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和俗童子訓 / 巻之四・手習法

一字を學ぶには、必まづ眞書を大文字に書習ふべし。内閣字府の七十二筆を先うつすべし。次に行書を習ふべし。凡字を書習ふには、眞行草共に古人の能書を法とすべし。東坡が曰、眞は行を生じ、行は草を生ず。眞は人の立つが如く、行は人の行くが如く、草は人の走るが如し。いまだ不立して、能く行き能く走る者はあらじと云へり。是を以て見るに、眞は本なり、草は末なり。唐土には、まづ眞書より學ばしむる故に、字畫正しく誤なし。倭俗は眞字を學ばざる故に、文字を知らず、字畫に誤多し。眞書を學ばざれば、草書にも誤多し。本邦近代の先輩、さばかり能書の名を得たる人多けれど、眞書を不學ゆゑ、其筆跡、眞草共に多くは誤字あり、證とするに足らず。

新字:一字を学ぶには、必まづ真書を大文字に書習ふべし。内閣字府の七十二筆を先うつすべし。次に行書を習ふべし。凡字を書習ふには、真行草共に古人の能書を法とすべし。東坡が曰、真は行を生じ、行は草を生ず。真は人の立つが如く、行は人の行くが如く、草は人の走るが如し。いまだ不立して、能く行き能く走る者はあらじと云へり。是を以て見るに、真は本なり、草は末なり。唐土には、まづ真書より学ばしむる故に、字画正しく誤なし。倭俗は真字を学ばざる故に、文字を知らず、字画に誤多し。真書を学ばざれば、草書にも誤多し。本邦近代の先輩、さばかり能書の名を得たる人多けれど、真書を不学ゆゑ、其筆跡、真草共に多くは誤字あり、証とするに足らず。

書き下し

一字を学ぶには、必まづ真書を大文字に書習ふべし。内閣字府の七十二筆を先うつすべし。次に行書を習ふべし。凡字を書習ふには、真行草共に古人の能書を法とすべし。東坡が曰、真は行を生じ、行は草を生ず。真は人の立つが如く、行は人の行くが如く、草は人の走るが如し。いまだ立たずして、能く行き能く走る者はあらじと云へり。是を以て見るに、真は本なり、草は末なり。唐土には、まづ真書より学ばしむる故に、字画正しく誤なし。倭俗は真字を学ばざる故に、文字を知らず、字画に誤多し。真書を学ばざれば、草書にも誤多し。本邦近代の先輩、さばかり能書の名を得たる人多けれど、真書を学ばざるゆゑ、其筆跡、真草共に多くは誤字あり、証とするに足らず。

現代語訳

字を学ぶには、必ずまず楷書を大きな文字で書き習いなさい。内閣字府の七十二筆をまず写しなさい。次に行書を習いなさい。およそ字を書き習うには、楷書・行書・草書ともに昔の能書を手本としなさい。蘇東坡は「楷書は行書を生じ、行書は草書を生ずる。楷書は人が立っているようで、行書は人が歩いているようで、草書は人が走っているようだ。まだ立てもしないのに、よく歩きよく走る者はいないだろう」と言いました。このことから見れば、楷書は本であり、草書は末です。中国では、まず楷書から学ばせるので、字画が正しく誤りがありません。日本の風俗では楷書を学ばないので、文字を知らず、字画に誤りが多いのです。楷書を学ばなければ、草書にも誤りが多くなります。日本の近代の先輩で、あれほど能書の名を得た人は多いけれども、楷書を学ばなかったため、その筆跡は楷書も草書も多くは誤字があって、証拠とするには足りません。

解説

楷書を本、草書を末として、楷書から学ぶべきことを説いた条です。宋の蘇東坡の「真は立つが如く、行は行くが如く、草は走るが如し、未だ立たずして能く行き能く走る者はあらじ」という比喩は、基礎から応用へという順序を鮮やかに示しています。日本では楷書を学ばないので字画の誤りが多く、名高い能書にも誤字がある、という批判は手厳しいものです。立つ前に走ることはできないという考えは、基本をおろそかにして応用や見栄えを急ぐ危うさへの戒めとして、どんな学びにも当てはまります。

この章句が説くこと

楷書基本書道蘇東坡手習

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