大和俗訓 / 巻之八・応接
一人と共に、同じ官職をつとめ、同じ技藝をとる者、我のみひとり身を立て名を得んとすべからず。かくすれば、人もまた爭ひて、我を立てじとす。是かへつて身の禍となる。己立たんとせば、まづ人を立つべし。かくすれば、人も亦爭はず。才あるもの、わが才にほこり、同官をないがしろにすれば、必同官に惡まれて、禍にあへる人古今多し。愼むべし。我一人にて事をとらんとするは、甚あしゝ。善きことは同官にゆづり、我一人の才名をあらはさんとすべからず。
新字:一人と共に、同じ官職をつとめ、同じ技芸をとる者、我のみひとり身を立て名を得んとすべからず。かくすれば、人もまた争ひて、我を立てじとす。是かへつて身の禍となる。己立たんとせば、まづ人を立つべし。かくすれば、人も亦争はず。才あるもの、わが才にほこり、同官をないがしろにすれば、必同官に悪まれて、禍にあへる人古今多し。慎むべし。我一人にて事をとらんとするは、甚あしゝ。善きことは同官にゆづり、我一人の才名をあらはさんとすべからず。
書き下し
一人と共に、同じ官職をつとめ、同じ技芸をとる者、我のみひとり身を立て名を得んとすべからず。かくすれば、人もまた争ひて、我を立てじとす。是かへつて身の禍となる。己立たんとせば、まづ人を立つべし。かくすれば、人も亦争はず。才あるもの、わが才にほこり、同官をないがしろにすれば、必同官に悪まれて、禍にあへる人古今多し。慎むべし。我一人にて事をとらんとするは、甚あしし。善きことは同官にゆづり、我一人の才名をあらはさんとすべからず。
現代語訳
人とともに同じ官職を勤め、同じ技芸を行う者は、自分だけ一人身を立て名を得ようとしてはいけません。そうすれば、人もまた争って、自分を立たせまいとします。これはかえって身の禍となります。自分が立とうとするなら、まず人を立てなさい。そうすれば、人もまた争いません。才能のある者が、自分の才能にほこり、同僚をないがしろにすれば、必ず同僚に憎まれて、禍にあった人が古今多い。つつしみなさい。自分一人で事を取り仕切ろうとするのは、たいへん悪い。善いことは同僚に譲り、自分一人の才名を表そうとしてはいけません。
解説
この章句が説くこと
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司馬法・定爵将は身なり、卒は支(し)なり、伍は指拇(しぼ)なり。
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