和俗童子訓 / 巻之一・総論上
一およそ人の惡德は矜なり。矜とはほこるとよむ。高慢の事なり。矜なれば自ら是として、其惡を知らず、過を聞きても改めず。故に惡を改めて善に進むこと難し。たとひ勝れたる才能ありとも、高慢にして、我が才にほこり、人を侮らば、是凶惡の人といふべし。凡小兒の善行あると、才能あるをほむべからず。ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、我が愚なるも不德なるをも知らず。我に智ありと思ひ、我が才智にても事足りぬと思ひ、學問を好まず、人の敎を求めず。もし父として、愛に溺れて子の惡しきを知らず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才藝つたなけれども、勝れたりとほむるは、愚にまよへるなり。其善を譽むれば其善を失ひ、其藝を譽むれば其藝を失ふ。必其子をほむる事なかれ。其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。親の譽むる子は、多くは惡しくなり、學も藝も拙きものなり。篤信かつて言へり、人に三愚あり、我をほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるゝなり。
新字:一およそ人の悪徳は矜なり。矜とはほこるとよむ。高慢の事なり。矜なれば自ら是として、其悪を知らず、過を聞きても改めず。故に悪を改めて善に進むこと難し。たとひ勝れたる才能ありとも、高慢にして、我が才にほこり、人を侮らば、是凶悪の人といふべし。凡小児の善行あると、才能あるをほむべからず。ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、我が愚なるも不徳なるをも知らず。我に智ありと思ひ、我が才智にても事足りぬと思ひ、学問を好まず、人の教を求めず。もし父として、愛に溺れて子の悪しきを知らず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才芸つたなけれども、勝れたりとほむるは、愚にまよへるなり。其善を誉むれば其善を失ひ、其芸を誉むれば其芸を失ふ。必其子をほむる事なかれ。其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。親の誉むる子は、多くは悪しくなり、学も芸も拙きものなり。篤信かつて言へり、人に三愚あり、我をほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるゝなり。
書き下し
一およそ人の悪徳は矜なり。矜とはほこるとよむ。高慢の事なり。矜なれば自ら是として、其悪を知らず、過を聞きても改めず。故に悪を改めて善に進むこと難し。たとひ勝れたる才能ありとも、高慢にして、我が才にほこり、人を侮らば、是凶悪の人といふべし。凡小児の善行あると、才能あるをほむべからず。ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、我が愚なるも不徳なるをも知らず。我に智ありと思ひ、我が才智にても事足りぬと思ひ、学問を好まず、人の教を求めず。もし父として、愛に溺れて子の悪しきを知らず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才芸つたなけれども、勝れたりとほむるは、愚にまよへるなり。其善を誉むれば其善を失ひ、其芸を誉むれば其芸を失ふ。必其子をほむる事なかれ。其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。親の誉むる子は、多くは悪しくなり、学も芸も拙きものなり。篤信かつて言へり、人に三愚あり、我をほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるるなり。
現代語訳
およそ人の悪徳は「矜(きょう)」です。矜は「ほこる」と読みます。高慢のことです。矜であれば自分を正しいとして自分の悪を知らず、過ちを聞いても改めません。ですから悪を改めて善に進むことが難しいのです。たとえすぐれた才能があっても、高慢で自分の才にほこり、人を侮るなら、これは凶悪の人と言うべきです。およそ子どもに善い行いがあっても、才能があっても、ほめてはなりません。ほめれば高慢になって心を損ない、自分が愚かであることも不徳であることもわからなくなります。自分に知恵があると思い、自分の才知で事足りると思って学問を好まず、人の教えを求めません。もし父として愛に溺れて子の悪さを知らず、性質や行いがよくないのに君子のようにほめ、才芸がつたないのにすぐれているとほめるのは、愚かに迷っているのです。その善をほめればその善を失い、その芸をほめればその芸を失います。決してその子をほめてはなりません。その子の害になるばかりでなく、人からも愚かだと思われて、まことに残念です。親のほめる子は、多くは悪くなり、学問も芸も拙いものです。私(篤信)はかつて言いました。人には三つの愚かさがある、自分をほめ、子をほめ、妻をほめることで、皆これは愛に溺れているのだ、と。
解説
この章句が説くこと
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