論語 / 衛霊公篇
子曰:「吾嘗終日不食,終夜不寑,以思;無益,不如學也。」
新字:子曰:「吾嘗終日不食,終夜不寑,以思;無益,不如学也。」
書き下し
子曰く、吾嘗て終日食らわず、終夜寝ねず、以て思う。益無し。学ぶに如かざるなり。
現代語訳
先生がおっしゃった。「私はかつて、一日中食事もせず、一晩中眠りもせずに考えたことがある。得るところは無かった。学ぶほうがよい。」
解説
自分の失敗として語られている。丸一日と一晩、飲まず眠らずに考え抜いた。それで何も得られなかった、と。為政篇に思って学ばなければ危うい、という言葉があるが、こちらは体験談の形をとっている。考えるだけでは、自分の中にあるものしか出てこない。材料が無いところで考え続けても、同じ場所を回るだけである。この失敗は、真面目な人ほど繰り返す。問題に直面したとき、自分で考え抜くことが誠実だと感じる。人に聞いたり本を読んだりするのは、手を抜いているように思える。だが、考える時間を増やしても材料は増えない。孔子ほどの人が丸一日試して無益だったと言うのだから、これは能力の問題ではない。考えることと学ぶことは、別の作業である。
この章句が説くこと
思学失敗材料学ぶ実体験
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