和俗童子訓 / 巻之一・総論上
位高く身豐なれば、民の苦人の愁を知らず、人の費我が費をもいとはず。おごりに習ひては、人をあはれむ心も薄くなる。又さほど高き品にのほらざれども、時に合ひ勢に乘りては、つねの心を失ひ、人に無禮を行ひ、物のあはれを知らず、人の情をも忘れて、言ふまじき事をもいひ、なすまじき事をもなす事こそあさましけれ。幼き時より、古の事を知れるおとなしく正しき人をえらび用ひて、師とし友とし、早く學問をつとめさせ、身を修め人を治むる古の道を敎へて、善を行はしめ、惡を戒むべし。よき人をえらびて、もし其人にあらずんば、師とすべからず。旣に師とせば、是を尊び敬ひ、其敎を受けしむべし。又身の養飮食などのつゝしみをも敎ふべし。左右近習の人を能くえらびて、質朴にて忠信なる人をなれ近づかしむべし。
新字:位高く身豊なれば、民の苦人の愁を知らず、人の費我が費をもいとはず。おごりに習ひては、人をあはれむ心も薄くなる。又さほど高き品にのほらざれども、時に合ひ勢に乗りては、つねの心を失ひ、人に無礼を行ひ、物のあはれを知らず、人の情をも忘れて、言ふまじき事をもいひ、なすまじき事をもなす事こそあさましけれ。幼き時より、古の事を知れるおとなしく正しき人をえらび用ひて、師とし友とし、早く学問をつとめさせ、身を修め人を治むる古の道を教へて、善を行はしめ、悪を戒むべし。よき人をえらびて、もし其人にあらずんば、師とすべからず。既に師とせば、是を尊び敬ひ、其教を受けしむべし。又身の養飲食などのつゝしみをも教ふべし。左右近習の人を能くえらびて、質朴にて忠信なる人をなれ近づかしむべし。
書き下し
位高く身豊なれば、民の苦人の愁を知らず、人の費我が費をもいとはず。おごりに習ひては、人をあはれむ心も薄くなる。又さほど高き品にのほらざれども、時に合ひ勢に乗りては、つねの心を失ひ、人に無礼を行ひ、物のあはれを知らず、人の情をも忘れて、言ふまじき事をもいひ、なすまじき事をもなす事こそあさましけれ。幼き時より、古の事を知れるおとなしく正しき人をえらび用ひて、師とし友とし、早く学問をつとめさせ、身を修め人を治むる古の道を教へて、善を行はしめ、悪を戒むべし。よき人をえらびて、もし其人にあらずんば、師とすべからず。既に師とせば、是を尊び敬ひ、其教を受けしむべし。又身の養飲食などのつつしみをも教ふべし。左右近習の人を能くえらびて、質朴にて忠信なる人をなれ近づかしむべし。
現代語訳
位が高く身が豊かであると、民の苦しみや人の憂いを知らず、人の費えも自分の費えも気にかけなくなります。驕りに慣れると、人を憐れむ心も薄くなります。またそれほど高い身分に上らなくても、時勢にあい勢いに乗ると、ふだんの心を失い、人に無礼を働き、物のあわれを知らず、人の情けも忘れて、言ってはならないことを言い、してはならないことをするのは、まことに情けないことです。幼い時から、古えのことを知っている、分別があり正しい人を選び用いて、師とし友とし、早く学問を勤めさせ、身を修め人を治める古えの道を教えて、善を行わせ、悪を戒めなさい。よい人を選んで、もしそれにふさわしい人でなければ、師としてはなりません。すでに師としたなら、これを尊び敬い、その教えを受けさせなさい。また身の養生や飲食などの慎みも教えなさい。側近く仕える人をよく選んで、質朴で忠信な人を慣れ親しませなさい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・儒行解儒に金玉を宝とせずして、忠信を以て宝と為し、土地を祈らずして、仁義を以て土地と為し、多積を求めずして、多文を以て富と為す有り。得難くして禄し易く、禄し易くして畜い難し。時に非ざれば見えず、亦た難得ならずや。義に非ざれば合わず、亦た難畜ならずや。労を先にして禄を後にす、亦た易禄ならずや。其の人情に近きこと此くの如き者有り。儒に之に委ぬるに財貨を以てして貪らず、之を淹すに楽好を以てして淫せず、之を劫すに衆を以てして懼れず、之を阻むに兵を以てして懾れず、利を見て其の義を虧かず、死を見て其の守りを更めず、鷙虫の攫搏も其の勇を程らず、重鼎を引くも其の力を程らず、往く者を悔いず、来る者を予めせず、過言再びせず、流言極めず、其の威を断たず、其の謀を習わず有り。其の特立すること此くの如き者有り。
