大和俗訓 / 巻之四・心術下
一我が愚を知らず、我があやまりを知らずして、自ら是とし、自ら知とすると、吾が藝能のつたなきを知らずして、みづからほこるは、皆心明ならざる故なり。人を知るはまことにかたし。人の胸中に、善惡かくれて見えざればなり。わが心中にある善惡は、わが身のことなれば、知りやすかるべくして、かへつて人を知るよりもかたし。いかんとなれば、わが身に私して、其惡しきを知らざればなり。故に古語に曰、知人之謂知、自知之謂明。人を知るは誠にかたしといへど、わが身を知るは人を知るよりもかたければ、是を明と云ふ。明は知より猶まされり。吾が心明なれば、わが身の惡しきを知るものなり。故にわが身に自滿して人にほこる者は、其心くらきゆゑ、わが惡しきを知らざるなり。
新字:一我が愚を知らず、我があやまりを知らずして、自ら是とし、自ら知とすると、吾が芸能のつたなきを知らずして、みづからほこるは、皆心明ならざる故なり。人を知るはまことにかたし。人の胸中に、善悪かくれて見えざればなり。わが心中にある善悪は、わが身のことなれば、知りやすかるべくして、かへつて人を知るよりもかたし。いかんとなれば、わが身に私して、其悪しきを知らざればなり。故に古語に曰、知人之謂知、自知之謂明。人を知るは誠にかたしといへど、わが身を知るは人を知るよりもかたければ、是を明と云ふ。明は知より猶まされり。吾が心明なれば、わが身の悪しきを知るものなり。故にわが身に自満して人にほこる者は、其心くらきゆゑ、わが悪しきを知らざるなり。
書き下し
一我が愚を知らず、我があやまりを知らずして、自ら是とし、自ら知とすると、吾が芸能のつたなきを知らずして、みづからほこるは、皆心明ならざる故なり。人を知るはまことにかたし。人の胸中に、善悪かくれて見えざればなり。わが心中にある善悪は、わが身のことなれば、知りやすかるべくして、かへつて人を知るよりもかたし。いかんとなれば、わが身に私して、其悪しきを知らざればなり。故に古語に曰く、人を知るを之れ知と謂ひ、自ら知るを之れ明と謂ふ。人を知るは誠にかたしといへど、わが身を知るは人を知るよりもかたければ、是を明と云ふ。明は知より猶まされり。吾が心明なれば、わが身の悪しきを知るものなり。故にわが身に自満して人にほこる者は、其心くらきゆゑ、わが悪しきを知らざるなり。
現代語訳
自分の愚かさを知らず、自分の誤りを知らずに、自分を正しいとし、自分を賢いとすることと、自分の芸能のつたなさを知らずに自らほこるのは、みな心が明らかでないからです。人を知るのはまことに難しい。人の胸の内は、善悪が隠れて見えないからです。自分の心中にある善悪は、自分のことなので知りやすいはずなのに、かえって人を知るよりも難しい。なぜかといえば、自分の身をひいきして、その悪いところを知らないからです。だから古語に「人を知るを智と謂い、自らを知るを明と謂う」とあります。人を知るのはまことに難しいが、自分を知るのは人を知るよりもさらに難しいので、これを明というのです。明は知よりもさらにまさっています。自分の心が明らかであれば、自分の悪いところを知るものです。だから自分に満足して人にほこる者は、その心が暗いので、自分の悪いところを知らないのです。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』下卷之本体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
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『翁問答』下卷之本体充曰、魔境へおち入とは、いかやうなるを申候や。師の曰、或は贋の学問にふけり或は学問せざれども暗処に魔を来しぬれば、自満の心根かたくなり枝葉しげりて異風になり、人をば生るむしとも思はず、天下にわれをこすべきものなしと、人もゆるさぬ高満を鼻にあて、親おやかたの愚痴なるをさげしみおかしく思ひ、主君をそしり朋友をあざけりて、孝悌忠信の生道をさまたげ邪魔に相通じ悪魔と作法をあはするを魔境に陥ると云なり、うまれつき利根無欲けなげなる人此やまひ多し。
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『慎思録』巻之一学を為すの工夫、古人知を以て先と為す者は、蓋し知は以て開導すればなり。先づ之を知るに非ざれば、則ち力行すること能はず。先づ知るとは、当に行ふべきの端緒を知るなり。親に事ふる者の、先づ温凊定省、出づるに必ず告げ反れば必ず面するの法を知るが如き、是れなり。窮め知ること畢はりて而る後に方に之を行ふの謂に非ざるなり。既に其の端緒を知れば、則ち之を行ふこと最も急と為す。此れ乃ち知行並び進むの工夫なり。須らく此くの如くなるべし。蓋し知行の二者は、車の両輪の如く、鳥の両翼の如し。一を闕けば則ち不可なり。故に学は徒らに之を知ることを要せず、必ず力行を要す。二者以て学と為すべくして、行ふを以て重しと為す。若し之を行ふこと能はざれば、則ち徒らに之を知ると雖も、都て用無し。以て学と為すべからず。是を以て学ぶ者は、之を知るを先と為し、之を行ふを重しと為すなり。之を行ふに非ざれば、則ち真に知ること能はず。譬へば道路を行くが如し。其の道路の里程、山川の形勢、記籍有りて詳審なりと雖も、然れども躬親ら経過するに非ざれば、則ち其の真境を諳知すること能はず。故に行ひて後に知る者は、真知なり。
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荀子・賦篇皇天(こうてん)物を隆(くだ)し、以て下民に示し施す、或いは厚く或いは薄く、常に齊均(せいきん)ならず。桀紂(けつちゅう)は以て亂れ、湯武(とうぶ)は以て賢なり。涽涽(こんこん)たり淑淑(しゅくしゅく)たり、皇皇(こうこう)たり穆穆(ぼくぼく)たり。四海に周流(しゅうりゅう)して、曾(すなわ)ち日を崇(お)えず。君子は以て脩め、跖(せき)は以て室を穿(うが)つ。大なること天に參(さん)じ、精微(せいび)にして形無く、義を行いて以て正しく、事業以て成る。以て暴(ぼう)を禁じ窮(きゅう)を足(た)らしむ可く、百姓(ひゃくせい)之を待ちて而(しか)る後に泰寧(たいねい)なり。臣愚にして識らず、願わくは其の名を問わん。曰く、此れ夫(か)の寬平(かんぺい)に安んじて險隘(けんあい)を危(あや)ぶむ者か。脩潔(しゅうけつ)を之れ親しみて、雜汙(ざつお)を之れ狄(しりぞ)くる者か。甚だ深く藏(かく)れて外は敵に勝つ者か。禹舜(うしゅん)に法(のっと)りて能く跡(あと)を弇(おお)う者か。行(こう)の動靜(どうせい)、之を待ちて而(しか)る後に適(かな)う者か。血氣の精(せい)なり、志意の榮(えい)なり、百姓之を待ちて而る後に寧(やす)く、天下之を待ちて而る後に平らかなり、明達純粹(めいたつじゅんすい)にして疵(きず)無し。夫(そ)れ是れを之れ君子の知(ち)と謂う。知なり。
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