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大和俗訓 / 巻之三・心術上

一人の我にうときを恨むるは、人情を知らず。又は世になれぬ人といふべし。我が身はわがまゝなれど、それだに心に任せざる事多くして、わが道をつくしがたし。いかんぞ人の方より、我が心にかなふやうに、我がために道をつくさんや。又世には、いかなる障もありて、心にまかせざる事も有りぬべし。何事も、さだめて故あらんとおもひやりて、人をたやすく恨みとがむべからず。我が心にかなはざるとて、あやまりなき人を恨み誹るは、いと罪深し。かくの如くおもひはかりて、人を恨みそしらざる人は、世變と人情をよく知れる人なるべし。詩經に曰、何其久也、必有以也。いふ意は、人の、わがもとに、何しに久しく來らざるや、必ひまなきか、病あるか、ゆゑありて來らざるなるべしとなり。

新字:一人の我にうときを恨むるは、人情を知らず。又は世になれぬ人といふべし。我が身はわがまゝなれど、それだに心に任せざる事多くして、わが道をつくしがたし。いかんぞ人の方より、我が心にかなふやうに、我がために道をつくさんや。又世には、いかなる障もありて、心にまかせざる事も有りぬべし。何事も、さだめて故あらんとおもひやりて、人をたやすく恨みとがむべからず。我が心にかなはざるとて、あやまりなき人を恨み誹るは、いと罪深し。かくの如くおもひはかりて、人を恨みそしらざる人は、世変と人情をよく知れる人なるべし。詩経に曰、何其久也、必有以也。いふ意は、人の、わがもとに、何しに久しく来らざるや、必ひまなきか、病あるか、ゆゑありて来らざるなるべしとなり。

書き下し

一人の我にうときを恨むるは、人情を知らず。又は世になれぬ人といふべし。我が身はわがままなれど、それだに心に任せざる事多くして、わが道をつくしがたし。いかんぞ人の方より、我が心にかなふやうに、我がために道をつくさんや。又世には、いかなる障もありて、心にまかせざる事も有りぬべし。何事も、さだめて故あらんとおもひやりて、人をたやすく恨みとがむべからず。我が心にかなはざるとて、あやまりなき人を恨み誹るは、いと罪深し。かくの如くおもひはかりて、人を恨みそしらざる人は、世変と人情をよく知れる人なるべし。詩経に曰く、何ぞ其れ久しきや、必ず以有らん。いふ意は、人の、わがもとに、何しに久しく来らざるや、必ひまなきか、病あるか、ゆゑありて来らざるなるべしとなり。

現代語訳

人が自分に疎遠なのを恨むのは、人情を知らないのです。また世慣れていない人というべきです。自分の身は自分の思うままのはずなのに、それさえ思い通りにならないことが多くて、自分の道を尽くしにくいのです。どうして人の方から、自分の心にかなうように、自分のために道を尽くしてくれるでしょうか。また世の中には、いろいろな差し障りもあって、思うに任せないこともあるでしょう。何事も、きっと訳があるのだろうと思いやって、人を軽々しく恨みとがめてはいけません。自分の心にかなわないからといって、過ちのない人を恨みそしるのは、たいへん罪深いことです。このように思いはかって、人を恨みそしらない人は、世の移り変わりと人情をよく知っている人でしょう。『詩経』に「どうしてこんなに久しいのか、きっと訳があるのだろう」とあります。その意味は、人がどうして長いあいだ自分のもとに来ないのか、きっと暇がないか、病気か、何か訳があって来ないのだろう、ということです。

解説

人から疎遠にされたときに恨まないための心得を説く段です。益軒は、自分の身でさえ思い通りにならないのに、他人が自分の思い通りに動いてくれるはずがないと言い、相手にはきっと事情があるのだろうと思いやれと説きます。引かれるのは『詩経』邶風の旄丘の「何ぞ其れ久しきや、必ず以有らん」です。連絡が途絶えた友人や、返事の遅い相手にいら立つとき、まず相手の事情を想像してみるという姿勢は、今の人付き合いでも心を穏やかに保つ助けになります。

この章句が説くこと

恕人情詩経人間関係寛容

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