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論語・子罕篇子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること毋かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。
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論語・衛霊公篇子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。
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史記 蒙恬列伝蒙恬は、其の先は斉人なり。恬の大父蒙驁、斉より秦の昭王に事へ、官上卿に至る。秦の荘襄王の元年、蒙驁秦の将と為り、韓を伐ち、成皋・滎陽を取り、三川郡を作置す。二年、蒙驁趙を攻め、三十七城を取る。始皇の三年、蒙驁韓を攻め、十三城を取る。五年、蒙驁魏を攻め、二十城を取り、東郡を作置す。始皇の七年、蒙驁卒す。驁の子を武と曰ひ、武の子を恬と曰ふ。恬嘗て獄を書し文学を典る。始皇の二十三年、蒙武秦の裨将軍と為り、王翦と楚を攻め、大いに之を破り、項燕を殺す。二十四年、蒙武楚を攻め、楚王を虜にす。蒙恬の弟は毅なり。始皇の二十六年、蒙恬家世に因りて秦の将と為るを得、斉を攻め、大いに之を破り、拝して内史と為る。秦已に天下を并せ、乃ち蒙恬をして三十万の衆を将ゐて北のかた戎狄を逐ひ、河南を収めしむ。長城を筑き、地形に因り、用て険塞を制し、臨洮に起こり、遼東に至る。延袤万余里。是に於て河を渡り、陽山に拠り、逶蛇して北す。師を外に暴すこと十余年、上郡に居る。是の時蒙恬の威匈奴を振るはす。始皇甚だ蒙氏を尊寵し、信任して之を賢とす。而して蒙毅を親近し、位上卿に至り、出づれば則ち参乗し、入れば則ち御前にあり。恬は外事に任じて毅は常に内謀を為す。名づけて忠信と為す。故に諸将相と雖も敢て之と争ふ莫し。
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説苑・雜言孔子、呂梁を観る。懸水四十仞、環流九十里、魚鱉過ぐる能わず、黿鼉敢えて居らず。一丈夫有り、方に将に之を渉らんとす。孔子人をして崖に並びて之を止めしめて曰く、「此の懸水四十仞、圜流九十里、魚鱉敢えて過ぎず、黿鼉敢えて居らず、意うに済り難からんか」と。丈夫意に錯かず、遂に渡りて出づ。孔子問う、「子巧みなるか。且つ道術有るか。能く入りて出づる所以は何ぞや」と。丈夫曰く、「始め吾入るや、先ず忠信を以てす。吾の出づるや、又従うに忠信を以てす。忠信吾が軀を波流に錯くも、吾敢えて私を用いず。吾の能く入りて復た出づる所以なり」と。孔子弟子に謂いて曰く、「水すら尚お忠信を以てす可し、義久しくして身之に親しめば、況んや人に於いてをや」と。
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『囲炉夜話』第九十七則・君子は心を存するに但だ忠信に憑る君子は心を存するに但だ忠信に憑る、而して婦孺皆之を敬すること神の如し、所以に君子は落ちて君子たるを得。 小人は世に處するに盡く機關を設く、而して鄉黨皆之を避くること鬼の若し、所以に小人は枉げて小人と做り了んぬ。
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