玉勝間 / 十四の巻 又
顏よき女のかたちを書くとても、例の唯だおのが筆の勢ひをのみむねとして書くほどに、そのかほ見にくやかなり。あまりなまめかしく顔よく書けば、繪のさま賤しくなると云ふめれど、そはおのが繪のつたなきなり。顏よくて繪のさまいやしからぬやうにこそ書べけれ。己が繪がらのいやしくなるをいとひて、顏よき人を見にくく書くべきいはれ無し。美女のかほは、いかにもいかにも顏よく書くべきなり。みにくやかなるはいといと心づきなし。但し今の世に、江戶繪と云ふ繪などは、しひてあながちに顏よくせんとする程に、繪のさまのいやしき事は更にも云はず、中中にかほ見にくく見えて、いと拙きこと多し。
新字:顔よき女のかたちを書くとても、例の唯だおのが筆の勢ひをのみむねとして書くほどに、そのかほ見にくやかなり。あまりなまめかしく顔よく書けば、絵のさま賤しくなると云ふめれど、そはおのが絵のつたなきなり。顔よくて絵のさまいやしからぬやうにこそ書べけれ。己が絵がらのいやしくなるをいとひて、顔よき人を見にくく書くべきいはれ無し。美女のかほは、いかにもいかにも顔よく書くべきなり。みにくやかなるはいといと心づきなし。但し今の世に、江戸絵と云ふ絵などは、しひてあながちに顔よくせんとする程に、絵のさまのいやしき事は更にも云はず、中中にかほ見にくく見えて、いと拙きこと多し。
書き下し
顔よき女のかたちを書くとても、例のただおのが筆の勢いをのみむねとして書くほどに、そのかお見にくやかなり。あまりなまめかしく顔よく書けば、絵のさま賤しくなると云うめれど、そはおのが絵のつたなきなり。顔よくて絵のさまいやしからぬようにこそ書くべけれ。己が絵がらのいやしくなるをいといて、顔よき人を見にくく書くべきいわれ無し。美女のかおは、いかにもいかにも顔よく書くべきなり。みにくやかなるはいといと心づきなし。但し今の世に、江戸絵と云う絵などは、しいてあながちに顔よくせんとするほどに、絵のさまのいやしき事は更にも云わず、なかなかにかお見にくく見えて、いと拙きこと多し。
現代語訳
美しい女の姿を描くときも、例によってただ自分の筆の勢いばかりを第一として描くので、その顔は醜い。あまりなまめかしく美しく描くと絵の品が卑しくなると言うようだが、それは自分の絵が拙いのである。顔が美しくて、しかも絵の品が卑しくならないように描くべきなのである。自分の絵柄が卑しくなるのを嫌って、美しい人を醜く描いてよい理由はない。美女の顔は、どこまでもどこまでも美しく描くべきである。醜いのはまったく気に入らない。ただし今の世の江戸絵という絵などは、無理にひたすら顔を美しくしようとするので、絵の品が卑しいことは言うまでもなく、かえって顔が醜く見えて、たいへん拙いものが多い。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 絵の事人の像を写す事は、つとめてその人の形に似む事を要す。面ようは更にも云わず、そのなりすがた衣服のさまに至るまで、よく似たらむと心すべし。されば人の像は、つとめて委しくこまかに写すべき事なり。然るに今の世には、人の像を写すとても、ただおのが筆のいきおいを見せんとし、絵のさまを雅にせむとするほどに、まことの形にはさらに似ず。又真の形に似むことをば要せず。ただ筆の勢いを見せ、絵のさまを雅にせんとする事をむねとするから、すべてことそぎて委しからず、さらさらと書く故に、面ようなど、その人に似ざるのみならず、甚だいやしき賤やまがつの顔ようにて、さらに君子有徳の人の顔つきにあらず。これいとにくむべき事なり。
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『玉勝間』十四の巻 又古人の像を書くには、その面ようは如何に有りけむ知りがたければ、ただその人の位にかなえ、徳にかなえて、位たかき人のかたは、面ようすべてのさま気高く、誠にたかき人と見ゆるように書くべく。徳ありし人は、又その徳にかなえてかくべし。然るに後の絵師、この意を思わず。ただおのが筆の勢いを見せむとのみするほどに、位たかき人、徳ある人も、ただしず山がつの如く、愚昧なる人の如く書きなせり。
