維摩経 / 觀眾生品第七(5)
舍利弗問天。汝於三乘為何志求。天曰。以聲聞法化眾生故我為聲聞。以因緣法化眾生故我為辟支佛。以大悲法化眾生故我為大乘。舍利弗。如人入瞻蔔林唯嗅瞻蔔不嗅餘香。如是若入此室。但聞佛功德之香。不樂聞聲聞辟支佛功德香也。舍利弗。其有釋梵四天王諸天龍鬼神等入此室者。聞斯上人講說正法。皆樂佛功德之香發心而出。舍利弗。吾止此室十有二年。初不聞說聲聞辟支佛法。但聞菩薩大慈大悲不可思議諸佛之法。舍利弗。此室常現八未曾有難得之法。何等為八。此室常以金色光照晝夜無異。不以日月所照為明。是為一未曾有難得之法。此室入者不為諸垢之所惱也。是為二未曾有難得之法。此室常有釋梵四天王他方菩薩來會不絕。是為三未曾有難得之法。此室常說六波羅蜜不退轉法。是為四未曾有難得之法。此室常作天人第一之樂絃出無量法化之聲。是為五未曾有難得之法。此室有四大藏眾寶積滿。
新字:舎利弗問天。汝於三乗為何志求。天曰。以声聞法化衆生故我為声聞。以因縁法化衆生故我為辟支仏。以大悲法化衆生故我為大乗。舎利弗。如人入瞻蔔林唯嗅瞻蔔不嗅余香。如是若入此室。但聞仏功徳之香。不楽聞声聞辟支仏功徳香也。舎利弗。其有釈梵四天王諸天竜鬼神等入此室者。聞斯上人講説正法。皆楽仏功徳之香発心而出。舎利弗。吾止此室十有二年。初不聞説声聞辟支仏法。但聞菩薩大慈大悲不可思議諸仏之法。舎利弗。此室常現八未曽有難得之法。何等為八。此室常以金色光照昼夜無異。不以日月所照為明。是為一未曽有難得之法。此室入者不為諸垢之所悩也。是為二未曽有難得之法。此室常有釈梵四天王他方菩薩来会不絶。是為三未曽有難得之法。此室常説六波羅蜜不退転法。是為四未曽有難得之法。此室常作天人第一之楽絃出無量法化之声。是為五未曽有難得之法。此室有四大蔵衆宝積満。
書き下し
舎利弗、天に問う、汝は三乗に於いて何をか志求する、と。天の曰わく、声聞の法を以て衆生を化するが故に、我れ声聞と為る。因縁の法を以て衆生を化するが故に、我れ辟支仏と為る。大悲の法を以て衆生を化するが故に、我れ大乗と為る。舎利弗、人の瞻蔔林に入れば、唯だ瞻蔔のみを嗅ぎて、余の香を嗅がざるが如し。是くの如く、若し此の室に入れば、但だ仏の功徳の香のみを聞ぎ、声聞・辟支仏の功徳の香を聞ぐことを楽しまざるなり。舎利弗、其れ釈・梵・四天王・諸天・龍・鬼神等有りて、此の室に入る者は、斯の上人の正法を講説するを聞き、皆仏の功徳の香を楽しみ、発心して出づ。舎利弗、吾れ此の室に止まること十有二年、初めより声聞・辟支仏の法を説くを聞かず、但だ菩薩の大慈大悲、不可思議の諸仏の法を聞くのみ。舎利弗、此の室には常に八つの未曾有の難得の法を現ず。何等をか八と為す。此の室には常に金色の光を以て照らし、昼夜異なること無く、日月の照らす所を以て明と為さず。是れを一の未曾有の難得の法と為す。此の室に入る者は、諸の垢の悩ます所と為らず。是れを二の未曾有の難得の法と為す。此の室には常に釈・梵・四天王・他方の菩薩の来会すること絶えず。是れを三の未曾有の難得の法と為す。此の室には常に六波羅蜜の不退転の法を説く。是れを四の未曾有の難得の法と為す。此の室には常に天人第一の楽を作し、絃より無量の法化の声を出だす。是れを五の未曾有の難得の法と為す。此の室に四大蔵有り、衆宝積み満てり。
現代語訳
舎利弗が天女に尋ねました。あなたは三乗のうち、どれを志し求めているのですか。天女は答えました。声聞の法で衆生を教え導くときは、私は声聞です。因縁の法で衆生を教え導くときは、私は辟支仏です。大悲の法で衆生を教え導くときは、私は大乗です。舎利弗よ、人が瞻蔔の林に入れば、瞻蔔の香りだけを嗅いで他の香りを嗅がないように、この部屋に入れば、ただ仏の功徳の香りだけを嗅ぎ、声聞や辟支仏の功徳の香りを嗅ぎたいとは思いません。舎利弗よ、帝釈天・梵天・四天王・諸天・龍・鬼神などがこの部屋に入ると、この上人が正法を説くのを聞いて、みな仏の功徳の香りを楽しみ、発心して出ていきます。舎利弗よ、私はこの部屋に十二年住んでいますが、声聞や辟支仏の法が説かれるのを初めから聞いたことがなく、ただ菩薩の大慈大悲と、不可思議な諸仏の法だけを聞いてきました。舎利弗よ、この部屋には常に、八つの得がたい未曾有の法が現れます。八とは何でしょうか。この部屋はいつも金色の光で照らされ、昼も夜も変わりがなく、太陽や月の光を明るさとしていません。これが第一の未曾有の難得の法です。この部屋に入る者は、さまざまな垢に悩まされません。これが第二です。この部屋には、帝釈天・梵天・四天王・他方の菩薩が絶えず集まります。これが第三です。この部屋では、六波羅蜜という退くことのない法がいつも説かれています。これが第四です。この部屋ではいつも天人第一の音楽が奏でられ、弦から無量の法の教えの声が出ます。これが第五です。この部屋には四つの大きな蔵があり、多くの宝が積み満ちています。
解説

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