ずべし。舎利弗の言わく、我れ凡夫と作ること、是の処有ること無し。天の曰わく、我れ阿耨多羅三藐三菩提を得ること、亦た是の処有ること無し。所以は何ん。菩提には住処無し、是の故に得る者有ること無し。舎利弗の言わく、今諸仏の阿耨多羅三藐三菩提を得たること、已に得、当に得、恒河沙の如し、皆謂何ぞや、と。天の曰わく、皆世俗の文字の数を以ての故に、三世有りと説く。菩提に去・来・今有りと謂うに非ず。天の曰わく、舎利弗、汝は阿羅漢道を得たるか。曰わく、得る所無きが故に得たり。天の曰わく、諸仏・菩薩も亦復た是くの如し。 得る所無きが故に得たり。 爾の時、維摩詰、舎利弗に語る、是の天女は已に曾て九十二億の仏を供養し已れり。能く菩薩の神通に遊戯し、所願具足して無生忍を得、不退転に住す。本願を以ての故に、意に随いて能く現じて衆生を教化す。
現代語訳
舎利弗が本来は女の身ではないのに女の身を現したように、すべての女性もそのとおりです。女の身を現しても、本当は女ではありません。だから仏は、あらゆる存在は男でもなく女でもないと説かれます。そのとき天女が神通力を収めると、舎利弗の身はもとに戻りました。天女は舎利弗に尋ねました。女の身の色や姿は、今どこにありますか。舎利弗は答えました。女の身の色や姿は、あるのでもなく、ないのでもありません。天女は言いました。あらゆる存在もまた同じで、あるのでもなく、ないのでもありません。あるのでもなく、ないのでもないというのが、仏の説かれたことです。舎利弗が尋ねました。あなたはここで命を終えたら、どこに生まれますか。天女は答えました。仏が化して生まれさせるところに、私も同じように生まれます。舎利弗は言いました。仏の化して生まれるのは、死んで生まれるのではありません。天女は言いました。衆生もまた同じで、死んで生まれるということはありません。舎利弗が尋ねました。あなたはどれほどで阿耨多羅三藐三菩提を得ますか。天女は言いました。舎利弗さまが凡夫に戻られたら、私は阿耨多羅三藐三菩提を成就するでしょう。舎利弗は言いました。私が凡夫になることはありえません。天女は言いました。私が阿耨多羅三藐三菩提を得ることも、ありえません。なぜなら、菩提には住む所がなく、だから得る者もいないからです。舎利弗が言いました。今、諸仏が阿耨多羅三藐三菩提をすでに得た、これから得る、その数は恒河の砂ほどだというのは、どういう意味ですか。天女は言いました。すべて世間の言葉と数のうえで、過去・現在・未来があると説くのであって、菩提に過去・現在・未来があるというのではありません。天女は言いました。舎利弗さま、あなたは阿羅漢の道を得ましたか。舎利弗は答えました。得るものがないので得ました。天女は言いました。諸仏や菩薩もそのとおりです。 得るものがないので得たのです。 そのとき維摩詰が舎利弗に言いました。この天女は、すでに九十二億の仏を供養しました。菩薩の神通に自在に遊び、願いを満たして無生忍を得、不退転に住しています。もとの誓願によって、思いのままに姿を現し、衆生を教え導くのです。
解説

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