玉勝間 / 十一の巻 つねの供御のやう
おなじふみに、每日三度の供御は、御めぐり七種、御汁二種なり。御飯は、わりたる强飯を聞シ召スなり。
新字:おなじふみに、毎日三度の供御は、御めぐり七種、御汁二種なり。御飯は、わりたる強飯を聞シ召スなり。
書き下し
おなじふみに、毎日三度の供御は、御めぐり七種、御汁二種なり。御飯は、わりたる強飯を聞こし召すなり。
現代語訳
同じ書に、毎日三度の天皇のお食事は、おかず七種、お汁二種である。ご飯は、割った強飯(こわめし)を召し上がるのである、とある。
解説
室町時代の天皇の日々の食事について、『海人藻芥』の記事を抜き書きした短い段である。天皇の食事を「供御」といい、日に三度、おかずが七品、汁物が二品であった。「御めぐり」はご飯のまわりに並べるおかずを指す御所言葉で、前段の女房詞の実例にもなっている。ご飯は蒸した米の強飯を割って供したという。宮中の日常の食膳は、儀式の記録ほどには書き残されないため、こうした記事は貴重である。宣長は前段に続けてこれを引き、宮中の暮らしの細部を具体的に知ろうとしている。古い時代の人が毎日何を食べていたかを知ることは、書物の中の人物を、生身の暮らしを持った人として思い描く手がかりになる。
関連する章句
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『玉勝間』十一の巻 いはゆる御所詞同書に、内裏仙洞には、一切の食物に、異名を付けて召さるる事なり。一向存知せざる者は、当座に迷惑すべき者なり。
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『玉勝間』五の巻 おこは まはり今の世、女の言に、強飯を、おこわと云えり。大神宮年中行事に、御強と見ゆ。又菜をまわりと云うこと、同じ書に、御廻八種と有り。枕ぞうしには、あわせと見えたり。
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『玉勝間』十四の巻 又つねの饌は、羹一つ、菜一つにて止むべし、しなじな数多ければ、これかれにまぎれて、美き物ももはらならねば、さしもめでたくおぼえず。但し他の饗饌は数すくなくてはさうざうしき心地す。あまり多きも、なかなかめでたからずおぼゆ。数多くつもりて後々は、うるさくあきたくなるなり。ただ羹は品をかえて、数おおきもよろし。さて昔はすべて、あつものと云いしを、近き世には、始めの一つを、汁と云い、次に出すを、二の汁と云いてその余をば、汁とは云わず。吸物と云いて、汁とすい物とは、別なる如し。又いわゆる菜をば、昔はあわせと云えり。清少納言枕冊子などに見ゆ。又伊勢神宮の書に、まわりと有るは、伊勢の言か。この国の今も山里人など、まわりと云う所あり。
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『玉勝間』十一の巻 四足の物供御に備へずと云ふ事四足はすべてこれを備えず、然るを吉野の天子後村上院は、四足をも憚らせ給わず、聞こし召しけるとかや。されば御合体の後、男山まで御幸ならせ給いけれども、また吉野の奥へ還幸ならせ給い、都へは、ついに一日片時も入らせ給わず。これしかしながら天照大神の神慮に違わせ給いける故なりと、人みな申し合いけると。これも同書に云えり。
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『玉勝間』十四の巻 饌饌をつくりととのうるを、俗に料理と云い、それよりうつりて、そのつくりととのえたる饌をさしても、料理と云い、御料理を下さる、結構なる料理など云う、みな饌を云えり。
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『玉勝間』六の巻 神今食そを月次と名づくるよしは、月毎に奉り給うべきを、合わせて二度に奉り給うにて、六月には、その年の七月より、十二月までのを奉り、十二月には、来年の正月より、六月までのを奉り給うなり。かくてその同じ夜に行わるる神今食も、その同じ趣にて、天皇の月毎に新磨の御食を聞こし食すよしにて、その度ごとに行い給うべきを、合わせて二度に行い給うよしにて、そは新穀にはあらざれども、新磨を聞こし食し始むるをさえに、重く厳かに斎い給うにて、まず神に奉り給いて、さて天皇のきこしめす事、もはら新嘗大嘗のこころばえに同じ。さる故にこの祭の儀式は、何事も大かた新嘗大嘗の儀のごとくなるなり。そもそもこの神今食の事、いかなるよしをもて行わるる御わざとも、昔よりそのよしをしるせる事も無く、考えたる人も無きを、おのれもいといぶかしく思いわたりて、年月かにかくに思いめぐらして、近き程かく思い得たるままにしるせるを、なおいかならむ、かしこき物知り人定めてよ。
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