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大和俗訓 / 巻之六・躬行上

一衆人の行、萬事につきて、過と惡とあり。過とは、心に惡なけれども、知らずして理にたがひ、或は心つかずして理にちがふを云ふ。惡とは、善惡は知りながら、慾にひかれて理にたがふを云ふ。是自欺なり。身ををさむるには、過惡をあらためて、善にうつるをつとめとすべし。聖人は過なし。賢者以下は過なきことなし。殊に凡人は過多し。何ぞ今の世に過なき人あらんや。人のいさめを聞きても用ひず、われに過あれども知らずして、あやまち無きと思ふ人あり。是自ら修むるに志なき故なり。もし自ら修むる人は、過多きことを知るべし。自ら省みて我が過を知り、人の諫を聞きて我が過をあらため、善にうつるべし。

新字:一衆人の行、万事につきて、過と悪とあり。過とは、心に悪なけれども、知らずして理にたがひ、或は心つかずして理にちがふを云ふ。悪とは、善悪は知りながら、慾にひかれて理にたがふを云ふ。是自欺なり。身ををさむるには、過悪をあらためて、善にうつるをつとめとすべし。聖人は過なし。賢者以下は過なきことなし。殊に凡人は過多し。何ぞ今の世に過なき人あらんや。人のいさめを聞きても用ひず、われに過あれども知らずして、あやまち無きと思ふ人あり。是自ら修むるに志なき故なり。もし自ら修むる人は、過多きことを知るべし。自ら省みて我が過を知り、人の諫を聞きて我が過をあらため、善にうつるべし。

書き下し

一衆人の行、万事につきて、過と悪とあり。過とは、心に悪なけれども、知らずして理にたがひ、或は心つかずして理にちがふを云ふ。悪とは、善悪は知りながら、慾にひかれて理にたがふを云ふ。是自欺なり。身ををさむるには、過悪をあらためて、善にうつるをつとめとすべし。聖人は過なし。賢者以下は過なきことなし。殊に凡人は過多し。何ぞ今の世に過なき人あらんや。人のいさめを聞きても用ひず、われに過あれども知らずして、あやまち無きと思ふ人あり。是自ら修むるに志なき故なり。もし自ら修むる人は、過多きことを知るべし。自ら省みて我が過を知り、人の諫を聞きて我が過をあらため、善にうつるべし。

現代語訳

多くの人の行いには、万事について過ちと悪があります。過ちとは、心に悪はないけれども、知らずに道理にたがい、あるいは気がつかずに道理にちがうことをいいます。悪とは、善悪は知りながら、欲にひかれて道理にたがうことをいいます。これは自ら欺くことです。身を修めるには、過ちと悪を改めて、善に移ることを努めとしなさい。聖人には過ちがありません。賢者以下は過ちがないことはありません。とくに凡人は過ちが多い。どうして今の世に過ちのない人がいましょうか。人の諫めを聞いても用いず、自分に過ちがあっても知らずに、過ちがないと思う人がいます。これは自ら修める志がないからです。もし自ら修める人なら、過ちが多いことを知るはずです。自らかえりみて自分の過ちを知り、人の諫めを聞いて自分の過ちを改め、善に移りなさい。

解説

「過」と「悪」を区別した明快な説明です。過とは悪意なく、知らずに、あるいはうっかり道理に外れること。悪とは分かっていながら欲に負けて外れることで、自分を欺く行いです。益軒は、凡人に過ちがあるのは当然で、問題は自分に過ちがないと思い込むことだと言います。自分を磨こうとする人ほど自分の過ちの多さに気づくという指摘は鋭いものです。失敗しない人ではなく、失敗に気づいて直せる人が成長するという考えは、今の学びや仕事にもそのまま当てはまります。

この章句が説くこと

過ち悪自欺修身諫め

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