うひ山ぶみ / 注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり
まづ古今集をよく心にしめおきて、さて件ンの千載集より新續古今集までは、新古今と玉葉風雅とをのぞきては、いづれをも手本としてよし、然れども件の代々の集を見渡すことも、初心のほどのつとめには、たへがたければ、まづ世間にて、頓阿ほふしの草庵集といふ物などを、會席などにもたづさへ持て、題よみのしるべとすることなるが、いかにもこれよき手本也、此人の哥、かの二條家の正風といふを、よく守りて、みだりなることなく、正しき風にして、わろき哥もさのみなければ也、其外も題よみのためには、題林愚抄やうの物を見るも、あしからず、但し哥よむ時にのぞみて、哥集を見ることは、癖になるものなれば、なるべきたけは、書を見ずによみならふやうにすべし、たゞ集共をば、常々心がけてよく見るべき也、さてこれより近世のなべての、哥人のならひの、よろしからざる事共をいひて、さとさむとす、そはまづ道統といひて、其傳來の事をいみしきわざとして、尊信し、哥も敎ヘも、たゞ傳來正しき人のをのみ、
新字:まづ古今集をよく心にしめおきて、さて件ンの千載集より新続古今集までは、新古今と玉葉風雅とをのぞきては、いづれをも手本としてよし、然れども件の代々の集を見渡すことも、初心のほどのつとめには、たへがたければ、まづ世間にて、頓阿ほふしの草庵集といふ物などを、会席などにもたづさへ持て、題よみのしるべとすることなるが、いかにもこれよき手本也、此人の歌、かの二条家の正風といふを、よく守りて、みだりなることなく、正しき風にして、わろき歌もさのみなければ也、其外も題よみのためには、題林愚抄やうの物を見るも、あしからず、但し歌よむ時にのぞみて、歌集を見ることは、癖になるものなれば、なるべきたけは、書を見ずによみならふやうにすべし、たゞ集共をば、常々心がけてよく見るべき也、さてこれより近世のなべての、歌人のならひの、よろしからざる事共をいひて、さとさむとす、そはまづ道統といひて、其伝来の事をいみしきわざとして、尊信し、歌も教ヘも、たゞ伝来正しき人のをのみ、
書き下し
まづ古今集をよく心にしめおきて、さて件ンの千載集より新続古今集までは、新古今と玉葉風雅とをのぞきては、いづれをも手本としてよし、然れども件の代々の集を見渡すことも、初心のほどのつとめには、たへがたければ、まづ世間にて、頓阿ほふしの草庵集といふ物などを、会席などにもたづさへ持て、題よみのしるべとすることなるが、いかにもこれよき手本也、此人の歌、かの二條家の正風といふを、よく守りて、みだりなることなく、正しき風にして、わろき歌もさのみなければ也、其外も題よみのためには、題林愚抄やうの物を見るも、あしからず、但し歌よむ時にのぞみて、歌集を見ることは、癖になるものなれば、なるべきたけは、書を見ずによみならふやうにすべし、たゞ集共をば、常々心がけてよく見るべき也、さてこれより近世のなべての、歌人のならひの、よろしからざる事共をいひて、さとさむとす、そはまづ道統といひて、其伝来の事をいみしきわざとして、尊信し、歌も教ヘも、たゞ伝来正しき人のをのみ、
現代語訳
まず『古今集』をよく心にしみこませておいて、さてこの『千載集』から『新続古今集』までは、新古今と玉葉・風雅を除いては、どれを手本としてもよい。けれどもこの代々の集を見渡すことも、初心のうちの務めとしては耐えがたいので、まず世間で頓阿法師の『草庵集』というものなどを歌会の席などにも携えて持って、題詠の手引きとすることであるが、いかにもこれは良い手本である。この人の歌は、あの二条家の正風というものをよく守って、乱れたことがなく正しい風であって、悪い歌もそれほどないからである。そのほかにも、題詠のためには『題林愚抄』のようなものを見るのも悪くない。ただし歌を詠む時に臨んで歌集を見ることは、癖になるものなので、できるかぎり書を見ずに詠み習うようにすべきである。ただ集どもは、常々心がけてよく見るべきである。さてこれから、近世の一般の歌人の習いのよろしくない事どもを言って、諭そうと思う。それはまず道統といって、その伝来の事をたいそうなこととして尊信し、歌も教えも、ただ伝来の正しい人のものだけを、
解説
この章句が説くこと
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふりさのみいひてやむべきにもあらず、よくしたゝめなば、まねび得ることも、などかは絶てなからん、さて又玉葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二條家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふりよしやあしやをわきまふることあたはず、さやうにていつまでもたゞ、宗匠にのみゆだねもたれてあらんは、いふかひなきわざならずや、すべて近世風の歌人のごとく、何事も愚につたなき学びかたにては、生涯よき歌は出来るものにあらずと知べし、さて又はじめにいへる如く、歌をよむのみにあらず、ふるき集共をはじめて、歌書に見えたる万の事を、解キ明らむる学。
