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養生訓 / 巻第一・総論上

一人の命は我にあり天にあらずと、老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れつきたれども、養生よくすれば長し、養生せざれば短し。然れば、長命ならんも短命ならんも、我心のまゝなり。身つよく長命に生れつきたる人も、養生の術なければ、早世す。虛弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し。是皆人のしわざなれば、天にあらずといへり。もし、すぐれて天年みじかく生れつきたる事、顏子などのごとくなる人にあらずんば、わが養のちからによりて、長生する理なり。たとへば火をうづめて爐中に養へば久しく消えず、風吹く所にあらはし置けば忽きゆ。密橘をあらはに置けば、年の内をもたもたず。もし深くかくし、よく養へば、夏まで保つがごとし。

新字:一人の命は我にあり天にあらずと、老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れつきたれども、養生よくすれば長し、養生せざれば短し。然れば、長命ならんも短命ならんも、我心のまゝなり。身つよく長命に生れつきたる人も、養生の術なければ、早世す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し。是皆人のしわざなれば、天にあらずといへり。もし、すぐれて天年みじかく生れつきたる事、顔子などのごとくなる人にあらずんば、わが養のちからによりて、長生する理なり。たとへば火をうづめて炉中に養へば久しく消えず、風吹く所にあらはし置けば忽きゆ。密橘をあらはに置けば、年の内をもたもたず。もし深くかくし、よく養へば、夏まで保つがごとし。

書き下し

一人の命は我にあり天にあらずと、老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れつきたれども、養生よくすれば長し、養生せざれば短し。然れば、長命ならんも短命ならんも、我心のままなり。身つよく長命に生れつきたる人も、養生の術なければ、早世す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し。是皆人のしわざなれば、天にあらずといへり。もし、すぐれて天年みじかく生れつきたる事、顔子などのごとくなる人にあらずんば、わが養のちからによりて、長生する理なり。たとへば火をうづめて炉中に養へば久しく消えず、風吹く所にあらはし置けば忽きゆ。密橘をあらはに置けば、年の内をもたもたず。もし深くかくし、よく養へば、夏まで保つがごとし。

現代語訳

人の命は自分にあり、天にあるのではないと老子は言いました。人の命はもともと天から受けて生まれついたものですが、養生をよくすれば長く、養生しなければ短いのです。ですから、長命であるのも短命であるのも、自分の心しだいです。体が強く長命に生まれついた人でも、養生の術がなければ早世します。虚弱で短命そうに見える人でも、保養をよくすれば命は長いのです。これはみな人の行いによるので、天にあるのではないと言ったのです。もし顔回のように、とりわけ寿命を短く生まれついた人でないかぎり、自分の養う力によって長生きできる道理です。たとえば火を灰に埋めて炉の中で養えば長く消えず、風の吹く所にさらしておけばたちまち消えます。蜜柑をむき出しに置けば年内ももちませんが、深くしまってよく養えば夏までもつようなものです。

解説

「我が命は我に在りて天に在らず」は道教の養生書に老子の言として伝わる言葉で、益軒はこれを引いて寿命の多くは自分の行い次第だと説きます。顔子は孔子の高弟の顔回で、若くして亡くなった人の代表です。炭火を灰に埋める、蜜柑をしまうというたとえは、江戸の暮らしの実感に根ざしています。遺伝や体質を言い訳にせず、自分で守れる部分を守る。現代の生活習慣病の考え方にも通じる、主体的な健康観です。

この章句が説くこと

養生命老子長命元気

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