維摩経 / 菩薩品第四(6)
佛告長者子善德。汝行詣維摩詰問疾。善德白佛言。世尊我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔自於父舍設大施會。供養一切沙門婆羅門及諸外道貧窮下賤孤獨乞人。期滿七日。時維摩詰來入會中。謂我言。長者子。夫大施會不當如汝所設。當為法施之會。何用是財施會為。我言。居士。何謂法施之會。答曰。法施會者。無前無後一時供養一切眾生。是名法施之會。曰何謂也。謂以菩提起於慈心。以救眾生。起大悲心。以持正法起於喜心。以攝智慧行於捨心。以攝慳貪起檀波羅蜜。以化犯戒起尸羅波羅蜜。以無我法起羼提波羅蜜。以離身心相起毘梨耶波羅蜜。以菩提相起禪波羅蜜。以一切智起般若波羅蜜。教化眾生而起於空。不捨有為法而起無相。示現受生而起無作。護持正法起方便力。以度眾生起四攝法。以敬事一切起除慢法。於身命財起三堅法。於六念中。起思念法。於六和敬起質直心。正行善法起於淨命。心淨歡喜起近賢聖。不憎惡人起調伏心。以出家法起於深心。以如說行起於多聞。以無諍法起空閑處。趣向佛慧起於宴坐。
新字:仏告長者子善徳。汝行詣維摩詰問疾。善徳白仏言。世尊我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念我昔自於父舎設大施会。供養一切沙門婆羅門及諸外道貧窮下賤孤独乞人。期満七日。時維摩詰来入会中。謂我言。長者子。夫大施会不当如汝所設。当為法施之会。何用是財施会為。我言。居士。何謂法施之会。答曰。法施会者。無前無後一時供養一切衆生。是名法施之会。曰何謂也。謂以菩提起於慈心。以救衆生。起大悲心。以持正法起於喜心。以摂智慧行於捨心。以摂慳貪起檀波羅蜜。以化犯戒起尸羅波羅蜜。以無我法起羼提波羅蜜。以離身心相起毘梨耶波羅蜜。以菩提相起禅波羅蜜。以一切智起般若波羅蜜。教化衆生而起於空。不捨有為法而起無相。示現受生而起無作。護持正法起方便力。以度衆生起四摂法。以敬事一切起除慢法。於身命財起三堅法。於六念中。起思念法。於六和敬起質直心。正行善法起於浄命。心浄歓喜起近賢聖。不憎悪人起調伏心。以出家法起於深心。以如説行起於多聞。以無諍法起空閑処。趣向仏慧起於宴坐。
書き下し
仏、長者の子善徳に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。善徳、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに我れ昔、自ら父の舎に於いて大施会を設け、一切の沙門・婆羅門及び諸の外道・貧窮・下賤・孤独・乞人を供養す。期は七日を満たす。時に維摩詰来たりて会の中に入り、我に謂いて言わく、『長者の子よ、夫れ大施会は、当に汝が設くる所の如くなるべからず。当に法施の会を為すべし。何ぞ是の財施の会を用いんや』と。我言わく、『居士、何をか法施の会と謂う』と。答えて曰わく、『法施の会とは、前無く後無く、一時に一切衆生を供養す。是れを法施の会と名づく』と。曰わく、『何の謂ぞや』と。『謂わく、菩提を以て慈心を起こし、衆生を救うを以て大悲心を起こし、正法を持つを以て喜心を起こし、智慧を摂するを以て捨心を行ず。慳貪を摂するを以て檀波羅蜜を起こし、犯戒を化するを以て尸羅波羅蜜を起こし、無我法を以て羼提波羅蜜を起こし、身心の相を離るるを以て毘梨耶波羅蜜を起こし、菩提の相を以て禅波羅蜜を起こし、一切智を以て般若波羅蜜を起こす。衆生を教化して空を起こし、有為の法を捨てずして無相を起こし、受生を示現して無作を起こし、正法を護持して方便力を起こし、衆生を度するを以て四摂法を起こし、一切を敬事するを以て慢を除く法を起こし、身命財に於いて三堅法を起こし、六念の中に於いて思念の法を起こし、六和敬に於いて質直の心を起こし、正しく善法を行じて浄命を起こし、心浄く歓喜して賢聖に近づくを起こし、悪人を憎まずして調伏の心を起こし、出家の法を以て深心を起こし、説の如く行ずるを以て多聞を起こし、無諍の法を以て空閑処を起こし、仏慧に趣向して宴坐を起こす。
現代語訳
