大和俗訓 / 巻之六・躬行上
一古語曰、施恩勿念、受惠勿忘。人に恩をほどこさば、是わがなすべき當然の道とおもひて、かさねて其施したる事を忘るべし。思ひ出すべからず。恩をほどこしたるとて、恩だたしくするは見ぐるし。又人の惠をうけば、其恩をわするべからず。必むくいん事を思ふべし。小人は、人の恩を受けては必わすれ、人に惠をほどこしては、必忘れずして、其むくいを求む。其人むくいざれば、うらみ怒る。凡天地の、人を生じ育ひ給ふは、其めぐみ廣大なれど、君子にあらざれば其浩恩を知らず、天地に仕へんと思ふ心なし。父母の恩をうけし事は、猶近くして誰も知れる事なれど、それだに忘れて不孝なるは、凡夫の生れつき習はしなり。いはんや其餘の人倫の交の內にて、たとひそくばくの恩を施したりとも、父母の惠にくらべば、萬が一なるべし。
新字:一古語曰、施恩勿念、受恵勿忘。人に恩をほどこさば、是わがなすべき当然の道とおもひて、かさねて其施したる事を忘るべし。思ひ出すべからず。恩をほどこしたるとて、恩だたしくするは見ぐるし。又人の恵をうけば、其恩をわするべからず。必むくいん事を思ふべし。小人は、人の恩を受けては必わすれ、人に恵をほどこしては、必忘れずして、其むくいを求む。其人むくいざれば、うらみ怒る。凡天地の、人を生じ育ひ給ふは、其めぐみ広大なれど、君子にあらざれば其浩恩を知らず、天地に仕へんと思ふ心なし。父母の恩をうけし事は、猶近くして誰も知れる事なれど、それだに忘れて不孝なるは、凡夫の生れつき習はしなり。いはんや其余の人倫の交の内にて、たとひそくばくの恩を施したりとも、父母の恵にくらべば、万が一なるべし。
書き下し
一古語曰く、恩を施しては念ふこと勿れ、恵を受けては忘るること勿れ。人に恩をほどこさば、是わがなすべき当然の道とおもひて、かさねて其施したる事を忘るべし。思ひ出すべからず。恩をほどこしたるとて、恩だたしくするは見ぐるし。又人の恵をうけば、其恩をわするべからず。必むくいん事を思ふべし。小人は、人の恩を受けては必わすれ、人に恵をほどこしては、必忘れずして、其むくいを求む。其人むくいざれば、うらみ怒る。凡天地の、人を生じ育ひ給ふは、其めぐみ広大なれど、君子にあらざれば其浩恩を知らず、天地に仕へんと思ふ心なし。父母の恩をうけし事は、猶近くして誰も知れる事なれど、それだに忘れて不孝なるは、凡夫の生れつき習はしなり。いはんや其余の人倫の交の内にて、たとひそくばくの恩を施したりとも、父母の恵にくらべば、万が一なるべし。
現代語訳
古語に「恩を施しては念うこと勿れ、恵みを受けては忘るること勿れ」とあります。人に恩を施したなら、これは自分のなすべき当然の道だと思って、重ねてその施したことを忘れなさい。思い出してはいけません。恩を施したからといって、恩着せがましくするのは見苦しい。また人の恵みを受けたなら、その恩を忘れてはいけません。必ず報いることを思いなさい。小人は、人の恩を受けては必ず忘れ、人に恵みを施しては必ず忘れずに、その報いを求めます。その人が報いなければ、恨み怒ります。およそ天地が人を生じ育てられるのは、その恵みは広大ですが、君子でなければその大恩を知らず、天地に仕えようと思う心もありません。父母の恩を受けたことは、なお身近で誰でも知っていることですが、それさえ忘れて不孝なのは、凡夫の生まれつきと習わしです。まして、そのほかの人間関係の交わりの中で、たとえいくらかの恩を施したとしても、父母の恵みに比べれば、万分の一にすぎないでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之六・躬行上人皆君子にあらざれば、恩をふかく受けながら、十人に九人は、必わすれて報いず。恩をうけて忘るるは、凡夫のならひぞと思ひて、我より恩を施せりとて、ほこるべからず。ほどこして報をのぞめば、人其恩を忘れたる時、うらみ怒りて我が徳をそこなふ。是人情を知らずといふべし。恩をうけて忘るるは小人のくせなり、めづらしからずと思ひ、人を咎むべからず。是人情を知れるなり。ただ我が身は恩を忘るべからず。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一およそ人の施をうけ、恩をかうぶり、或は我を君にすすめたる恩あらば、ながく忘るべからず。折節の礼義をつとむべし。久しくして怠るべからず。或は初につとむれども、誠すくなき人は、久しきを経れば、必旧恩を忘れて、訪ひくる事だになし。始終一の如くなるべし。凡恩を知らざるは、世の凡人のならひなれば、責むるにたらず。我が身かかるうすき人情にならひて、恩を忘るべからず。恩を忘るるは、人にあらずと思ふべし。犬はいやしき獣なれど、養をうけし主人をしたひて去らず。他の富める家に引寄せ、つなぎ置きて、食に飽かしむれども、まどしきもとの主人の家に逃帰る。或は数十里の道をも帰り、遥なる海をおよぎても帰ることあり。されば恩を知らざるは、人を以て犬にも如かずといふべし。
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『慎思録』巻之一天地は恩を万物に施して、其の報いを望まず。父母は恩を子孫に施して、其の報いを望まず。蓋し天地父母は、本報いを求むるに意無し。其の恩の広大にして窮まり無き所以なり。今繊芥の恩を人に施して、人報いざれば、則ち忿懟を為す。是れ誠に薄夫と謂ふべきなり。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一およそ天地、父母、主君、聖人の恩、相ならびて至ておもし。此四恩をわすれそむくは、人にあらずと思ふべし。報いずんばあるべからず。これを報いんと思はば、道を学びて行ふにあり。他の道あるべからず。一今の世に、道を教ふる師は有りがたし。もし有らば貴び仕ふべし。道の教をうけたる師は、其恩深きこと君父にひとし。又書を読みならひたる師を、句読の師と云ふ。其労はなはだし。芸術の師は、又其次なり。是等は、君父聖人の恩にはならべ難しといへども、其苦労の恩わするべからず。此外、人の生涯には、恩を受くること多し。およそ人の恩を受けば、心に銘して忘るべからず。一言の情をも感じ、一事の志をも心にかけて思ふべし。人の情あれども感ぜず、人の志をもむなしくするは、無下に心なきなり。
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『家道訓』巻之三・総論下一衆人と下部は、人の恩をあつくうけてもわすれやすし。是其の人のつねなれば、怒りとがむべからず。此の如き人は必ず此の如く恩を忘るるものぞと知るべし。怨みとがむるは我がおろかなるなり。われ年のつもりに、世の人を多く見るに、恩を受けてわすれざる人はきはめてまれなり。十人に一人もありがたし。是衆人のつねのならひぞと思ふべし。もし恩を忘れざる人あらば善人なるべし。人の恩をうけば長くわするべからず。必ずむくふべし。恩をほどこしては忘るべし。恩を頼むべからず。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一恩を報ふこと、人道の大節なり。禽獣は恩を知らず、恩を知るを以て人とす。恩を知らざるは、禽獣にひとし。是人と禽獣とわかるる所なり。是を以て、恩を報ずるは人道の大節なりといふこと、むべならずや。恩を知らば、必報ゆべし。知りて報ぜざるは、知らざるに同じ。恩を報ずるには、誠を以てすべし。
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