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大和俗訓 / 巻之五・言語

一末の世には、風俗うすくなりて、からやまとの文をつくるにも、へつらひ飾りて僞多し。政のよきをほむるとて、堯舜の御世にも越えつべしと云ひ、人の善をほむるとて、聖賢のごとく言ひなし、或は智仁勇の三德そなはれりなど云ひ、武略をほめては、孫吳にもおとらずと云ひ、手跡をほむるとては、王羲之にも及ぶべしと云ひ、詩文をほむるとて、李杜蘇黃に同じかるべしと云ひ、和歌は貫之、躬恒にもおとらず、和文は、紫式部、淸少納言が如しと云ふの類多し。さほどに無きとは、心の内に知りながら、風俗の惡しきにしたがひて、いつはり諂ひとなる事を知らず。かゝる惡しき習はしにしたがひて、正直の道理を失ふべからず。

新字:一末の世には、風俗うすくなりて、からやまとの文をつくるにも、へつらひ飾りて偽多し。政のよきをほむるとて、堯舜の御世にも越えつべしと云ひ、人の善をほむるとて、聖賢のごとく言ひなし、或は智仁勇の三徳そなはれりなど云ひ、武略をほめては、孫呉にもおとらずと云ひ、手跡をほむるとては、王羲之にも及ぶべしと云ひ、詩文をほむるとて、李杜蘇黄に同じかるべしと云ひ、和歌は貫之、躬恒にもおとらず、和文は、紫式部、清少納言が如しと云ふの類多し。さほどに無きとは、心の内に知りながら、風俗の悪しきにしたがひて、いつはり諂ひとなる事を知らず。かゝる悪しき習はしにしたがひて、正直の道理を失ふべからず。

書き下し

一末の世には、風俗うすくなりて、からやまとの文をつくるにも、へつらひ飾りて偽多し。政のよきをほむるとて、堯舜の御世にも越えつべしと云ひ、人の善をほむるとて、聖賢のごとく言ひなし、或は智仁勇の三徳そなはれりなど云ひ、武略をほめては、孫呉にもおとらずと云ひ、手跡をほむるとては、王羲之にも及ぶべしと云ひ、詩文をほむるとて、李杜蘇黄に同じかるべしと云ひ、和歌は貫之、躬恒にもおとらず、和文は、紫式部、清少納言が如しと云ふの類多し。さほどに無きとは、心の内に知りながら、風俗の悪しきにしたがひて、いつはり諂ひとなる事を知らず。かかる悪しき習はしにしたがひて、正直の道理を失ふべからず。

現代語訳

末の世には風俗が薄くなって、中国風や日本風の文章をつくるにも、へつらい飾って偽りが多い。政治のよさをほめるとして、堯や舜の御世にもまさるだろうと言い、人の善をほめるとして、聖賢のように言いなし、あるいは智・仁・勇の三徳がそなわっているなどと言い、武略をほめては孫子や呉子にも劣らないと言い、筆跡をほめるとしては王羲之にも及ぶだろうと言い、詩文をほめるとして李白・杜甫・蘇東坡・黄山谷と同じだろうと言い、和歌は紀貫之や凡河内躬恒にも劣らず、和文は紫式部や清少納言のようだと言うたぐいが多い。それほどでもないと心の中では知りながら、風俗の悪さに従って、偽りやへつらいとなることを知らないのです。このような悪い習わしに従って、正直の道理を失ってはいけません。

解説

大げさなほめ言葉が習慣化した世の風潮への批判です。堯舜の治世、孫呉の兵法、王羲之の書、李白や杜甫の詩、紫式部や清少納言の文章と、古今の最高峰を引き合いに出して人をほめるのは、心にもないへつらいだと益軒は言います。社交辞令が当たり前になると、本当に優れたものを見分ける言葉まで失われてしまいます。推薦文や宣伝文句で最上級の表現が乱発される今、実態に即した誠実な言葉を選ぶことの大切さを改めて考えさせられます。

この章句が説くこと

諂い正直言語称賛風俗

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