大和俗訓 / 巻之二・為学下
一書を讀み學問すれば、聞見の智は日々にすゝむ。されども知れる事を行はざれば、德行は日々におくれて進まず。行はざれば、其知れる所眞智にあらず。故に今の學者は其まなぶ所と行ふ所と大にそむけり。是己がために學ばざればなり。學者まづ誠の志を本とし、聞見の智より入りて、知れる事を行ひ、眞智にいたるべし。
新字:一書を読み学問すれば、聞見の智は日々にすゝむ。されども知れる事を行はざれば、徳行は日々におくれて進まず。行はざれば、其知れる所真智にあらず。故に今の学者は其まなぶ所と行ふ所と大にそむけり。是己がために学ばざればなり。学者まづ誠の志を本とし、聞見の智より入りて、知れる事を行ひ、真智にいたるべし。
書き下し
一書を読み学問すれば、聞見の智は日々にすすむ。されども知れる事を行はざれば、徳行は日々におくれて進まず。行はざれば、其知れる所真智にあらず。故に今の学者は其まなぶ所と行ふ所と大にそむけり。是己がために学ばざればなり。学者まづ誠の志を本とし、聞見の智より入りて、知れる事を行ひ、真智にいたるべし。
現代語訳
書を読み学問をすれば、聞見の知は日々に進みます。けれども知ったことを行わなければ、徳のある行いは日々に遅れて進みません。行わなければ、その知ったことは真の知ではありません。ですから今の学者は、学ぶところと行うところが大きく食い違っています。これは自分のために学んでいないからです。学ぶ者は、まず誠の志を根本とし、聞見の知から入って、知ったことを行い、真の知に至るべきです。
解説
前の条の続きで、知識ばかり増えて行いが伴わない当時の学者を批判しています。その原因を益軒は「己がために学ばざればなり」とし、『論語』憲問篇の「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」を踏まえて、人に見せるための学問になっていると指摘します。資格や肩書きのための勉強が、いつのまにか自分を変えるための学びから離れてしまうことは今もよくあります。何のために学ぶのかを問い直させる一節です。
この章句が説くこと
真知徳行志学問為己
関連する章句
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『大和俗訓』巻之二・為学下一博学にして経書に通じ、義理を説く人も、其心術行迹あしくして、俗人におとれるもあり。是道に志なくして、道を我が心に得ざればなり。口に読みならひ、目に見おぼえても、其理を心に得ざれば益なし。たとへば美食芳樽前に多くつらなれども、これを飲みくらはざれば、食にもあく事なく、酒にゑふ事もなきが如し。書を読んで行あしき人あるをうたがふ人あり。これを以て疑をはらすべし。書をよみても道に志なくば、文字を知れるのみにて、心において益なし。是無用の学なり。ここを以て、学をするにはまづ志を本とすべし。
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うひ山ぶみ・注[ロ]かのしなじなある学びのすぢすぢ外の国の事に用ひんよりは、わがみづからの国の事に用ひまほしく思ふ也、その勝劣のさだなどは、姑くさしおきて、まづよその事にのみかゝづらひて、わが内の国の事をしらざらんは、くちをしきわざならざらんや、志を高く大きにたてて云々、すべて学問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじと、かたく思ひまうくべし、此志よわくては、学問すゝみがたく、倦怠るもの也、主としてよるべきすぢは云々、道を学ぶを主とすべき子細は、今さらいふにも及ばぬことなれども、いさゝかいはば、まづ人として、人の道はいかなるものぞといふことを、しらで有べきにあらず、学問の志なきものは、論のかぎりにはあらず、かりそめにもその心ざしあらむ者は、同じくは道のために、力を用ふべきこと也、然るに道の事をば、なほざりにさしおきて、たゞ末の事にのみ、かゝづらひをらむは、学問の本意にあらず、さて道を学ぶにつきては、天地の間にわたりて、殊にすぐれたる、まことの道の伝はれる、御国に生れ来つるは、
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