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和俗童子訓 / 巻之一・総論上

今の人、いかでか敎なくして一人知るべきや。聖人は人の至、萬世の師なり。されば人は、聖人の敎なくては、人の道を知り難し。是を以て、人となる者は、必聖人の道を學ばずんばあるべからず。其敎は、豫するを先とす。豫とは、兼てよりと云ふ意、小兒のいまだ惡に移らざる先に、兼て早く敎へずして、悪しき事に染みならひて後は、敎へても善に移らず、いましめても惡を止め難し。古人は、小兒の始てよく食し、能く言ふ時より、早く敎へしとなり。富貴の家には、能き人を擇びて、早く其子につくべし。惡しき人になれそむべからず。貧家の子も、早く善き友に交らしめ、あしき事に習はしむべからず。凡小兒は、早く敎ふると、左右の人をえらぶと、是古人の子を育つる良法なり。必是を法とすべし。

新字:今の人、いかでか教なくして一人知るべきや。聖人は人の至、万世の師なり。されば人は、聖人の教なくては、人の道を知り難し。是を以て、人となる者は、必聖人の道を学ばずんばあるべからず。其教は、予するを先とす。予とは、兼てよりと云ふ意、小児のいまだ悪に移らざる先に、兼て早く教へずして、悪しき事に染みならひて後は、教へても善に移らず、いましめても悪を止め難し。古人は、小児の始てよく食し、能く言ふ時より、早く教へしとなり。富貴の家には、能き人を択びて、早く其子につくべし。悪しき人になれそむべからず。貧家の子も、早く善き友に交らしめ、あしき事に習はしむべからず。凡小児は、早く教ふると、左右の人をえらぶと、是古人の子を育つる良法なり。必是を法とすべし。

書き下し

今の人、いかでか教なくして一人知るべきや。聖人は人の至、万世の師なり。されば人は、聖人の教なくては、人の道を知り難し。是を以て、人となる者は、必聖人の道を学ばずんばあるべからず。其教は、予するを先とす。予とは、兼てよりと云ふ意、小児のいまだ悪に移らざる先に、兼て早く教へずして、悪しき事に染みならひて後は、教へても善に移らず、いましめても悪を止め難し。古人は、小児の始てよく食し、能く言ふ時より、早く教へしとなり。富貴の家には、能き人を択びて、早く其子につくべし。悪しき人になれそむべからず。貧家の子も、早く善き友に交らしめ、あしき事に習はしむべからず。凡小児は、早く教ふると、左右の人をえらぶと、是古人の子を育つる良法なり。必是を法とすべし。

現代語訳

今の人が、どうして教えを受けずにひとりで道を知ることができるでしょうか。聖人は人として至り極まった方であり、万世の師です。ですから人は、聖人の教えがなければ人の道を知ることは難しいのです。それゆえ人として生まれた者は、必ず聖人の道を学ばなければなりません。その教えは「予(よ)」を第一とします。予とは「前もって」という意味で、子どもがまだ悪に移らない先に、前もって早く教えずに、悪いことに染まり慣れてしまった後では、教えても善に移らず、戒めても悪をやめさせることは難しいのです。昔の人は、子どもが初めて自分で食べ、ものを言うようになった時から早く教えたといいます。富貴の家では、よい人を選んで早くその子に付けるべきです。悪い人に慣れ親しませてはなりません。貧しい家の子も、早く善い友と交わらせ、悪いことに慣れさせてはなりません。およそ子どもは、早く教えることと、身近に置く人を選ぶこと、この二つが昔の人の子育ての良い方法です。必ずこれを手本にしなさい。

解説

和俗童子訓全体を貫く「予(豫)」の教育論が初めてはっきり示される条です。悪に染まる前に先回りして教えるという考えは、小学や礼記に見える古代の教育観を受け継いだもので、益軒は「早く教えること」と「左右の人を選ぶこと」を子育ての二本柱とします。後者は巻末で賈誼の言葉としてもう一度出てきます。子どもの周りにいる大人や友だちがそのまま手本になるという指摘は、保育環境や職場の配属を考えるとき、今でもよく当てはまる実感でしょう。

この章句が説くこと

予教育子育て環境友聖人

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