山鹿語類 / 士道・明衣服之制
而して天子より士に至るまで其制あり。士は佩瓀玖而縕組綬と玉藻に出たり。內則に子事父母ことを以左右佩用といへり。謂身之兩旁佩帨巾小刀之類以備用と注せり。玉のみにあらず。自ら便用を利するのものを佩る也。孔子去喪無所不佩となれば、便用は云に不足。すべて佩を以て身の威儀を正すによつて也。唐宋に及んで、官人皆金銀の魚袋を佩す。各其官位に隨へり。魚袋古之算袋。魏文帝易以龜袋、取其先知歸順之義、又唐改以魚袋。取其合魚符之義、自一品至六品以下皆佩と云へり。本朝衣服令に、玉佩の說あり。袋のことあり。專唐の制にひとし。武士橫刀をおび、並に火打袋を佩て、便用を利すといへども、威儀則あることを不知。尤可歎也。
新字:而して天子より士に至るまで其制あり。士は佩瓀玖而縕組綬と玉藻に出たり。内則に子事父母ことを以左右佩用といへり。謂身之両旁佩帨巾小刀之類以備用と注せり。玉のみにあらず。自ら便用を利するのものを佩る也。孔子去喪無所不佩となれば、便用は云に不足。すべて佩を以て身の威儀を正すによつて也。唐宋に及んで、官人皆金銀の魚袋を佩す。各其官位に随へり。魚袋古之算袋。魏文帝易以亀袋、取其先知帰順之義、又唐改以魚袋。取其合魚符之義、自一品至六品以下皆佩と云へり。本朝衣服令に、玉佩の説あり。袋のことあり。専唐の制にひとし。武士横刀をおび、並に火打袋を佩て、便用を利すといへども、威儀則あることを不知。尤可嘆也。
書き下し
而して天子より士に至るまで其制あり。士は佩瓀玖而縕組綬と玉藻に出たり。内則に子事父母ことを以左右佩用といへり。謂身之両旁佩帨巾小刀之類以備用と注せり。玉のみにあらず。自ら便用を利するのものを佩る也。孔子去喪無所不佩となれば、便用は云に不足。すべて佩を以て身の威儀を正すによつて也。唐宋に及んで、官人皆金銀の魚袋を佩す。各其官位に随へり。魚袋古之算袋。魏文帝易以亀袋、取其先知帰順之義、又唐改以魚袋。取其合魚符之義、自一品至六品以下皆佩と云へり。本朝衣服令に、玉佩の説あり。袋のことあり。専唐の制にひとし。武士横刀をおび、並に火打袋を佩て、便用を利すといへども、威儀則あることを不知。尤可嘆也。
現代語訳
そして天子から士に至るまで、その制度がある。「士は瓀玖(玉に次ぐ石)を佩び、赤黄の組紐を用いる」と玉藻に出ている。『礼記』内則に、子が父母に仕えるときは「左右に用具を佩びる」と言っている。「身の両脇に手ぬぐい・小刀の類を佩びて用に備える」と注している。玉だけではない。自分の便利のためのものを佩びるのである。孔子は「喪が明ければ佩びないものはない」というのだから、便利のためであることは言うまでもない。すべて佩によって身の威儀を正すからである。唐宋に及んで、官人はみな金銀の魚袋を佩びた。それぞれその官位に従った。「魚袋は古の算袋(計算具の袋)である。魏の文帝が亀袋に替え、先を知って帰順するという意味を取った。また唐が改めて魚袋とし、魚符(割符)を合わせるという意味を取った。一品から六品以下までみな佩びる」と言っている。わが国の衣服令にも玉佩の説があり、袋のことがある。もっぱら唐の制度と同じである。武士は横刀を帯び、あわせて火打袋を佩びて便利にしているが、威儀に則があることを知らない。まことに嘆くべきである。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』隠公元年 孝子匱しからず君子曰く、「潁考叔は純孝なり。其の母を愛して、施いて莊公に及ぶ。詩に曰く、『孝子匱しからず、永く爾の類に錫ふ』と。其れ是を之れ謂ふか」と。秋、七月、天王宰咺をして來りて惠公・仲子の賵を歸らしむ。緩し、且つ子氏未だ薨ぜず、故に名いふ。天子は七月にして葬り、同軌畢く至る。諸侯は五月、同盟至る。大夫は三月、同位至る。士は月を踰え、外姻至る。死に贈りて尸に及ばず、生を弔ひて哀に及ばず、凶事を豫めするは、禮に非ざるなり。八月、紀人夷を伐つ。夷告げず、故に書せず。蜚有り。災を為さず、亦た書せず。惠公の季年、宋の師を黃に敗る。公立ちて、成を求む。九月、宋人と宿に盟ふ、始めて通ずるなり。冬、十月、庚申、惠公を改葬す。公臨まず、故に書せず。惠公の薨ずるや、宋の師有り、太子少し、葬に故に闕有り、是を以って改葬す。衛侯來りて葬に會す、公に見えず、亦た書せず。鄭の共叔の亂に、公孫滑出でて衛に奔る。衛人之が為に鄭を伐ち、廩延を取る。鄭人王の師・虢の師を以って衛の南鄙を伐つ。師を邾に請ふ。邾子私かに公子豫に使ひす。豫往かんと請ふ、公許さず、遂に行く。邾人・鄭人と翼に盟ふ。書せざるは、公の命に非ざればなり。新たに南門を作る。書せざるは、亦た公の命に非ざればなり。十二月、祭伯來る、王命に非ざるなり。眾父卒す。公小斂に與らず、故に日を書せず。
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