大和俗訓 / 巻之八・応接
一親しき人を愛し、貴き人をうやまふは、言ふに及ばず、うとき路人に對し、いやしき乞丐に對すとも、皆是天地のうめる人なれば、其分にしたがひて愛敬すべし。惡みあなどるべからず。疎き親しきにより、貴き賤しきにしたがひて、愛敬する厚薄はあるべけれど、愛敬せざる事なかるべし。
新字:一親しき人を愛し、貴き人をうやまふは、言ふに及ばず、うとき路人に対し、いやしき乞丐に対すとも、皆是天地のうめる人なれば、其分にしたがひて愛敬すべし。悪みあなどるべからず。疎き親しきにより、貴き賤しきにしたがひて、愛敬する厚薄はあるべけれど、愛敬せざる事なかるべし。
書き下し
一親しき人を愛し、貴き人をうやまふは、言ふに及ばず、うとき路人に対し、いやしき乞丐に対すとも、皆是天地のうめる人なれば、其分にしたがひて愛敬すべし。悪みあなどるべからず。疎き親しきにより、貴き賤しきにしたがひて、愛敬する厚薄はあるべけれど、愛敬せざる事なかるべし。
現代語訳
親しい人を愛し、貴い人を敬うのは言うまでもなく、見知らぬ通りすがりの人に対しても、身分の低い乞食に対しても、みな天地の生んだ人なので、その分に従って愛し敬いなさい。憎みあなどってはいけません。疎い親しいにより、貴い賤しいに従って、愛敬の厚い薄いはあるでしょうが、愛敬しないことがあってはいけません。
解説
親しい人や目上の人だけでなく、見知らぬ人や社会的に弱い立場の人にも、同じ天地から生まれた人間として愛と敬意をもって接せよという教えです。関係の深さや立場によって接し方に濃淡があるのは自然だが、愛敬をまったく欠くことがあってはならないと益軒は言います。身分制度の厳しい時代に、すべての人を天地の子として尊重する視点を示していることは注目に値します。店員や清掃員など、立場の違う人への態度にこそ、その人の品格が表れるものです。
この章句が説くこと
愛敬天地平等仁敬意
関連する章句
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論語・顔淵篇仲弓、仁を問う。子曰く、「門を出でては大賓を見るが如く、民を使うには大祭を承くるが如くす。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。邦に在りて怨み無く、家に在りて怨み無し。」仲弓曰く、「雍不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん。」
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『初学訓』巻之二一およそ、人となりては、常に愛敬の心をたもちて、少時も失ふべからず。愛とは、人を憐むをいふ。人をにくみ疎んぜざるなり。其交の親しき疎きによりて、愛の厚薄品はかはれども、すべて疎きも親しきも、愛せずといふこと無かるべし。敬とは、人をうやまふをいふ。人を侮り軽んぜざるなり。其位の尊き卑き品によりて、敬の浅深はかはれども、すべて、敬ひ侮るべからず。愛はしたしきより生じ、敬は貴きより生ずれども、うときをも愛し、いやしきをも敬するは、真の愛敬なり。親疎貴賤、すべて愛敬するは仁なり。親疎貴賤の品によりて、厚薄浅深あるは義なり。愛敬の二は、善心なり。善を行ふとは、愛敬を行ふなり。是、人倫を親むの道、即ち、天地につかへ奉る道なり。
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『顔氏家訓』歸心儒家の君子すら、尚お庖厨を離る。其の生を見て其の死に忍びず、其の声を聞きて其の肉を食らわず。高柴・折像は、未だ内教を知らざるも、皆な能く殺さず。此れ乃ち仁者の自然の用心なり。含生の徒は、命を愛せざるは莫し。殺を去るの事は、必ず勉めて之を行え。殺を好むの人は、死に臨みて報験あり、子孫殃禍あり。其の数甚だ多し。悉くは録する能わざるのみ。且く数条を末に示さん。
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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