仏は長者の子・善徳に告げられました。「あなたが維摩詰のところへ行って、病気を見舞いなさい。」善徳は仏に申し上げました。「世尊、私は彼のもとへ見舞いに行くことに堪えません。なぜなら、昔のことを思い出すからです。私は以前、父の家で大きな施しの会を設け、すべての沙門、バラモン、さまざまな外道、貧しい人、身分の低い人、孤独な人、乞食の人たちを供養しました。期間は七日間でした。そのとき維摩詰が会の中に入ってきて、私にこう言いました。『長者の子よ、大きな施しの会は、あなたが設けたようなものであってはいけません。法の施しの会を行うべきです。どうしてこのような財物の施しの会を行うのですか。』私は言いました。『居士よ、法の施しの会とは何ですか。』維摩詰は答えました。『法の施しの会とは、前もなく後もなく、一度にすべての衆生を供養するものです。これを法の施しの会と名づけます。』私は尋ねました。『それはどういうことですか。』維摩詰は答えました。『こういうことです。菩提を求める心から慈の心を起こし、衆生を救うことから大いなる悲の心を起こし、正しい法を保つことから喜の心を起こし、智慧を収めることから捨の心を行います。物惜しみと貪りを収めることから布施波羅蜜を起こし、戒を犯す者を教え導くことから持戒波羅蜜を起こし、無我の法から忍辱波羅蜜を起こし、身心の姿を離れることから精進波羅蜜を起こし、菩提のすがたから禅定波羅蜜を起こし、一切智から智慧波羅蜜を起こします。衆生を教え導いて空を起こし、有為の法を捨てずに無相を起こし、生を受けた姿を示して無作を起こし、正しい法を守り保って方便の力を起こし、衆生を救うことから四つの摂め方を起こし、すべてを敬い仕えることから慢心を除く法を起こし、身と命と財において三つの堅固な法を起こし、六つの念じることの中で思い念じる法を起こし、六つの和合と敬いにおいてまっすぐな心を起こし、正しく善い法を行って清らかな生活を起こし、心が清らかで喜びにあふれて賢者や聖者に近づくことを起こし、悪人を憎まずに心を調え伏する心を起こし、出家の法から深い心を起こし、説かれたとおりに行うことから多く聞く力を起こし、争いのない法から静かな閑居を起こし、仏の智慧に向かうことから静座を起こします。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
維摩経・菩薩品第四(7)衆生の縛を解きて修行地を起こし、相好及び浄仏土を具うるを以て福徳の業を起こし、一切衆生の心念を知りて応ずるが如く法を説きて智業を起こし、一切法の取らず捨てざるを知りて一相門に入り慧業を起こし、一切の煩悩・一切の障礙・一切の不善法を断じて一切の善業を起こし、以て一切の智慧・一切の善法を得て、一切の仏道を助くる法を起こす。是の如し、善男子。是れを法施の会と為す。若し菩薩、是の法施の会に住せば、大施主と為り、亦一切世間の福田と為る」と。世尊、維摩詰の是の法を説きし時、婆羅門衆の中の二百人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。我れ時に心清浄を得て、未曾有なりと歎じ、維摩詰の足を稽首して礼し、即ち瓔珞の価直百千なるを解きて、以て之に上る。取ることを肯んぜず。我言わく、「居士、願わくは必ず納受して、意に随いて与うる所にせよ」と。維摩詰乃ち瓔珞を受け、分けて二分と作し、一分を持して此の会の中の一最下の乞人に施し、一分を持して彼の難勝如来に奉る。一切の衆会、皆光明国土の難勝如来を見る。又、珠瓔の彼の仏の上に在りて、変じて四柱の宝台と成り、四面に厳飾して相い障蔽せざるを見る。時に維摩詰、神変を現じ已りて是の言を作す、「若し施主等、心を等しくして一最下の乞人に施すこと、猶お如来の福田の相の如くして分別する所無く、大悲に等しくして果報を求めざれば、是れ則ち名づけて具足せる法施と曰う」と。城中の一最下の乞人、是の神力を見、其の説く所を聞きて、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。是の如く諸の菩薩、各各仏に向かいて其の本縁を説き、維摩詰の言う所を称述して、皆曰わく、彼に詣りて疾を問うに任せず、と。
-
