維摩経 / 不思議品第六(3)
爾時維摩詰語舍利弗。就師子座。舍利弗言。居士。此座高廣吾不能昇。維摩詰言。唯舍利弗。為須彌燈王如來作禮乃可得坐。於是新發意菩薩及大弟子。即為須彌燈王如來作禮。便得坐師子座。舍利弗言。居士未曾有也。如是小室乃容受此高廣之座。於毘耶離城無所妨礙。又於閻浮提聚落城邑及四天下諸天龍王鬼神宮殿。亦不迫迮。維摩詰言。唯舍利弗。諸佛菩薩有解脫名不可思議。若菩薩住是解脫者。以須彌之高廣內芥子中無所增減。須彌山王本相如故。而四天王忉利諸天。不覺不知己之所入。唯應度者乃見須彌入芥子中。是名住不思議解脫法門。又以四大海水入一毛孔。不嬈魚鼈黿鼉水性之屬。而彼大海本相如故。諸龍鬼神阿修羅等不覺不知己之所入。於此眾生亦無所嬈。 又舍利弗。住不可思議解脫菩薩。斷取三千大千世界。如陶家輪著右掌中。擲過恒河沙世界之外。其中眾生不覺不知己之所往。又復還置本處。都不使人有往來想。而此世界本相如故。 又舍利弗。或有眾生樂久住世而可度者。菩薩即延七日以為一劫。令彼眾生謂之一劫。或有眾生不樂久住而可度者。菩薩即促一劫以為七日。令彼眾生謂之七日。 又舍利弗。住不可思議解脫菩薩。以一切佛土嚴飾之事。集在一國示於眾生。又菩薩以一佛土眾生置之右掌。飛到十方遍示一切。而不動本處。
新字:爾時維摩詰語舎利弗。就師子座。舎利弗言。居士。此座高広吾不能昇。維摩詰言。唯舎利弗。為須弥灯王如来作礼乃可得坐。於是新発意菩薩及大弟子。即為須弥灯王如来作礼。便得坐師子座。舎利弗言。居士未曽有也。如是小室乃容受此高広之座。於毘耶離城無所妨礙。又於閻浮提聚落城邑及四天下諸天竜王鬼神宮殿。亦不迫迮。維摩詰言。唯舎利弗。諸仏菩薩有解脱名不可思議。若菩薩住是解脱者。以須弥之高広内芥子中無所增減。須弥山王本相如故。而四天王忉利諸天。不覚不知己之所入。唯応度者乃見須弥入芥子中。是名住不思議解脱法門。又以四大海水入一毛孔。不嬈魚鼈黿鼉水性之属。而彼大海本相如故。諸竜鬼神阿修羅等不覚不知己之所入。於此衆生亦無所嬈。 又舎利弗。住不可思議解脱菩薩。断取三千大千世界。如陶家輪著右掌中。擲過恒河沙世界之外。其中衆生不覚不知己之所往。又復還置本処。都不使人有往来想。而此世界本相如故。 又舎利弗。或有衆生楽久住世而可度者。菩薩即延七日以為一劫。令彼衆生謂之一劫。或有衆生不楽久住而可度者。菩薩即促一劫以為七日。令彼衆生謂之七日。 又舎利弗。住不可思議解脱菩薩。以一切仏土厳飾之事。集在一国示於衆生。又菩薩以一仏土衆生置之右掌。飛到十方遍示一切。而不動本処。
書き下し
爾の時、維摩詰、舎利弗に語る、「師子の座に就け」と。舎利弗言わく、「居士、此の座は高広にして吾れ昇ること能わず」と。維摩詰言わく、「唯、舎利弗よ、須弥灯王如来の為に礼を作さば、乃ち坐することを得べし」と。是に於いて新発意の菩薩及び大弟子、即ち須弥灯王如来の為に礼を作し、便ち師子の座に坐することを得たり。舎利弗言わく、「居士、未曾有なり。是の如き小室、乃ち此の高広の座を容受す。毘耶離城に於いて妨げ礙ぐる所無く、又、閻浮提の聚落・城邑及び四天下の諸天・龍王・鬼神の宮殿に於いても、亦た迫迮せず」と。維摩詰言わく、「唯、舎利弗よ、諸仏菩薩に解脱有り、不可思議と名づく。若し菩薩、是の解脱に住せば、須弥の高広を以て芥子の中に内れて増減する所無し。須弥山王の本相は故の如くにして、四天王・忉利の諸天は、己の入る所を覚らず知らず。唯だ度すべき者のみ、乃ち須弥の芥子に入るを見る。是れを不思議解脱法門に住すと名づく。又、四大海の水を以て一毛孔に入れて、魚・鼈・黿・鼉・水性の属を嬈さず。