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『玉勝間』十四の巻 又世に武者絵と云いて、たけき人の戦いのさまを書く、そのかおよう人とも見えず、目丸く大きに、鼻いかり口おおきにて、すべて鬼の如し。いかに猛きさまを見せむとすればとて、人にもあらず、しか鬼のようには書くべきわざかは。ただ穏やかに人と見えて、然もたけき勢い有るさまにこそ書くべけれ。或るから書に、皇国の絵の事を、云えるに、その人夜叉羅刹の如しと云えり。思うにこの鬼の如く書ける武者絵を見て云えるなるべし。されどかの国人は皇国人のさまをば見知らねば、さ云える書を読みては、日本人の顔はすべて皆、鬼の如くなる物とぞ心得らむ。すべての事、皇国人は、もろこしの事は、から国のもろもろの書を読む故に、よく知れるを、もろこし人は、皇国の書を読む事無ければ、皇国の事は知らず。稀れ稀れには、かの国の書の中に云える事あれば、それを定として心得る事ぞかし。皇国の人物の絵も、異国の人の見ては、それを定とする事なれば、かの位高き人のかおを山がつの如くいやしく書きなし、かおよき女のかおを見にくく書きなせるなどを、異国人の見たらむには、日本人は形いやしく女も皆見にくき事ぞとぞ心得べき。こは異国人のみにもあらず。同じ皇国人にても、知らぬ昔の人のかおは、絵に書けるを一度見れば、おのずからその面影を、その人の顔と思わるる物ぞかし。
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『玉勝間』十四の巻 またおのれ、絵の事はさらに知らねば、とかく云うべきにあらざるに似たれども、万ずの事おのが善き悪しきはえ知らで、かたわらよりはよく見ゆる物なり、もろもろの芸などもそのでうにて、その道の人は、なかなかにえ知らで、かえりて他より善き悪しきさまのよく見ゆる事あり。絵もさる心ばえあれば、今おのが思うすじを云うなり。まずやまともろこしの古えより、代々の絵の事は、あまたも見あつめず、委しく知らねば、さしおきて、ただ今の世に常に見およぶ処をもて云わん。そはまず、墨絵、うすざいしき、ごくざいしきなど、さまざま有る中に、墨絵と云うは、ただ墨をべたべたと書きて、筆数すくなく、万ずをことそぎて、かろがろと書きて、その物と見ゆる、こはただ筆の力いきおいを見せたる物なれば、至りて上手の書けるは、げにこうも書くべしと覚えて、見所あるも有れど、おしなべての絵師の書けるは、見どころ無く心づきなき物なり。さるを世の人、ただこの墨絵をことにいみじき事にしてめずるは、世のならいに従う心にて、まことには見どころ無き物なり。近き世に茶の湯と云うわざを好むともがらなど、殊にこの墨絵をのみめでて、さいしき絵はすべてとらず。
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『玉勝間』十四の巻 また然れども、まことの物と絵とはことなる事も有りて、まことのあるままに書きては、かえりてその物に似ずして、悪しき事もある物なり。故にかの家々には法ありて、必ずしもその物のまことのままにはかかわらぬ事あるなり。こは法のいみじくして捨てがたき物なり。まず山水と云う絵、すべてここの家々の絵よろし。もろこしようはいといと悪ろくこちなく見ぐるしき事多し。これその法によらずして心にまかせて書く故なり。あるいは道あるまじき所に道を書き、橋あるまじき所に橋を書き、その外いわお草木など、書きて悪ろき所に書き、多くてよき所には少なく、多くて悪ろき所に多く書くたぐい、すべて物の書き所わろく、草木岩根のたたずまい、さかしき峰のさまなど、拙なく見ぐるしき事、大かたこれらは上手の絵の中にもこの難は有るなり。かの家々のはかかる事もみな法ありて書く故につたなからず。又から絵に舟を書くに、斜めに書くこと多きもいたく悪ろし。大かた船の行くことは斜めに見ゆる事も常にあれども、絵に書きてはわろきなり。斜めに書けるは、水のうえにたいらに浮かべりとは見えず。しり上がりてくつがえらむとするさまに見ゆるなり。
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『玉勝間』十四の巻 またしかれども唐絵は、鳥獣虫魚草木など、すべてこの方の家のととくらぶれば、甚だ委しくこまかに書く故に、上手の書けるはまことに真のその物の如く見ゆなるを、この方の家々の絵は、獣の毛のさま、鳥の羽のさま、草木の花のしべ、葉のあやなど、すべてあらく書ける故に、くらべて見ればから絵に、けおさるる事おおし。こは広き家の屏風壁などの絵は、やや遠く見ゆる物なる故に、あまりこまかに委しく書けるは詮なく、なかなかによろしからざる事として、さらさらと書けるを善しとするなるべけれど、なおこまかに委しき唐画の方ぞまさりて見ゆる。大かたこの家々の画と、唐絵と、たがいに得たる所、得ぬ所ありて、勝劣を云いがたき事上の件の如し。又近きころは、家の法にもなずまず、唐絵の書きざまにもかたよらず、ただおのが心もて、いずかたにまれ善しと覚ゆる処をとりて書くたぐいも多き。そのすじは善きを択び悪ろきを捨てて書くゆえに、いずれもいみじき難はおさおさ見えざるなり。
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