維摩経・菩薩品第四(3)仏、光厳童子に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。光厳、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに我れ昔、毘耶離大城を出づるに、時に維摩詰方に城に入る。我即ち為に礼を作して問いて言わく、『居士、何れの所より来たる』と。我に答えて言わく、『吾れ道場より来たる』と。我れ問う、『道場とは何れの所ぞ是れなる』と。答えて曰わく、『直心は是れ道場なり、虚仮無きが故に。発行は是れ道場なり、能く事を辦ずるが故に。深心は是れ道場なり、功徳を増益するが故に。菩提心は是れ道場なり、錯謬無きが故に。布施は是れ道場なり、報いを望まざるが故に。持戒は是れ道場なり、願を得て具うるが故に。忍辱は是れ道場なり、諸の衆生に於いて心に礙無きが故に。精進は是れ道場なり、懈退せざるが故に。禅定は是れ道場なり、心調柔なるが故に。智慧は是れ道場なり、諸法を現見するが故に。慈は是れ道場なり、衆生に等しきが故に。悲は是れ道場なり、疲苦を忍ぶが故に。喜は是れ道場なり、法を悦楽するが故に。捨は是れ道場なり、憎愛断ずるが故に。神通は是れ道場なり、六通を成就するが故に。解脱は是れ道場なり、能く背捨するが故に。方便は是れ道場なり、衆生を教化するが故に。四摂は是れ道場なり、衆生を摂するが故に。多聞は是れ道場なり、聞くが如く行ずるが故に。伏心は是れ道場なり、正しく諸法を観ずるが故に。三十七品は是れ道場なり、有為の法を捨つるが故に。諦は是れ道場なり、世間を誑かさざるが故に。縁起は是れ道場なり、無明乃至老死皆尽くること無きが故に。諸の煩悩は是れ道場なり、如実を知るが故に。衆生は是れ道場なり、無我を知るが故に。一切法は是れ道場なり、諸法の空なることを知るが故に。降魔は是れ道場なり、傾動せざるが故に。三界は是れ道場なり、趣く所無きが故に。師子吼は是れ道場なり、畏るる所無きが故に。力・無畏・不共法は是れ道場なり、諸の過無きが故に。三明は是れ道場なり、余の礙無きが故に。一念に一切法を知るは是れ道場なり、一切智を成就するが故に。是の如し、善男子。菩薩若し諸の波羅蜜に応じて衆生を教化せば、諸の所作有り、足を挙げ足を下ろすも、当に知るべし、皆道場より来たりて仏法に住するなり』と。是の法を説きし時、五百の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。
-
維摩経・方便品第二(4)諸の仁者、此れは患厭すべし、当に仏身を楽うべし。所以は何ん。仏身とは即ち法身なり。無量の功徳智慧より生じ、戒・定・慧・解脱・解脱知見より生じ、慈悲喜捨より生じ、布施・持戒・忍辱・柔和・勤行精進・禅定・解脱・三昧・多聞・智慧の諸の波羅蜜より生ず。方便より生じ、六通より生じ、三明より生じ、三十七道品より生じ、止観より生じ、十力・四無所畏・十八不共法より生じ、一切の不善の法を断じ一切の善法を集むることより生じ、真実より生じ、不放逸より生ず。是くの如き無量の清浄の法より如来の身を生ず。諸の仁者、仏身を得て一切衆生の病を断ぜんと欲する者は、当に阿耨多羅三藐三菩提心を発すべし。是くの如く長者維摩詰、諸の問疾の者の為に、応ずるに如く法を説き、無数千人をして皆阿耨多羅三藐三菩提心を発さしむ。
-
維摩経・佛道品第八(3)爾の時、会中に菩薩有り、普現色身と名づく。維摩詰に問うて言わく、居士よ、父母・妻子・親戚・眷属・吏民・知識は悉く是れ誰と為す。奴婢・僮僕・象馬・車乗は皆何れの所に在りや。是に於いて維摩詰、偈を以て答えて曰わく。 智度は菩薩の母、方便を以て父と為す。 一切衆の導師、是れに由りて生ぜざる無し。 法喜を以て妻と為し、慈悲の心を女と為す。 善心誠実は男、畢竟空寂は舎なり。 弟子衆は塵労、意の所に随いて転ず。 道品の善知識、是れに由りて正覚を成ず。 諸度の法は等侶、四摂は伎女と為す。 歌詠して法言を誦し、此れを以て音楽と為す。 総持は園苑、無漏の法は林樹。 覚意の浄妙の華、解脱智慧の果。 八解の浴池、定水湛然として満つ。 布くに七浄の華を以てし、此の無垢の人を浴す。 象馬は五通、大乗を馳せて以て車と為す。 調御するに一心を以てし、八正路に遊ぶ。 相具わりて以て容を厳り、衆好其の姿を飾る。 慚愧の上服、深心を華鬘と為す。 富むこと七財の宝有り、教授して以て滋息す。 説く所の如く修行し、迴向して大利と為す。 四禅を床座と為し、浄命より生ず。 多聞智慧を増し、以て自覚の音と為す。 甘露の法の食、解脱の味は漿なり。 浄心以て澡浴し、戒品は塗香なり。 