而も彼の大海の本相は故の如く、諸の龍・鬼神・阿修羅等は、己の入る所を覚らず知らず。此の衆生に於いても亦た嬈す所無し。 又、舎利弗、不可思議解脱に住する菩薩は、三千大千世界を断取すること、陶家の輪の如くにして右掌の中に著け、擲げて恒河沙の世界の外に過ぐ。其の中の衆生は、己の往く所を覚らず知らず。又た復た還して本処に置くも、都て人をして往来の想有らしめず。而も此の世界の本相は故の如し。 又、舎利弗、或いは衆生の久しく世に住することを楽いて度すべき者有り。菩薩は即ち七日を延べて以て一劫と為し、彼の衆生をして之を一劫と謂わしむ。或いは衆生の久しく住することを楽わずして度すべき者有り。菩薩は即ち一劫を促めて以て七日と為し、彼の衆生をして之を七日と謂わしむ。 又、舎利弗、不可思議解脱に住する菩薩は、一切の仏土の厳飾の事を以て、一国に集めて衆生に示す。又、菩薩は一仏土の衆生を以て之を右掌に置き、十方に飛到して遍く一切に示すも、而も本処を動かず。
現代語訳
そのとき維摩詰は舎利弗に言いました。「獅子座に着いてください。」舎利弗は言いました。「居士よ、この座は高く広くて、私は登ることができません。」維摩詰は言いました。「舎利弗よ、須弥灯王如来に礼拝すれば、座ることができますよ。」そこで新たに心を発した菩薩たちと大弟子たちは、須弥灯王如来に礼拝し、すぐに獅子座に座ることができました。舎利弗は言いました。「居士よ、これまでにないことです。このような小さな部屋に、これほど高く広い座を受け入れて、毘耶離城でも妨げがなく、また閻浮提の村や町、四つの世界の諸天や竜王、鬼神の宮殿でも窮屈にならないとは。」維摩詰は言いました。「舎利弗よ、諸仏や菩薩には、不可思議と名づけられる解脱があります。もし菩薩がこの解脱にとどまるなら、須弥山の高さと広さのままを芥子粒の中に入れても、増えも減りもしません。須弥山王の本来の姿はそのままで、四天王や忉利天の神々は、自分たちが入れられたことに気づきません。ただ、救われるべき人だけが、須弥山が芥子粒に入るのを見ます。これを、不可思議解脱の法門にとどまる、と名づけます。また、四つの大海の水をひとつの毛穴に入れても、魚、すっぽん、大亀、わになど水に住む生き物を悩ますことがありません。しかもその大海の本来の姿はそのままで、竜や鬼神や阿修羅たちは、自分たちが入れられたことに気づきません。この衆生たちに対しても、悩ませることがありません。 また舎利弗よ、不可思議解脱にとどまる菩薩は、三千大千世界を切り取って、陶工のろくろのように右の掌に載せ、ガンジス河の砂の数ほどの世界のかなたに投げることができます。その中の衆生は、自分がどこへ行ったのか気づきません。またもとの場所に戻しても、人々に行き来したという思いを持たせません。しかもこの世界の本来の姿はそのままです。 また舎利弗よ、長く世に住むことを願って救われるべき衆生がいるなら、菩薩は七日を延ばして一劫とし、その衆生に一劫と思わせます。あるいは、長く住むことを願わず救われるべき衆生がいるなら、菩薩は一劫を縮めて七日とし、その衆生に七日と思わせます。 また舎利弗よ、不可思議解脱にとどまる菩薩は、すべての仏国土の荘厳のありさまを一つの国に集めて、衆生に示します。また菩薩は、一つの仏国土の衆生を右の掌に載せ、十方に飛んで行って、あまねくすべての人に示しますが、本来の場所を動くことはありません。
解説

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