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うひ山ぶみ・注[ム]みづからも古風の歌をまなびてよむべしおのづからの勢ヒにて、万葉に載れるころの歌にいたりては、みなかまへてよくよまんと、求めたる物にこそあれ、おのづからに出来たるは、いとすくなかるべし、万葉の歌すでに然るうへは、まして後世今の世には、よくよまんとかまふること、何かはとがむべき、これおのづからの勢ヒなれば、古風の歌をよまん人も、隨分に詞をえらびて、うるはしくよろしくよむべき也、万葉の歌の中にても云々、此集は、撰びてあつめたる集にはあらず、よきあしきえらびなく、あつめたれば、古ヘながらも、あしき歌も多し、善悪をわきまへて、よるべきなり、今の世、古風をよむともがらの、よみ出る歌を見るに、万葉の中にても、ことに耳なれぬ、あやしき詞をえり出つかひて、ひたすらにふるめかして、人の耳をおどろかさんとかまふるは、いといとよろしからぬこと也、歌も文も、しひてふるくせんとて、求め過たるは、かへすかへすうるさく、見ぐるしきものぞかし、万葉の中にても、たゞやすらかに、すがたよき歌を、手本として、詞もあやしきをば好むまじき也、
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うひ山ぶみ・注[ノ]又後世風をもすてずしてにくむべきことにあらず、たゞ古と後と混雑するをこそ、きらふべきものなれ、これはたゞ歌文のうへのみにもあらず、古の道をあきらむる学問にも、此わきまへなくしては、おぼえず後世意にも漢意にも、落入ルこと有べし、古意と後世意と漢意とを、よくわきまふること、古学の肝要なり、後世風の中にもさまざまよきあしきふりふりあるを云々、かの染衣のさまざまの色には、よきも有リあしきもあるが如く、後世風の歌も、世々を経て、つぎつぎにうつり変れる間ダには、よきとあしきとさまざまの品ある、其中にまず古今集は、世もあがり、撰びも殊に精しければ、いといとめでたくして、わろき歌はすくなし、中にもよみ人しらずの歌どもには、師もつねにいはれたるごとく、殊によろしきぞ多かる、そはおほくふるき歌の、ことにすぐれたる也、さて此集は、古風と後世風との中間に在て、かのふるき歌どもなどは、万葉の中のよき歌どものさまと、をさをさかはらぬもおほくして、殊にめでたければ、古風の歌を学ぶ輩も、これをのりとしてよろしき也、
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり然れども大かた光孝天皇宇多天皇の御代のころよりこなたの歌は、万葉なるとはいたくかはりて、後世風の方にちかきさまなれば、此集をば、姑く後世風の始めの、めでたき歌とさだめて、明暮にこれを見て、今の京となりてよりこなたの、歌といふ物のすべてのさまを、よく心にしむべき也、次に後撰集拾遺集は、えらびやう甚ダあらくみだりにして、えもいはぬわろき歌の多き也、然れどもよき歌も又おほく、中にはすぐれたるもまじれり、さて次に後拾遺集よりこなたの、代々の撰集ども、つぎつぎに盛衰善悪さまざまあれども、そをこまかにいはむには、甚ダ事長ければ、今は省きて、その大抵をつまみていはば、其間ダに新古今集は、そのころの上手たちの歌どもは、意も詞もつゞけざまも、一首のすがたも、別に一ツのふりにて、前にも後にもたぐひなく、其中に殊によくとゝのひたるは、後世風にとりては、えもいはずおもしろく心ふかくめでたし、そもそも上代より今の世にいたるまでを、おしわたして、事のたらひ備りたる、歌の真盛は、
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うひ山ぶみ・注[オ]後世風の中にもさまざまよきあしきふり古今集ともいふべけれども、又此新古今にくらべて思へば、古今集も、なほたらはずそなはらざる事あれば、新古今を真盛といはんも、たがふべからず、然るに古風家の輩、殊に此集をわろくいひ朽すは、みだりなる強ごと也、おほかた此集のよき歌をめでざるは、風雅の情をしらざるものとこそおぼゆれ、但し此時代の歌人たち、あまりに深く巧をめぐらされたるほどに、其中に又くせ有て、あしくよみ損じたるは、殊の外に心得がたく、無理なるもおほし、されどさるたぐひなるも、詞うるはしく、いひまはしの巧なる故に、無理なる聞えぬ事ながらに、うちよみあぐるに、おもしろくて捨がたくおぼゆるは、此ほどの歌共也、されどこれは、此時代の上手たちの、あやしく得たるところにて、さらに後の人の、おぼろけにまねび得べきところにはあらず、しひてこれをまねびなば、えもいはぬすゞろごとになりぬべし、いまだしきほどの人、ゆめゆめこのさまをしたふべからず、されど又、歌のさまをくはしくえたらんうへにては、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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