煩悩の賊を摧滅し、勇健にして能く踰ゆる無し。 四種の魔を降伏し、勝幡を道場に建つ。 起滅無きを知ると雖も、彼に示すが故に生有り。 悉く諸の国土に現ずること、日の見えざる無きが如し。 十方無量億の如来を供養するも、 諸仏及び己が身に分別の想無し。 諸仏の国と及び衆生とは空なりと知ると雖も、 而も常に浄土を修して群生を教化す。 諸有の衆生の類の形・声及び威儀を、 無畏力の菩薩は一時に能く尽く現ず。 衆魔の事を覚知して、示して其の行に随う。 善き方便の智を以て、意に随いて皆能く現ず。 或いは老病死を示して、諸の群生を成就す。 幻化の如しと了知して、通達して礙げ有ること無し。 或いは劫尽きて天地を焼き、皆洞然たるを現ず。 衆人の常想有るに、照らして無常を知らしむ。 無数億の衆生、倶に来りて菩薩を請ず。 一時に其の舎に到り、化して仏道に向かわしむ。 経書・禁呪の術、工巧・諸の伎芸、 尽く現じて此の事を行じ、諸の群生を饒益す。
-
維摩経・觀眾生品第七(2)文殊師利の言わく、若し菩薩是の観を作さば、云何が慈を行ずるや。維摩詰の言わく、菩薩是の観を作し已りて自ら念ず、我当に衆生の為に斯くの如き法を説くべし、と。是れ即ち真実の慈なり。寂滅の慈を行ず、生ずる所無きが故に。不熱の慈を行ず、煩悩無きが故に。等の慈を行ず、三世に等しきが故に。無諍の慈を行ず、起こる所無きが故に。不二の慈を行ず、内外合せざるが故に。不壊の慈を行ず、畢竟尽くるが故に。堅固の慈を行ず、心毀つこと無きが故に。清浄の慈を行ず、諸法の性浄きが故に。無辺の慈を行ず、虚空の如きが故に。阿羅漢の慈を行ず、結の賊を破るが故に。菩薩の慈を行ず、衆生を安んずるが故に。如来の慈を行ず、如相を得るが故に。仏の慈を行ず、衆生を覚らしむるが故に。自然の慈を行ず、因無くして得るが故に。菩提の慈を行ず、等しく一味なるが故に。無等の慈を行ず、諸の愛を断つが故に。大悲の慈を行ず、導くに大乗を以てするが故に。無厭の慈を行ず、空・無我を観ずるが故に。法施の慈を行ず、遺し惜しむこと無きが故に。持戒の慈を行ず、毀禁を化するが故に。忍辱の慈を行ず、彼我を護るが故に。精進の慈を行ず、衆生を荷負するが故に。禅定の慈を行ず、味を受けざるが故に。智慧の慈を行ず、知らざる時無きが故に。方便の慈を行ず、一切に示現するが故に。無隠の慈を行ず、直心清浄なるが故に。深心の慈を行ず、雑行無きが故に。無誑の慈を行ず、虚仮ならざるが故に。安楽の慈を行ず、仏の楽を得しむるが故に。菩薩の慈、此くの若しと為すなり。
-
維摩経・弟子品第三(3)仏、大迦葉に告げたまわく、汝、行きて維摩詰に詣り疾を問え。迦葉、仏に白して言さく、世尊、我、彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに、我、昔、貧里に於て行乞せし時、維摩詰来たりて我に謂いて言わく、唯、大迦葉、慈悲心有れども普からざること能わず、豪富を捨てて貧に従いて乞う。迦葉、平等の法に住して、応に次第に行乞すべし。食せざるが為の故に応に行乞すべし。和合の相を壊さんが為の故に応に揣食を取るべし。受けざるが為の故に応に彼の食を受くべし。空聚の想を以て聚落に入れ。見る所の色は盲と等しく、聞く所の声は響と等しく、嗅ぐ所の香は風と等しく、食する所の味は分別せず、諸触を受くること智の証するが如くせよ。諸法は幻の相の如く、自性無く他性無く、本より自ら然えず今則ち滅無きを知れ。迦葉、若し能く八邪を捨てずして八解脱に入り、邪相を以て正法に入り、一食を以て一切に施し、諸仏及び衆の賢聖を供養して、然して後に食すべし。是くの如く食する者は、煩悩有るに非ず、煩悩を離るるに非ず、定意に入るに非ず、定意を起つに非ず、世間に住するに非ず、涅槃に住するに非ず。其の施す者有るも、大福無く小福無し。益と為さず、損と為さず。是れを正しく仏道に入り、声聞に依らずと為す。迦葉、若し是くの如く食せば、空しからず人の施しを食すと為す。時に我、世尊、是の語を聞きて未曾有を得、即ち一切の菩薩に於て深く敬心を起こし、復た是の念を作す、斯の有家の名、辯才・智慧、乃ち能く是くの如し、其れ誰か此れを聞きて阿耨多羅三藐三菩提心を発さざらん、と。我、是れより来、復た人に勧むるに声聞・辟支仏の行を以てせず。是の故に彼に詣りて疾を問うに任せず。