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大和俗訓 / 巻之四・心術下

一劉行簡曰、天下の事、下人心に合ひ、上天意に合ひ、中大道に合ふ。唯一言あり。曰公のみ。公とは私なきを云ふ。私とは、ひたすらわが身を利せんことを好みて、人のためをかへりみざるを云ふ。是人我をへだつるなり。公とは人我のへだてなく、我と人と、ともに同じく利するを云ふなり。公にして私なければ、道理にかなひ、天意にかなひ、人心にかなふ。故に其心の誠おのづからあらはれて、人の譽も喜もあつく、人のうたがひ惡むことなく、求めずして、天道のめぐみも、人の愛敬もこれあり。又一言にして、上天道にそむき、下人心にちがひ、中大道にかなはざる事あり。私の一字なり。たとひ天下に聞ゆるほどの善事を行ふとも、心に私あらば、まことの道にあらず。

新字:一劉行簡曰、天下の事、下人心に合ひ、上天意に合ひ、中大道に合ふ。唯一言あり。曰公のみ。公とは私なきを云ふ。私とは、ひたすらわが身を利せんことを好みて、人のためをかへりみざるを云ふ。是人我をへだつるなり。公とは人我のへだてなく、我と人と、ともに同じく利するを云ふなり。公にして私なければ、道理にかなひ、天意にかなひ、人心にかなふ。故に其心の誠おのづからあらはれて、人の誉も喜もあつく、人のうたがひ悪むことなく、求めずして、天道のめぐみも、人の愛敬もこれあり。又一言にして、上天道にそむき、下人心にちがひ、中大道にかなはざる事あり。私の一字なり。たとひ天下に聞ゆるほどの善事を行ふとも、心に私あらば、まことの道にあらず。

書き下し

一劉行簡曰く、天下の事、下人心に合ひ、上天意に合ひ、中大道に合ふ。唯一言あり。曰く公のみ。公とは私なきを云ふ。私とは、ひたすらわが身を利せんことを好みて、人のためをかへりみざるを云ふ。是人我をへだつるなり。公とは人我のへだてなく、我と人と、ともに同じく利するを云ふなり。公にして私なければ、道理にかなひ、天意にかなひ、人心にかなふ。故に其心の誠おのづからあらはれて、人の誉も喜もあつく、人のうたがひ悪むことなく、求めずして、天道のめぐみも、人の愛敬もこれあり。又一言にして、上天道にそむき、下人心にちがひ、中大道にかなはざる事あり。私の一字なり。たとひ天下に聞ゆるほどの善事を行ふとも、心に私あらば、まことの道にあらず。

現代語訳

劉行簡が言いました。天下の事で、下は人の心にかない、上は天の意にかない、中は大道にかなう、ただ一言があります。それは公のみです、と。公とは私のないことをいいます。私とは、ひたすら自分の利益を図ることを好み、人のためをかえりみないことをいいます。これは他人と自分を隔てることです。公とは他人と自分の隔てがなく、自分と人とがともに同じく利益を得ることをいうのです。公であって私がなければ、道理にかない、天意にかない、人心にかないます。だからその心の誠が自然に現れて、人のほめ言葉も喜びも厚く、人に疑われたり憎まれたりすることもなく、求めなくても天のめぐみも人の愛敬も得られます。また一言で、上は天道にそむき、下は人心にたがい、中は大道にかなわないものがあります。私の一字です。たとえ天下に聞こえるほどの善事を行っても、心に私があれば、まことの道ではありません。

解説

劉行簡は宋代の人物で、益軒はその言葉を借りて「公」と「私」を対比します。公とは自分と他人を隔てず、ともに利益を得ようとする心であり、私とは自分だけの得を図る心です。どれほど立派な行いも動機に私があれば本物ではないという指摘は厳しいものです。自社だけでなく取引先や社会にも利益をもたらす商いが長続きするように、公の心で動く人には自然に信頼と協力が集まります。組織の判断に迷ったとき、それは公か私かと問う一つの物差しになるでしょう。

この章句が説くこと

公私天道人心誠

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