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大和俗訓 / 巻之三・心術上

凡陰德は、人知らざれども、天道にかなふ。故に後は必わが身のさいはひとなり、子孫の繁榮を得る道理あり。かるがゆゑに、さいはひを求むるに、是にまされる祈禱なし。天道の、善にさいはひし、惡にわざはひし給ふ理は、古今和漢、明白なりといへど凡人は是を知らずして、善を好まず、惡を行ひ、ひが事をなしてさいはひを求め、我が身の祭るまじき淫祠にへつらひ祈る。いにしへを考ふるに力なくば、せめて近き古今の世の中を廣く考へ見て、善を行ひて益あると、みだりに神と人とにへつらひて、益なきを知るべし。されども君子の心は、福をもとめんために陰德を行ふにはあらず、陰德をおこなへば、求めずして福は其中にあり。

新字:凡陰徳は、人知らざれども、天道にかなふ。故に後は必わが身のさいはひとなり、子孫の繁栄を得る道理あり。かるがゆゑに、さいはひを求むるに、是にまされる祈祷なし。天道の、善にさいはひし、悪にわざはひし給ふ理は、古今和漢、明白なりといへど凡人は是を知らずして、善を好まず、悪を行ひ、ひが事をなしてさいはひを求め、我が身の祭るまじき淫祠にへつらひ祈る。いにしへを考ふるに力なくば、せめて近き古今の世の中を広く考へ見て、善を行ひて益あると、みだりに神と人とにへつらひて、益なきを知るべし。されども君子の心は、福をもとめんために陰徳を行ふにはあらず、陰徳をおこなへば、求めずして福は其中にあり。

書き下し

凡陰徳は、人知らざれども、天道にかなふ。故に後は必わが身のさいはひとなり、子孫の繁栄を得る道理あり。かるがゆゑに、さいはひを求むるに、是にまされる祈祷なし。天道の、善にさいはひし、悪にわざはひし給ふ理は、古今和漢、明白なりといへど凡人は是を知らずして、善を好まず、悪を行ひ、ひが事をなしてさいはひを求め、我が身の祭るまじき淫祠にへつらひ祈る。いにしへを考ふるに力なくば、せめて近き古今の世の中を広く考へ見て、善を行ひて益あると、みだりに神と人とにへつらひて、益なきを知るべし。されども君子の心は、福をもとめんために陰徳を行ふにはあらず、陰徳をおこなへば、求めずして福は其中にあり。

現代語訳

およそ陰徳は、人は知らなくても天道にかないます。だから後には必ず自分の幸いとなり、子孫の繁栄を得る道理があります。それゆえ、幸いを求めるのに、これにまさる祈りはありません。天道が善に幸いを与え、悪に災いを与える道理は、昔も今も、日本でも中国でも明白ですが、凡人はこれを知らず、善を好まず、悪を行い、道理に外れたことをして幸いを求め、自分が祭るべきでないいかがわしい神にへつらって祈ります。昔のことを調べる力がないなら、せめて近い昔と今の世の中を広く考えてみて、善を行えば益があり、みだりに神や人にへつらっても益がないことを知るべきです。けれども君子の心は、福を求めるために陰徳を行うのではありません。陰徳を行えば、求めなくても福はその中にあるのです。

解説

陰徳は人に知られなくても天道にかない、やがて自分と子孫の幸いになると説く段です。益軒は、善を行わずに怪しげな神に祈って福を求める風潮を批判し、陰徳にまさる祈りはないと言います。儒者として迷信的な祈祷を退ける合理的な姿勢がうかがえます。ただし最後に、君子は福を求めて陰徳を行うのではなく、行えば福はおのずとその中にあると結び、見返りを目的とする善を戒めています。ご利益を求めるより日々の行いを正すという考えは、今も通じる生き方の指針です。

この章句が説くこと

陰徳天道福祈り善

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